七の段 犬神憑きの怪(後編)①
夕食を食べ終えた琥春は、食後の散歩がてら近辺を歩くことにした。宵を間近とした村は妙にしんみりとしている。
T村へ来る直前は、初めての遠征に少し浮足立っていたが、村の閑散とした雰囲気も相まって少し気分が落ちていた。
浦良から「孝史郎さんに犬神を憑けたのは十中八九、櫻子さんか桃子さんだ」と言われた際、咄嗟に桃子を庇ったが、完全に白だとは言い切れない。
夕食を食べた後も、浦良からぼそっと「それにしてもこの短時間で、琥春とひよりさんに肩入れされる桃子さんは少し引っ掛かる。壁を作って接したほうがいい」と言われてしまった。
桃子とは、つい数時間前に出会った。特段彼女と深く話をした訳ではない。
だが、犬神を憑けたのが桃子であってほしくないと、琥春は強く思った。
庭先で初めて彼女を見かけた際、可憐で美しい姿に、目を奪われた。その美しさは外見だけだはなく、たおやかな所作や、どこか儚げで危うい雰囲気から構成されている。美しい桃子には、「恨み・妬み」から人を傷つける犬神使いであってほしくない。
気づけば住宅が密集したところを通り過ぎて、周囲には建物がなくなっていた。
琥春は何かに招かれるように、水音が聞こえる森林の方へと歩を進める。
すると、大きな滝が流れているのが見える。
聞えた水音は滝の流水の音だった。滝近くの崖に人の姿があった。
(桃子さん……?)
桃色の色留袖。後ろに結った栗色の髪。
その後ろ姿は間違いなく桃子だった。
琥春が枝を踏みつけた音に反応して、桃子が振り返った。
桃子の形の良い目が、少し赤く腫れているような気がした。
「琥春さん、どうしてここへ?」
「お、おう。ちょっと夕涼みに。桃子さんは?」
「私はお墓参りです」
そう言って桃子は視線を動かす。
視線の先には、墓標がひとつあった。
「お母さんの? でもなんでこんなところに……」
「母はこの崖から川に落ちて亡くなりました」
「事故……か」
「……ええ」
俯きながら答える桃子はどこか寂し気だった。
しんみりした空気を払うように、琥春は話題を変えようとした。
「桃子さんの留袖、綺麗な色だよな。名前の通り、桃色」
桃子は嬉しそうに微笑んで、「ありがとうございます。これは母の形見なんです」と言った。
「琥春さんは、春生まれですか?」
「え、いや……。俺、孤児だから自分の誕生日が分からないんだ」
「……そうなんですね。春という名前が入っているので。それに、お人柄も春のようにあたたかい」
褒められた琥春は照れ臭くなって、視線を逸らして頬を指で掻いた。
「桃子さんは春生まれなのか? それこそ名前的に」
「私は五月頭の生まれです。四月頃の出産予定だったので、早々に桃子と名前をつけられたのですが、過期産だったんです。五月といえばもう初夏ですよね」
「そうなのか」
二人は見詰め合って静かに笑う。
「私にぴったり。永遠に春を知れない季節外れの桃」
琥春は怪訝そうな顔で桃子を見た。やはり彼女の表情はどこか寂し気だ。
「すいません。私はもう少し、母の墓と話をしてから戻ります」
「お、おう。邪魔したな。」
「一人になりたい」空気を感じ取った琥春は、桃子のもとをあとにした。
――――――
「永遠に春を知れない季節外れの桃……」
歩きながら琥春は、桃子の言葉を反芻した。
(さっぱり意味わかんねえ……)
腕を組んで「うーん」と唸る。
住居が見えてきた辺りで、一台の車が停まっているのが見えた。この村には似つかわしくない洒落た車。
車の近くには人影がふたつ。
書生然とした男と、艶っぽい美しい女。
琥春は愕然としてその場に立ち尽くした。
その女に見覚えがあったからだ。
女は、依頼主の曽良岡トキエだった。
書生然とした男は、二十代前半くらいか。トキエとの距離が妙に近い。
二人は乳繰り合うように、顔を寄せたり、身体を寄せ合ったりしていた。
次の瞬間、琥春は大きく目を見開いた。
ふたつの影が重なり、お互いの唇を重ね合ったからだ。
琥春は咄嗟に物影へと隠れる。
こちらに後ろめたいことはひとつもないのに、なぜか隠れてしまった。
「お二人とも若くて男前ですから、男好きのお義母さまにはご注意くださいね」
ふいに、櫻子が言っていた言葉が脳裏をよぎる。
自分たちの前でトキエの印象を落とすために言っていたと思っていたが、根拠はあったわけか……。
琥春は溜息をつきながら、トキエたちの目に触れないように、さっと遠回りして曽良岡邸へと戻った。




