五の段 猫の怪 後日 ②
「初めて見る顔だけど……君は?」
「……琥春っす」
「浦良先生の助手をされている方です」
ぶっきらぼうな名前だけの自己紹介に、つかさずひよりは付け加えた。
「琥春ちゃんかぁ。へえ~」と言いながら、二階堂は物珍しそうに頭の天辺から足先まで琥春を眺める。不躾な視線に琥春はぞわぞわした。
「どことなく磯村くんによく似てるね」
二階堂はにやりとしながら、浦良の方を見て言った。
聞き覚えのない名前に、琥春は「?」が浮かぶ。
浦良は「フン」と鼻であしらい、「で、今日は何しにきたんです?」と問うた。
「迷惑かけたから謝りに。これ、詫びの菓子折り」
ずいっと風呂敷包みを差し出された浦良は「どうも」と言って、片手でそれを受け取る。
歓迎されていないと分かっている二階堂は、長居する理由もないため、早々に去ることを決めた。
「じゃあ今日はこれくらいで失礼しよう。今後とも十和さんのことをよろしく」
「こちらこそよろしくお願いします。この後、十和さんに教えてもらいたいことがあるのですが」
二階堂はひよりに目配せして、頷く。
「もちろん。では僕はこれで」
二階堂は会釈をして、一人立ち去った。
三人は二階堂の後姿が見えなくなるまで眺めたあと、顔を見合わせた。
「良かったな、ひよりさん!」
「はい!」
琥春に向けてひよりは、嬉しそうに両方の掌を向けた。そのままお互いにハイタッチする。
浦良は意外そうな顔をした。
「君たち、いつからそんなに仲良くなったんだ?」
「浦良先生も!」
そう言ってひよりは浦良にも掌を向けた。浦良は軽く咳払いをしてから、片手でハイタッチをする。
ひよりに便乗して「イエーイ」と言いながら琥春が浦良に掌を向けると、「フン」とそっぽを向かれた。
それを見てひよりはどっと笑う。
「ひよりさん、昼食は食べたのか?」
「いえ未だです」
「今から外へ食べに行くか。先日外食し損ねたしな」
浦良の提案に、琥春とひよりは目を輝かせて大きく頷いた。
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くつくつとした音に、芳ばしい匂いが立ち昇る。
久しぶりの肉料理を前にした琥春の喉が鳴った。
「お昼からすき焼きだなんて、初めてです!」
ひよりは目を輝かせながら牛肉の薄切りを菜箸でとり、すきやき鍋へと入れる。
「ここ数日、白米と具なしの味噌汁だけだったからな。たまには贅沢もいいだろう」
浦良は満足気に、牛肉の赤みが茶色へと変化していくのを見守っている。
「え!? そうだったんですか」
「ひよりさんが来なかった間、琥春が飯を作っていたからな」
(だから自分で作るっていう発想はないのかよ……)
琥春はじとっとした目で浦良を見る。ツッコミを入れたい気持ちは山々だが、浦良の機嫌を損ねて、目の前のすき焼きを食べられなくなることは絶対に避けなければ。
「そうだ。ひよりさん、味噌汁の作り方教えてくれよ」
「お安い御用です! ……私で良ければ、平日だけでも夕飯を作りに行きましょうか?」
それを聞いた浦良は、してやったりと言わんばかりにほくそ笑む。
「無理のない範囲で請負って頂けるなら、お願いしたい」
(こいつ、最初からそう言わせるために、俺の具なし味噌汁を引き合いに出したのか……)
「もちろん。浦良先生と琥春さんには感謝してもしきれない。こうして恩を返せるなら喜んで」
ひよりはにっこりと笑った。
猫の怪に憑かれたあと、泣きながら胸の内を告白した彼女の姿は、今でも強く記憶に残っている。あの時と比べて、元気に戻ったのは嬉しい限りだが、彼女の発言からはやはり「頑張りすぎてしまう」質が垣間見える。
浦良もそれを感じ取ったのか、少しだけ神妙な顔つきに変わった。
「恩を返さなければなんて思わなくていい。ひよりさんの気が乗らなければ、しなくてもいいんだ」
「いえ。全然。職場で伝票と睨めっこしているより、浦良先生の家で夕食を作ってる方が楽しいですし。息抜きにもなります」
「ならいいが……。ところで、出会った頃より痩せた気がする。飯は食べてるのか?」
「はい! 夜は職場で食べることが多いけど、三食食べてます」
「ちゃんと風呂は入っているのか? 湯舟には浸かっているか?」
「うーん……。さっと沐浴はしてるけど、湯舟には最近浸かってませんね……」
「なるべく湯舟に浸かる習慣をつけた方がいい。翌日の疲労回復効果が段違いだ」
……なんだこれ。
琥春は浦良とひよりのやり取りを訝し気に眺める。
まるでオカンと一人暮らしの子供じゃないか。
猫の怪事件のあと、浦良は案外情の深い男なのではと思い始めていたが、それを超えてお節介が過ぎている。
琥春の困惑した視線を感じ取った浦良は「どうかしたか?」と尋ねた。
「いや……お前、ひよりさんのオカンみたいだなって」
琥春の発言が癪に障ったのか浦良は眉をひそめた。
「今私が言ったことは、霊を寄せ付けない方法のひとつだ。風邪をひかないよう気を付けることが出来る様に、憑かれないために自分で出来る浄化方法が「魂が喜ぶこと」をすること。具体的には、美味しいと思える物を食べる。きちんと湯舟に浸かって疲労を取る。自然と接するのもいいだろう。清掃は浄化の最たる例だな。だから私は毎日の清掃だけは欠かさない。あとは上質な綿や麻で出来た衣類を身に着けるのもいい。それから」
「分かった分かった。いいからそろそろ、すき焼き食おうぜ」
浦良は「フン」と鼻を鳴らし「やはり短気だな」と言った。
「短気とか関係ねえから。目の前に美味いもんがあるのに、お預けなんて誰でも御免だろ」
二人のやり取りを見ていたひよりは、くすくすと笑った。
「そうですよ。美味しいものを食べるのは浄化のひとつ、なんですよね?」
ひよりに一杯食わされた浦良は、一瞬たじろいたが「そうだな」と柔らかく微笑んだ。
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