五の段 猫の怪 後日 ①
琥春は五月雲が動くのを眺めて、ぼうっとしていた。
ひよりの事件が起きてから三日が経ったが、その件に関する連絡は未だになかった。
浦良はひよりの上司に連絡を入れると言っていたが、どうなったのだろう。
結局あの日、琥春と浦良は外食をし損ね、相変わらず具なしの味噌汁と白米だけの夕飯が続いていた。
洗濯物を干し終えた琥春は大きく伸びをして、母屋へと戻る。
居間には浦良が座って茶を啜っていた。
琥春は浦良を見ながら、先日の出来事を思い出す。冷淡な男だと思っていたが、猫を虐待していた職員に険しい顔で怒り、苦しんでいたひよりの話に耳を傾け協力すると言ったり、存外、情が厚いのではないかと思い始めていた。悪い奴でないことは分かっていたが、あの件以降、琥春の浦良に対する印象は確実に変わった。
「ひよりさんに関する連絡はまだないのか?」
卓袱台越しに、浦良の真正面に腰を下ろして胡坐をかく。
「怪異対策保安協会の部署が丸々絡んだ件だからな。組織内の解決は時間がかかる。やはり君は短気だな」
「短気は余計だろ」と喉元まで出かかったが、琥春は寸前のところで押し黙った。まったく、いつも一言多い奴だ。
「ごめんくださあい」
琥春が溜息をついた瞬間、玄関先から間延びしたひよりの声が聞こえた。はっとなった時には、浦良は既に立ち上がっていて玄関の方へそそくさと歩いていく。
(ったく……。お前も大概短気だろ)
琥春はおもむろに立ち上がり、浦良の後をついていった。
浦良が玄関扉を開けると、そこにはいつものように穏やかな顔をしたひよりと、中年の男が立っていた。
細見の体躯をした細目の男。丸眼鏡をかけている。年は四十代前半くらいか。いかにも「人のよさそうなおじさん」である畠山とは異なり、狐顔の中年男は一癖も二癖もありそうな雰囲気をしている。
「浦良先生、琥春さん。先日はご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。そして、ありがとうございました!」
快活に話すひよりに、琥春と浦良は胸を撫でおろす。
「思ってたより元気そうでよかったぜ」
「はい。浦良先生が部長に口添えして頂いたおかげで、保安協会を解雇されないどころか、このまま引き続き先生の助手をさせて頂けるようになりました」
「そうか」
浦良はひよりを見て柔らかく微笑んでから、視線を隣の狐顔男に向ける。浦良の表情は一転、険のある顔つきに変わった。
「二階堂さん、お久しぶりです」
浦良は怪異対策保安協会の二階堂部長に連絡を入れると言っていたことを、琥春は思い出した。ひよりと一緒に訪れたということは、この狐顔男が件の二階堂だと理解した。
「お久しぶり、ウララちゃん」
二階堂は嬉々とした表情で、細い目を更に細くして笑った。
「十和ひよりさんの採用を決めたのは貴方だそうですね。今まで女性が働いたことのない職場に十和さんを入れることで、こうなることは貴方であれば予測できたはずですが」
「十和さんは優秀な子でね。なあなあになった職場へ彼女を入れることで、新しい風が吹けばと思ったんだ」
「十和さんの採用に苦言を言っているのではない。採用したのが貴方なら、採用した後も彼女が安心して働けるよう気に掛けろと言っているんだ」
怒気を漲らせる浦良と、ニヤニヤしながらそれを聞いている二階堂の間で、ひよりは右往左往している。
「それを怠った貴方は管理者として失格だ」
浦良は、ぴしゃりと言い放った。
数秒の沈黙が流れたのち、二階堂はすっと頭を下げた。
「まさしくその通りだ。十和さんにも、迷惑をかけたウララちゃんにも本当に申し訳なかった」
ひょろっとしていて猫背気味な二階堂だが、深々と一礼する姿勢は不思議と様になっていた。
「二階堂部長、頭をあげてください」
上司が謝罪する姿を前にして、慌てふためいたひよりは、浦良に向って口を開いた。
「二階堂部長のおかげで、お店で暴れたのに関わらず私の処罰は反省文を書くだけで済んだんです。部長はご自身の執務室をお持ちだけど、あの件以来私たちと同じ執務室の机で仕事をしてくださるようになって……前みたいな嫌がらせもなくなりました」
「フン、そんなもの管理者として当たり前だ。で、ひよりさんを虐めていた職員たちはどうなったんです?」
「今回の件は部署全員絡んでいるからね。全員を懲戒処分にすると職場が回らない。ということで全員反省文だけで済ませた。職場風土の乱れは、畢竟、管理者である僕や課長の責任だよ」
(一見ヘラヘラした男に見えるが、理解ある上司じゃないか)
琥春が遠巻きに二階堂を見ていると、視線を感じたのかこちらを見遣った。




