第83話
時刻は〇六四五になっていた。
サフィールは基地近郷の墓地へと足を運んだ。ここにはヤーバリーズ基地で任務中に殉職した兵士たちを弔う記念碑が建立されていて、兵士たちの関係者が祈りを捧げる光景もしばしば見られる。
彼女がその記念碑の前まで行くと、一人の筋肉質の大男が熱心に祈りを捧げていた。
彼女は男を見ても何も言わずに黙ってそばまで歩いていくと、途中で買ってきた小さな花束を石碑に捧げて、自身もしばらくの間亡くなったアレク前隊長のことを悼んだ。
彼女が祈りを捧げ終えても、男はなおも黙ったまま祈りを捧げている。
サフィールは小さくため息をついて、傍らにいる良く見慣れた大男に語りかけた。
「いつまでそうしているつもり、脱走兵さん?」
彼女のその言葉に、傍らの大男-ジャック・オーヴィル曹長はわずかに体を震わせた。
「サフィール准尉ですか……ナオキの奴が来るかと思っていたのに」
「あら、私じゃ不足なのかしら? それにナオキ君は忙しくてね。こんなことに構ってばかリもいられないのよ」
サフィールはきっぱりと言い切る。状況が状況だけに最初から厳しく出る必要があった。
「だからほら、さっさと基地に帰りなさい。今なら隊長も軽い処分で許してくれるって言ってたわよ」
「今更隊長……いや、ジェノ大尉のもとに帰れるかよ……」
ジャックはそう言ってサフィールの言葉を拒絶した。つまり、今はジェノ隊長のことを隊長とは認めたくないということらしい。
「ジャック! あなたが何を不満に感じているのか私には分からないけれど、もうアレク前隊長はいないのよ。今はジェノ大尉が隊長なの!」
「違う! 俺にとっての隊長はアレク隊長しかいねえし、誰にも代わりは勤まんねえんだよ!」
ジャックは体を震わせながら大声で怒鳴り、彼女を睨みつけた。かなりの大男であるジャックが体を震わせて顔を真っ赤に染め、睨みつけてくるというのはごく普通の女性にとってはかなりのプレッシャーである。
しかし、サフィールは普通の女性ではない。ジャックの凶暴な視線を押し返すようにキッとジャックを睨みつける。
「甘ったれたことばかり言ってんじゃないわよ! いつまで死んだ人にすがっているつもりなの! そんなんじゃアレク隊長だって浮かばれやしないわ!」
「アレク隊長は死んじゃいねえ、俺の心の中でいつまでだって生きてるんだ!」
「そんな考え方、さっさと捨ててしまいなさい! 現実を正面から受け止めることもできない弱虫が、私と同じ部隊にいるだなんて耐えられないわ!」
「うるせぇ! 黙れっ!」
怒りが心頭に達したジャックは腕を振り上げたが、サフィールは特に避けようともせずに、黙ったまま彼を睨みつけている。
そして、手は振り下ろされ……。
「……殴らないの?」
「……ここで准尉を殴っちまったら、俺の中に残された正義が本当に偽物になっちまう……」
ジャックは力無くそう言って深くため息を吐き、振り上げていた手を大儀そうに下ろした。
「ぎりぎりで踏みとどまる冷静さか……昨日も見せたわよね、それ」
「……本当はあんな命令なんかに従うつもりもなかったんだけどよ」
「それでも最後の最後で踏みとどまったのは……」
「ようやくケヴィンの奴も俺たちに馴染んできたんだ。ここで俺がチームワークを乱す原因になりたくもなかったんだ」
ジャックが正直なところを打ち明けているのを感じ取ったサフィールは、そこでようやく表情を少し緩めた。
「ちゃんと考えられるじゃない。そこまで考えられるんだったら、ジェノ隊長の言うことも分かるんじゃないの?」
「ああ、ジェノ大尉の言うことも勿論分かるさ。だが、大尉の考え方は実戦を見てねえ人間の考え方だ。大切な仲間を失ってみてから同じことが言えるのかって言いたくもなる」
「でも、この間ナオキ君も言っていたじゃない。軍人として最低限のルールは守るべきだって」
サフィールがそういうと、ジャックは苦悩に満ちた表情を浮かべた。
「……サフィール准尉、俺には分からねえよ。軍人は市民を、仲間を、守るべきものを守るために戦っているんじゃねえのか? ルールを守るために自分や仲間の命を見捨てなけばいけないのが軍人なのかよ?」
「……ジャック……」
サフィールは彼女らしくなくそこで言葉に詰まってしまった。
「……ジェノ大尉の言っていることが正論だとしたら、俺たちの今まではどうなるんだ? ルールに則らない戦いばかり繰り返さざるを得なかった俺たちはずっと間違っていたのかよ?」
「……」
「だから、俺はアレク隊長にそれを聞きたくてここに来たんだ」
ジャックはそこまで言うと、もう一度深くため息を吐いて押し黙った。サフィールもまた一つため息を吐いたが、依然として黙ったままだ。
しばらくの間、そよ風に周囲の芝草が揺れる音だけが響いていた。
しばらく経って、サフィールはゆっくりと口を開いた。その顔には苦笑いが浮かんでいる。
「……本当にもう、普段は馬鹿なくせに、こういうところでは頭が回るんだから」
「……」
「あのね、ジャック。あなたの言っていることは理解できる。確かに。軍や政治家たちが勝手に決めたルールで私たちが死ぬなんて話、私も嫌よ。でも、同時に私たちは仲間を守らなければならないわ。仲間っていうのはナオキ君やホリーちゃんだけじゃない。ジェノ隊長やケヴィン君、エレイアだってそうよ」
「……」
ジャックは身じろぎ一つせず、サフィールの話にじっと耳を傾けていた。
「あなたが命令違反をしたとして、その責任を取るのはあなただけじゃないわ。隊長も責任を取らないといけないのよ。ジェノ隊長はああいう方ではあるけれど、部下の犯した不始末の責任自体はしっかりとる方よ」
「……」
「でも、責任を取るといっても限度もある。あまり勝手な行動ばかり繰り返したら、責任を取り切れなくなるかもしれない。そうなったら、隊長は辞めさせられてしまうことになるわ。これって実質的に、私たちが自分たちの都合で仲間を切り捨てたのと同じことになるんじゃない?」
「そ、そりゃあ……」
ジャックは何かを言いかけたが、うまく言葉が頭の中で繋がらなかったか結局何も言えずに終わってしまう。
「分かるでしょ、ジャック? ……あなたが勝手をすればするほど、ジェノ隊長が取らなければならない責任は増えてしまうの。そうなったら、あるいは隊長は騒動を引き起こした責任で辞めてしまうかもしれない。万が一にもそうなってしまったら、その責任はあなたにあるのよ」
「……ああ……」
「ああ、じゃなくてね。そうなった時にあなたはどうやって責任を取るつもりなのか、を私は聞きたいのよ。まさか、軍を除隊するだなんて無責任な行動でそれを果たすなんて言わないでしょうね? 仮にそうだとしたら、この場でひっぱたくからね!」
最後はやや勢い任せの言葉になってしまったが、しかしこれはサフィールの本音だった。ここまで迷惑をかけておいて辞めるなどという逃げの手に出るなど、サフィールには許しがたい行動だった。
ジャックはしばらくの間口を開かなかった。必死に何かを考え込んでいるようだった。サフィールが時計を見ると〇七一五頃で、帰りのことを考えるとそろそろ基地に向かわなければならない頃合いだったが、サフィールは急かさずにジャックの言葉を待った。
そして、ジャックはサフィールの顔を正面から見つめて言った。
「……分かりました、准尉。急いで基地に戻りましょう」
ジャックにしては堅苦しい物言いであったが、サフィールはそこに悪意がないのを見て取った。
「いいのかしら。基地に戻ったら気に入らない隊長気取りの大尉から何か言われるかもしれないわよ? それに、ナオキ君たちだけじゃなくいけ好かない相手にばったり会うことも考えられるわね」
「気に入らなくても隊長は隊長です。何が言われようと甘んじて受け止めます」
「くどいかもしれないけれど、最後の確認よ。本当にそれでいいのね?」
「……もういいだろサフィール准尉。俺の意志は変わんねえよ!」
結局最後まで口調を維持しきれなくなったのか、いつも通りの口調に戻ってしまったジャックであったが、サフィール自身はそんなジャックの姿を見て逆に安心した。妙に小さくかしこまってしまったジャックなど、ジャックではないと思っていたからだ。
「よろしい。それじゃあ、急いで基地に戻るわよ。〇八〇〇までに戻らないと基地から捜索隊が出てしまうことになるわ」
「了解、全速で基地に急行しますよ!」
時計はまもなく〇七三〇になる。二人はそれを確認すると、駆け足でその場を後にした。




