第102話
僕とニデア大佐は病院の屋上に出ていた。今日はかなり風が強く吹いていて、あまり話をするには向かない状態であったのだが、それだけ他人に聞かれたくない話なのだろうということだけは理解でき、実際その通りであった。
「……つまり、ゴルドールの悲劇という事件をでっちあげることで、政府と軍はベゼルグ・ディザーグを引き渡す条件を整え、サヴィテリア側に講和に応じるシグナルを送ったというわけだ」
「……そんな非常識なやり方でベゼルグを引き渡したのですか?」
「当時の政府や軍上層部の間には戦争を続けることに対する疲労感が漂っていたのは事実だ。ベゼルグ・ディザーグたちの活躍があったとはいえ、国力に勝るサヴィテリア相手にどこまで戦い続けることが出来るか、その保証となるものがどこにもなかったのだからな。サヴィテリアの提案は政府にとっても渡りに船といったところだったのだろう」
ニデア大佐は僕の内心の憤りを知ってか知らずか、いつものように淡々と語っている。
大佐がホリー軍曹とベゼルグの関係を話す前の前提として話し始めた第三次五か月戦争における真実を聞いた僕は、それまでの経緯も忘れてベゼルグに同情してしまった。
サヴィテリア軍相手に勇敢に戦った英雄とも呼べる人間が、母国に裏切られて敵国に売り飛ばされる。その絶望と悲しみは果たしてどれほどのものであったのだろうか? とても想像し切れるものではない。
「大佐は……任務を実行することにためらいはなかったのですか?」
「任務を遂行することがその時の私の使命だった。ためらいなどあるはずもない。……ただ」
「ただ?」
その時、ニデア大佐がわずかに顔を歪めてみせたのを僕は見逃さなかった。
「道義的な面で言えば、これは到底受け入れられるやり方ではないことはその時に理解できた。だが、その時の私には上官の命令を遂行するより他に道はなかったのでな」
「……その結果ですか。今ニデア大佐がそのようなお立場にいられるのは」
「どのようにでも解釈をすればいい。どのみち私の行為は許されるものでもない」
ニデア大佐の態度は普段と変わらない。だが、僕はそこに大佐の内心にある悲しみのようなものを感じ取れたような気がする。普段は感情をほとんど表に出さず、まるで機械のように振舞っているニデア大佐も、実際のところは本人の語っている通りやはり人の子だったのだ。
「……さて、そろそろ話を本題に移そうか」
「はい」
「まず、ホリー・ディアンズ軍曹だが、ディアンズというのは偽名に過ぎん。今の君なら理解できるだろうが、本当の姓はディザーグだ」
「……ディザーグ、ですか。つまり……」
「そう、ホリー・ディザーグはベゼルグ・ディザーグの娘だ」
ニデア大佐の言葉を僕は心の深いところで噛みしめる。徹底した現実主義者であるニデア大佐に肯定されたことで、もはやこれは否定しようのない事実であることを痛感させられたのだ。
僕は現実に打ちのめされながらも次の質問に移った。
「……ところで、何故彼女は偽名を名乗っていたのですか?」
「そのことか。事件の直後に彼女の母親に偽名を名乗るよう勧めたのは、他でもないこの私だからな」
「えっ? 大佐が……でありますか?」
予想だにしなかった答えが返ってきて、僕は思わず絶句してしまう。
先程の話が確かならば、ニデア大佐は当時のベゼルグを実際に陥れることになった、いわば実行犯であると言ってもいい。そのニデア大佐が事件の直後にホリー軍曹の母親、つまりベゼルグの妻に会いに行っていたというのは、僕の理解を超えている事象だった。
「そうだ。私はベゼルグをサヴィテリア側に引き渡し終えた直後に、当時彼の上官であったマクリーン参謀総長の仲介でディザーグ夫人に面会した。ことは急いで行う必要があった。夫人だけならまだしも、子供がいることが知れたらサヴィテリア側が子供を人質に取っていた可能性は高い。また、そういう動きが実際に起こったとしたら、事態を静観している政府も何らかのリアクションを起こしていただろう。会うのをためらっている余裕などなかった」
ニデア大佐はいつも通りの淡々とした口調で語ってはいたが、当時の緊迫した情勢がこちらにもありありと伝わってくる。
「……ディザーグ夫人は、すんなり提案を受け入れたのですか?」
「君は夫人がすぐに私の提案を受け入れたと思うのかね?」
「とてもそうは思えません」
「ならば、そういうことだ……夫人に初めて面会してから、次に家に入ることが許されるまでに二週間もの時間を費やす必要があったからな。もっとも、経緯を考えれば夫人の反応は当然だが」
ニデア大佐はそこで平板な口調からやや抑揚を含めた口調になった。大佐なりに昔を懐かしんでいるのかもしれない。
僕は大佐に話の先を促す。
「それでも、夫人は大佐の提案を受け入れたのですよね?」
「そうだ。実際にサヴィテリアや政府のスパイらしき人間が近辺をうろつくようになって夫人も危機感を抱いたらしい。最終的にはマクリーン参謀総長を含めた三人で会談し、偽名を名乗ることと併せて念のため転居することも受けいれてもらった」
「では、大佐はホリー軍曹のことを初めから知っていたのですね」
「無論だ。だが、私が直接的にホリー・ディザーグのことに関与したのはこれが最初で最後だった」
「どういうことでしょうか?」
話の先が読めず、僕はニデア大佐に問い返した。
「偽名の一件を通す際に、夫人は一つ条件を出した。私とマクリーン参謀総長に金輪際自分や娘と関わり合いを持たないで欲しい、とな」
「何故そんな……」
「分からないのかね? 軍や政府の陰謀とも呼べる策で夫を失い、今また自分と娘が危地に陥っている。そんな状況下でいかに協力してくれるとはいえ、同じ軍人である私やマクリーン参謀総長を信じろ、と言われてもすぐには信用できないのが当たり前の人間の反応だろう? まあ、私の場合はそれ以前の問題であっただろうが」
「じゃあ、偽名を名乗るようになって以降のことは……」
「約束は約束だ。順守せねばなるまい。それでも一応折に触れて様子はうかがっていたが、五年前に夫人が病気で亡くなるまではほとんど音信不通も同然の状態だった。それだけに三年前、彼女がいきなり軍に志願入隊してきたときは私もマクリーン参謀総長も驚いたよ」
そこでニデア大佐は両手を上げるような仕草をした。本当に驚いたのだと言いたいらしい。
「彼女はどの程度、父親……ベゼルグのことを知っていたのでしょうか?」
「さてな。ただ、彼女は入隊以降しきりに戦史の教本を読んでいたという話が報告として挙がってきている。また、彼女はWP操縦手を志望していて、WPの操縦者適性試験も受けている。推測に過ぎないが、母親から父親の話を聞いていて、母親を亡くした後父親の足跡を追うために軍に入隊した、と考える方が自然だろう」
それを聞いて、僕は彼女と出会ったからのことを思い起こしていた。図書館で出会ったとき、彼女は戦史の教本を借りていた。彼女がWP操縦手を目指していたというのは、ノーヴル・ラークスのメンバーには良く知られている事実だ。しかし、それらは彼女にとってはまた違う意味が込められていたのかも知れない。
改めて思う。僕は彼女のことを何一つ理解していなかったのだと。
唇をかみしめながら黙り込む僕を、ニデア大佐は静かに言った。
「ホリー・ディザーグについて私が知っているのはこれくらいだ。他に知りたいことがあるのなら、自分で調べてみるのだな」
「はい、大佐……ありがとうございました……」
「礼などいい。それよりも、ここまで話を聞いた以上、君にはある役割を果たしてもらわねばならない」
「役割……?」
その言葉に僕はニデア大佐の顔をまじまじと見つめた。大佐は僕のそんな視線にひとつうなずいて言った。
「そうだ。君は全力を尽くして革命評議会からホリー・ディザーグを救え。それが、全ての真実を知ったものの義務だ」
「それは……マクリーン参謀総長のご意志でもあるのでしょうか?」
「そうだ……。この国は過ちを犯した。そして、国家の犯した過ちを正すのは国民としての義務だ。我々はいかなる手段をもってしても、それを果たさねばならん」
ニデア大佐の口調はかなり強い調子だった。まるで異論は認めないとでも言うように断固とした意志を感じる言葉だった。
「一応、それは命令になるのでしょうか?」
「君がそれを望むのならば、極秘命令としても構わないが?」
「それには及びません。誰かに命令されるという形で彼女を助けたいのではありませんから」
僕はそう言い切る。軍人としては間違っているのかもしれないけれど、僕はひとりの人間としてホリー軍曹を助けたかった。父親のことを思うあまりに自分を見失ってしまった彼女を。
「……君には他にも守るべきものがある。それを忘れないのなら、どのような形でも構わん」
「分かっています。自分はこれ以上、周りにいる誰かを悲しませたりはしません」
「……その言葉が単なる強がりではないことを証明するのだな、曹長」
ニデア大佐はその言葉を最後として、再び僕に背を向けた。
「行かれるのですか?」
「私にもやるべきことがある。それを果たせねば、ベゼルグ・ディザーグの来訪を静かに待つことも出来ん。マクリーン参謀総長もな」
「! ……大佐、まさか……!」
「それ以上は言うな、曹長。近いうちに再び会うこともあるだろう」
ニデア大佐はそう言い残すと静かにその場から去っていき、僕はそんな大佐の後姿にしばらくの間、黙って敬礼を捧げ続けていた。




