2. 人としての終わり、そして再生
「ん……」
暖かい感触が全身を包んだと思うと、意識が急激に浮上し、目を開ける。
頭がぐらぐらする。確か電車が停止して……
「あれ」
電車が普通に動いている事実に、動揺した。
あの光景が一気にフラッシュバックをし始める。何がどうなっているんだ。
「――そうだ! 巧!?」
「ん、どうした?」
はっと気付き何処にいるか分からない巧を探すと、隣からやや驚いた様子の巧がいた。そのことにひとまず安堵する。
「か、身体大丈夫? 電車いつ動き出したの?」
「……お前何言ってんだ? 電車はずっと動いてるぞ」
巧が呆れたように言い放つ。
その態度がまるで意味不明で混乱する。
「じ、じゃあ、あの黒ずくめは?」
「黒ずくめって誰だよ。 お前いつの間に寝てた?」
「……えっ!?」
なんの冗談だ、と言おうとして辺りを見回すと、確かにあの女性も、クラスが同じになった男も居ない。
勿論乗客はみんな乗っているし、電車はどこをどう見ても正常その物だ。心無しか寝ている乗客が多い気もするが……
あれは夢だったのだろうか。夢にしてはやけにリアルで、なおかつ痛かった気がする。
「ほら、駅着いた。降りるぞ」
「あ、うん」
そう考えつつも、取りあえず僕たちは駅を出てその日は別れた。
あれは夢にしてはあまりにもリアル過ぎた。違和感で一杯だ。
確かに痛みも骨に伝わる音もあった気がする。でも、頭から血は流れていないし僕は至って普通だ。
……何だかんだで僕は今日の入学式で緊張していたのかも知れない。それでやけに不快な夢でも見たのだろう。
そう結論付けて僕は制服のポケットから鍵を取り出すと、自宅の玄関へと入った。
「ただいま」
「おかえり、初登校どうだった?」
聞こえてきた声は母さんのだ。
「あ、帰ってたんだ。うんまあまあかな?」
母さんは今日、入学式には来ていない。
仕事がどうしても休めなかったとかで、仕方なく僕は1人で入学式に及んだ。
「良かった。晩御飯何がいい?」
「うーん……」
自慢じゃないけれども、ウチは母さんが働きに出ているのに家族仲がいい。
と言っても、父さんは何年も前に死んでいるから家族は母さんと僕の二人だけ。俗に言う母子家庭だ。
「たまにはハンバーグがいい」
「分かった」
それだけ告げて、僕は自室へと戻った。階段を上り、自分の部屋の扉を開けて入って、そのまま僕はベッドへと倒れこんだ。
「んー」
あれは何だったんだろうか。夢にしては何かインパクトが強すぎる。でも巧は何も覚えてないし、電車の時刻も遅延なんてしていなかった。
「夢、か」
いや、でも、そんな筈はない。そんな事有るわけ無い……はず。
先ほど結論付けていたはずなのにまた同じことをグルグルと考えてしまう自分がいた。
「……どっちでもいいか」
僕も他の人も、みんな無事なんだし。問題ないじゃん。そう考えた途端に何だか疲れがどっと出て来た気がした。一つだけ分かってる事実は、僕が今とても疲れていると言う事だ。
「……」
すると急に眠気が襲ってきて、それに身を任せるように僕は目を閉じた。このまま夕飯まで寝ていよう。そう思って、僕は考えることをやめた。
寝ている間、奇妙な夢を見た気がした。
夢の内容は覚えていない。
「ご飯出来たわよ」
母さんの声が下の階から漂ってきて、僕は重い頭を持ち上げた。時計を見てみると既に夜だ。大分寝ていたらしい。
「今行く」
起き上がると、ふと自分が制服すら脱いでいなかった事に気づいた。慌てて部屋着に着替え、部屋を出てキッチンへと向かうとハンバーグのいい匂いが漂い始めた。そう言えばお腹も空いている。
「……凄い顔ね、ご飯の前に洗ってらっしゃい」
「はーい」
引き気味にそう言った母さんに従い、洗面台へと向かう。凄い顔って、そんなによだれでも付いてるのだろうか。
「んー……ん?」
そうして洗面台に備えられてる鏡を見ると、そこには寝汗だか何だか知らないけれど、何だかヤケに発汗していた自分の顔があった。
そんなに暑くはなかったけれど、何だか脂汗が滲み出たような感じだ。
不思議に思いつつ、目覚ましがてらの洗顔も終わって、僕は取りあえず晩御飯を平らげた。
「ごちそうさま」
「お粗末様でした」
「……風呂入ろう」
食べていて思ったけれど、今日は何だか汗をよくかく。それを証明するかのように、風呂に入るために脱衣所で先ほど着替えた部屋着を脱ぐと汗染みだらけだった。それに何か、臭い。
一体どういうことだろう。何だか今日は色々と変な一日だ。
今も身体が重いし、目が回る気がする。身体中から毒素という毒素が抜けていく様な、不気味な不快感がある。そこに気持ちよさは無い。風邪だろうか。
風邪の引き始めだと嫌だから今日は念の為によく温まっておこう。出だしから風邪引いて学校欠席は嫌だし。
嫌な予感を拭い去るかのようにお風呂でしっかりと身体を洗うと、何だかそれまでとは打って変わって気分爽快となった。
「あら、出たの? 今日はヤケに長かったわね」
首にタオルを掛けながらリビングへと戻ると、そこには缶ビールの山を冷蔵庫に押し込む母さんの姿があった。
……いつの間にあんな量のビールを買ってきたのだろうか。宅急便でも来たのだろうか。でもそれにしては玄関はピンポンって鳴らなかったような。
「なんか寝汗みたいなの凄かったからね」
「そう。ビール飲んじゃダメよ」
真剣な表情でそう言う母さんはビール大好き人間だ。そんな事言わなくても僕は飲まないのに。
「いつの間に買ったの?」
「宅急便」
「ピンポン鳴った?」
「鳴ったわよ、ボーっとしてたんじゃないの~」
鳴ったのか。聞き逃したのだろうか。
言われてみれば今日は何だかずっと変だし体が怠いし。頭も回らない。
「そうなのかな。考えてみたら何か今日疲れてるし……母さん、僕もう寝るね」
「あら早いわね、おやすみー」
自室に戻ると、僕はまた、先ほどと同じようにベッドに倒れ込むように寝てしまった。
頭を乾かさないと、とか色々考えていたけれど、そんな事も毛布に触れると同時に何処かへと消えていってしまった。まるで自分の中の時が緩やかに停止に向かって減速していくような感覚だ。
「……ぐう」
後ほど知った事だけれども、どうやらこれが僕が人間として過ごす、最後の一日だったらしい。