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仕事は相変らずだった。
*************地下街の情景(2) 削除**************
数週間が過ぎ、朝、管理事務所にリーダーが来ていた。
「最近通報がこないな。欲情することがなくなったか。」
「そんなことないです。若い女性のあんな恰好を見ていて興奮しないわけありません。つらいです。実は生理ナプキンを使うようにしたんで・・・」
「なんだやっぱりそうか。ちゃんと新しいのを買って使ってるんだろうな。」
「無理です、毎日使うだけ生理用品を買う余裕なんてありません。」
「トイレで拾った使い古しのナプキンを使ってるのか。お前のあそこは切り落としたばかりだ。女のオリモノに含まれる雑菌が傷口から侵入すると大変なことになるぞ。」
「でも、しょうがないです・・・ ですから、欲情しないように、あんな粘液が出てこないように、玉も取ってほしいんです。お願いします。」
「そうはいかない。お前はまだわからないだろうが、これはここで決めた大方針なのだ。あきらめろ。慣れれば女の股間など珍しくなくなる。」
「そんな無理です。女性に欲情しなくなるなんて絶対に無理です。それなら、帰してください。私が来た元の世界に戻してください。私はほんとうは、女になりたいなんて思っていないんです。元の世界なら、こんな女性の明け透けなところ見なくてすみます。お願いします。」
徹底的に殴られるものと覚悟した。しかし、リーダーは殴らなかった。
「そんな身体になって、向こうの世界じゃ片輪だぞ。それにそんな格好で。」
「いいんです。どうせ私は変質者ですから。変態と罵られてもいいんです。」
「そもそも、お前の心の奥底を読み取ってここにつれてきたんだ。既にここではお前の考えているような状況ではない。」
「いいです。どんなになってもいいんです。帰して下さい。」
「そんなに言うんなら知らんぞ。好きにしろ。」
リーダーは無線で兵士を呼び出すと、すぐに二人の兵士が駆けつけてきた。リーダーは私の前で直立不動になった。
「この者は我々の住むこの世界にはふさわしくない人間だった。変態で異常者だ。この国で暮らしていくにはふさわしくない変質者だということがわかった。直ちに放逐刑に処すことにする。連れて行け。」
兵士は私の前に立ちはだかった。
「大丈夫です。自分で歩きますから。」
「寝ぼけたことをいうな。お前は掟に背く重罪人だ。だから放逐刑に処したのだ。重罪人に我が国の領土内で自由な行動は一切許さない。早く連れて行け」
後手に手錠をかけられ、腰縄を巻かれた。兵士に促され、私は歩き出した。
管理事務所の年配の女性はリーダーにささやいた。
「いいんですかい、リーダー。放り出してしまって。」
「いいさ、どうせすぐに戻ってくるさ。」
私は、二人の女兵士たちとともに城郭までやってきた。重々しい入り口扉が開かれると手錠と腰縄が外され、いきなり外に蹴落とされた。すぐに背後の扉は閉じられた。立ち上がって前を見ると、数十メートル先には鬱蒼とした深い森が広がっていた。
深い森の奥に通じる獣道はすぐ分った。遥か彼方まで続いているが、この道が元の世界に続いているはずだ。一刻も早く元の世界に戻りたかった。脂ぎった男たちと同じように暮していかなくてはならないのはつらかったが、あの女だらけの世界よりははるかにましだと思った。走るようなスピードで獣道を歩いた。しかし、行けども行けども獣道は続いた。前を見ても振り返っても遥か彼方まで続く獣道は森の闇の中に溶け込んでいた。どうしても深い森は抜けることができなかった。時折倒木に躓き、つる草に足を取られ転んだ。昨日の晩きれいに洗濯し寝押しまでして小ぎれいにしていたブラウスやスカートは泥だらけになった。枝に引っかかりかぎ裂きもできた。湿った泥にまみれスカートのヒダは取れかかった。髪はボサボサだった。せっかくの化粧は鏡もないのでどうなっているのかも分らなかった。
時間の観念が失われてきた。歩き始めの無理がたたって疲労は増した。歩みは遅くなり、機械仕掛けのようにただ足が惰性で前後に動いているだけになった。昼も夜もなく、あの世界に向かっていた時と同じように薄明るい状態が延々と続き、虫の鳴き声も鳥のさえずりも聞こえなかった。木の葉のざわめきだけが聞こえていた。
いくらなんでもこんなに遠くはなかったはずだ。そろそろ森を抜け田舎の田園地帯に入るはずだ。しかし、いつまでたっても森の外は見えなかった。もう何日も歩き続けているようだ。疲労と空腹は限界に達し、意識が朦朧としてきた。足はもう全く動かなくなった。
何かざわめきのような音が聞こえたような気がして目が覚めた。意識を失い倒れていたようだった。周りを見渡すと森を抜け出していた。よく見ると見覚えのあるあの都会に通じる国道の歩道だった。振り返ってもあの深い森は無かった。隣県から続いている国道にはあの世界にはほとんどなかった車がひっきりなしに走っていた。
歩道沿いには、商店、事務所、マンションなどが続いていて、大勢の人々があるいていた。老人も子供も、それに女ばかりではなく男もいた。町の中で横たわっている私に気付くと、最初は心配そうな顔をしてそば来た。しかし、私の顔、服装をしっかり確認すると、老若男女誰もがあわてて私を避けて道の端に避けた。遠巻きにした彼らが、私のことをささやく声が聞こえた。
「何あの人、変態じゃない? 女の子が倒れているのかと思ったら、オッサンじゃないか。」
「女子高生の制服なんか着て。それも泥だらけ。」
「化粧もしてるみたいだ。でもひどいな。女装するんならするでもっとまともな格好するだろ。頭がおかしくなってるんじゃないの? 」
「ホームレスになったオカマっていうことだろう。」
面と向かって罵声を浴びせる人もいた。
「きたねえ、そばによるな。」
「気持ち悪い、あっちへ行け。」
「女」と見てくれる人は皆無だった。深い森の向こうの世界では「掃除のおばさん」と呼ばれ、口の悪い高校生には「ババア」と呼ばれ、年寄り連中からは「小娘」と言われた。それでも、みんな私を一応「女」として扱ってくれた。でもこちらの世界では、いくら化粧していようが、女の服を着ていようが、「男」としてしか見てくれなかった。肝心なものを切断されたものの顔かたちは前のまま、男丸出しのはずだ。女らしく見える化粧などできるテクニックもないし、ニューハーフのようにホルモンなどで女性化もしていない。女の体裁は着ている服だけなのだ。そもそも、男とか女とかではなく、単なる変質者としか見ていないようだった。
今日が何月何日か何曜日かもわからなかった。とにかく一旦自宅に戻ろうと思った。自分の服もあるし、風呂にも入れるし、何しろ自分のお金があった。現金さえ持っていれば何とかなるはずだった。
起き上がって歩き始めた。自宅に行くにはどのように行けばいいのか? 電車に乗って行くのだろうか? 降りる駅はどこの駅? そもそも、自宅の住所は? 何一つ自宅のことについては思い出せなくなっていた。見覚えのある街の○○デパートはもう1kmほど行った場所にあって、デパートの地下には私鉄のターミナル駅があり、次の駅には××博物館や△△公園がある。そういう自宅と全然関係のない施設はちゃんと覚えていた。△△駅前の蕎麦屋はおいしくて、その向かいにある焼肉屋は高いばかりで固くて古い肉ばかり出す。駅のそばの食品スーパーのレジは若くて可愛い女の子が多いし、スーパーの前のタクシー乗り場は待っていても中々タクシーが来ない。どうでもいいことは全て記憶にあった。でも自分の家がどこにあるのかどうしても思い出せなかった。
駅に行って路線図を見れば思い出せるだろうと思って、駅に向かって歩いた。道を行き交う人々は一人残らず嘲笑と侮蔑の目を私に向けた。デパートたどりつき、地下にある郊外へ向かう鉄道のターミナル駅に行った。路線図を見るまでもなく、さほど長距離でもないその路線の駅名は順番通り全て頭の中に入っていた。それでも路線図を見ながら、全ての駅をひとつづつたどってみたが、その中にあるはずだった自宅の最寄り駅がわからない。埃だらけの女子高生の制服を着て、化粧が剥げ掛けた男が乗車券の自動販売機の前で茫然と立ち尽くしているのを、乗降客が遠巻きに眺めていた。オカマ、変態、ホームレスといったささやきが聞こえた。誰かが不審者として通報したらしく、乗客らしき男性に連れられて駅員がやってきた。
「乗車されないんでしたらここに立たれていては他のお客様に・・・」
あわてて階段を駆け上がり外に出た。
自宅が無理なら職場に行ってみようと思った。こんな格好を見れば変態と罵られることは明白だったが、いきなり首にされることはないだろう。とにかく上司や同僚に正直に説明すれば、当面の生活ぐらいなんとか手助けしてくれるだろうと思った。
オフィスビルの立ち並ぶ街の中心部に足を向けた。オフィス街を歩く人たちも私を見る目も嘲笑と侮蔑だった。嘲りの目も徐々に無視できるようになってきた。ふと立ち止まって考えた。自分が勤務している会社は何という社名? どこにあるのか? 思い出せなくなっていた。オフィス街に並ぶ主要企業の本社ビル、金融機関、その地下にあるコンビニや飲食店、どのビルに何があるのか概ね記憶にあった。しかし、自分の勤務していた会社だけが思い出せなくなっていた。
なんていうことだ。どうしたらいいんだ。歩道のベンチに座りこみ自分がどう行動したらいいか考えた。職場の上司や同僚の名前を思い出そうとした。友人の名を思い出そうとした。親類も思い出そうとした。誰の顔も名前も出てこなかった。テレビで見かける芸能人はすぐ名前と顔が一致した。日頃通勤途上でよく見かける人や、行きつけの飲食店の店員など、個人的につながりのない人たちの顔はすぐ浮かんできた。しかし、個人的なつながりのある人は全く思い出せなくなっていた。
尿意を催した。そばにあった公衆便所に入ろうとした。
あの世界は女子トイレしかなかったので、いつもの習慣で女性用に入ろうとした。
「何この人、痴漢? 変質者? 警察呼ぶわよ。」
出てきた女性に騒がれ、あわてて男性用に入った。
「なんだ、お前。そんな格好して入ってくるのかよ。馬鹿じゃないか。」
男子トイレにいた若い男から罵声を浴びせられた。しかし、入るのを咎めるようなことはなかった。前にこの世界にいたときの習慣が戻り、小便器の前に立った。スカートをはいていることにちょっと違和感を感じたが、めくり挙げて放尿のためのモノを出そうとした。しかしそれはなかった。自分にはないという事実を改めて実感した。個室に入りスカートをめくりショーツを下ろししゃがんで放尿するしかなかった。
この世界に自分の居場所が消滅していた。着の身着のまま城郭から抛り出され、食糧も金も全くもっていなかった。本当にホームレスになるしかなかった。とりあえず、公園の水飲み場で喉を潤し、ゴミ箱に捨てられていたコンビニ弁当の残骸を集め、食べ残しを口に入れ飢えを満たした。歩道橋の下の段ボール箱の中にいたホームレスからも嘲りの目で見られた。ホームレスとしての生活のノウハウも無かった。女の服を着て竿を切り落とし、玉だけは健全で性欲の衰えない変態ホームレスが落ち着ける場所があるのだろうか。わからなかった。
女子高生の服を脱げば少なくとも「変質者」ではなく単なる「ホームレス」になれるんじゃないか。埃だらけのブラウスのボタンをはずした。現れたのはまだ埃まみれにはなっていない白いブラジャーだ。
「お前、下着も女物か、変質者だな。」
道端で寝転んでいたホームレスにまで変質者呼ばわりされた。スカートを脱いでもショーツがあらわになるだけだ。女物の下着だけでいるのと、全裸になるのと、このまま女子高生の服を着ているのと一番まともなのはどれだ。まともというより警察沙汰にならないようにするにはどうしたらいいのか。結局、ブラウスとスカートのままでいるしかなかった。
街の人たちの目から逃れるにはどうすればいいのだろうか。街を離れて郊外へ、農村へ行けばいいのか。人目は減るが、食べる物があるのかどうかが気にかかる。田舎にホームレスがいないのは都会でないと生きていけないからだろう。それではどうしたらいいのか。人目は避け、都会から離れず、とりあえずビルの隙間、公衆トイレの裏、階段の裏、そんなところに日が暮れるまで身を隠すしかなかった。とり
あえず夜に行動するために人目につかないで身体を横たえ休める場所を見つけなくてはならなかった。
公園の公衆トイレと清掃用具置き場の間の隙間に入りこんだ。いつの間にか寝ていたようだ。気が付くと暗闇だった。
公園を出て飲食店街に行った。酔いつぶれ酩酊状態の若者がいた。帰宅するのか、それらしき若い女性が足早に歩いていた。飲食店もほとんどが閉店していて、そろそろ夜明けが近づいているようで、東と思われる方角がぼんやりと明るくなり初めていた。
飲食店の並ぶ路地のゴミ集積所には残飯が大量に捨てられていた。空腹に耐えきれず思わず残飯を口にした。中華料理屋の残飯のようだった。傍らにすてられていたプラスチック容器に残りの残飯を詰め込み持って行こうとした。
「バカヤロー、俺のシマをあらすんじゃねえ。」
初老のホームレスがゴミ袋を投げつけてきた。慌てて残飯を入れた容器を抱えて逃げ出した。
「オカマ野郎か。なんだ、あんな恰好しやがって。」
残飯を抱えたまま、町を飛び出した。恐ろしかった。自分の居場所がなかった。ひたすら逃げた。徐々に空は白み夜明けが近づいたようだった。誰もいないところ行こう。木の実でも草でも食べられるものはあるはず。とりあえず工事現場の片隅に入りこみ、持ってきた残飯を口に入れた。美味しかった。なんでこんなまだまだ食べられるものを捨ててしまうのだろうか。都会の贅沢、無駄遣いにほっとしながら
食べつくした。工事用の水道で水を腹に流し込み、郊外に向かって歩き始めた。ひたすら歩いた。見覚えのある街だったが、徐々にビルは少なくなり、ところどころ空地も見え始めた。少し明るくなり始めたが、早朝のせいか歩いている人は疎らだ。
いつの間にか見覚えの無い町になっていた。街路表示やときおりある看板も聞いたことのない地名の羅列だった。不思議なことに、とっくに夜が明けて明るくなっていいはずなのに、夜明けのぼんやりとした明るさがずっと続いていた。曇っているのだろうか。
人影も少なかったが、さすがに時折すれ違う人もいた。街中を歩いていたとき通行人は侮蔑の目を向けてきたが、次第にそのようなことはなくなってきた。すれ違いざま「おはようございます」と笑顔で声をかけてくる人もいた。自分の姿を道路脇の家のガラス戸に写し姿を確認したが、相変わらず薄汚れたプラウスとスカート、顔は男丸出しだ。それでも馬鹿にするような目つきをする人がいなくなった。
いつの間にか家並みも疎らになり、すれ違う人も更に減った。そのすれ違う人たちはいつの間にか男性がいなくなり女性だけになったようだ。庭で草取りをしている人も、洗濯を干している人も見かけた。畑で作業している人もいた。みんな女性だけになっていた。
更に歩き続けると、人家も女性の姿もなくなっていた。荒涼とした風景が広がりいつの間にか未舗装となった狭い道がひたすら前に続いていた。そのうち、徐々に周りの木々が増し、道は狭まり、深い森の中に入っていった。既に2度通ったあの森だった。足元には同じように下草に覆われた獣道が続き、疲労は増してきたが無意識のうちに足を前に進めていった。方向感覚も分らなくなった。どちらへいけば元
の世界なのか、このままいけばまたあの城郭に戻ってしまうのか、それとも別の方角に向かって歩いているのか全くわからなくなった。足を止めて下草に腰をおろし休みたかったが、「休むな、歩き続けろ」と頭の中に無言の命令が響き渡っていた。歩き続けるしかなかった。
疲労と空腹は限界を超え、意識にも障害がでてきた。それでも足はまるでぜんまいじかけのおもちゃのように、前へ前へと進んでいた。しかし、徐々に足の動きは遅くなり、やがて止まった。止まると同時に身体はうつ伏せに倒れた。意識は遠のいていった。
ふと明るくなったような気がして、目が覚めた。顔を上げて周囲を見回すと、前方数百メートル先で鬱蒼とした深い森は途絶えていた。
最後の力を振り絞って起き上がった。ゆっくりと深い森の外に向かって歩き始めた。森を抜けると、前方には古色蒼然とした城郭が聳えていた。城壁は果てしなく続き、空は抜けるような青空だった。乾いた砂地に倒れ込んだが、必死に力を振り絞って這っていった。城門の前に到達したところで力尽きた。