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深い森の彼方に 改訂版  作者: とも
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司令官は司令本部の前庭に立って出迎えていた。

「朝早くから恐縮です。あのフリヒラ女が昨日から出没していまして、特に今朝は我軍の施設内にまで入り込む恐れがでてきたので、御足労願いました。」

「さきほど、基地の柵の外の繁みで奇声を発しているのを見掛けました。まだ基地の中には入ってきていないと思います。」

「基地内に入ってきたらいかがしましょうか。即刻射殺することも考慮し、狙撃手も用意してありますが・・・」

「どんな犯罪人でも殺してしまってはおしまいです。処刑というのは、単に感情的な報復であって何の解決にもなりませんから。まして、この世界に大きな損害を被ったわけではないので、絶対に射殺してはいけません。」

「わかりました。万が一に備えるだけにしておきます。」

「恐らく、あの女は精神的にダメージを受けています。拘束して薬物療法で対処すべきかと思いますが、準備はできますか。」

「衛生兵に指示しておきます。」


基地内のパトロールのため司令本部の建物から離れた直後だった。

「あ、いた。ついに見つけた。」

こちらに向けて髪を振り乱し、スカートの裾が捲れるのもものともせず走ってくるのはピンクハウスだった。

「お前のせいだ。あたしをこんな体にして。」

激しく罵倒する相手は私だった。

「そんな服を着てごまかして。お前がリーダーだったんじゃないか。」

ピンクハウスを取り押さえようとする兵士を制した。

「あたしは大勢から聞いたよ、お前がリーダーだってことを。」

「私はリーダーじゃない。勘違いをしている。」

「あたしに切り付けた時と服を替えたって無駄。すっかりお見通しだからね。」

ピンクハウスは私のスカートをいきなりめくった。

「ほら見てごらん。私の体を切断したナイフだ。何よりの証拠だ。」

いきなり私の太ももに装着したナイフを奪い取ろうとしたピンクハウスを、兵士が駆け寄り羽交い絞めにした。

「危険です。この女は何をしでかすかわかりません。拘束しましょう。」

「やむを得ないです。手荒なまねは控えてください。」

兵士はピンクハウスを引き立てて軍用ジープに乗せると立ち去っていった。

「兵舎に救護所が併設されています。精神疾患を担当する衛生兵がいますので安定剤を処方し落ちついてから尋問したいと思います。」

「私にも立ち会わせてください。でもあの女は、しばらく見ないうちにずいぶん女らしくきれいになりましたね。」

司令官とともに、司令本部に入った。

「気になることがあります。あの女は私に向かって、「お前がリーダーじゃないか」と言っていました。何でそんな勘違いをしたのでしょうか。」

司令官はしばらく沈黙していた。

「あの女の言っていることは間違っていません。」

「・・・」

「あなたは私たちのリーダーです。」

「でも、リーダーはちゃんと別にいる。」

「いえ、リーダーはあなたしかいません。ここはあなたの世界なのですから。」

「しかし・・・」

「総裁にも、運転手にも確認してください。この世界のリーダーはあなたなのです。私たちはあなたのこの世界を、あなたが考えているとおりに運営しているだけなのです。」

「そんな・・・」

兵士が司令官室に慌てふためいて入ってきた。

「あの女が行方不明です。」

「いったいどうしたんだ。」

「ベッドに拘束し、安定剤を注射して眠らせていました。しばらくしたら目をさまし、トイレに行きたいと言い出したのです。落ち着いた話しかただったので、拘束を解きトイレに行かせたところ何分たっても戻らず、周囲を残らず捜索したのですが、見つかりませんでした。」

「トイレに行っている最中は監視していなかったのか。」

「トイレに入るところまでは確認しましたが、中に入ったところで目を離してしまいました。申し訳ありません。腰縄を着けたままにしておくべきでした。」

「もういい、捜索を続けろ。」

私は、もうピンクハウスと会うことはないと確信した。彼女は自分の世界に戻ったのだ。いや、戻ったというより彼女のいる世界とこの世界が別れていったのだろう。

「リーダー、取り逃がしてしまって申し訳ありません。」

「やむを得ないと思います。」

「次からは不審者を拘束した時は、監視は厳重にします。ところで、リーダーに合わせたい人がいるのですが、明日、地下街の管理事務所へおいでくださいますか。」

「わかりました。明日昼ごろ地下街に行きましょう。」


本部に顔を出した。

「お疲れ様です。フリヒラ女がトラブルを起こしたそうで・・・」

「しかし、もう会うことはないのかもしれません。」

「そうですね、この数日、他の世界との共鳴が激しくなっていたのですが、今日昼ごろからだいぶ落ち着いてきました。もうこのようなことは起きないと思います。」

しばらく会話は途切れた。

「彼女は私のことをリーダーと言っていました。」

「その点についてはあの女の言うことは正しいのです。」

「私がリーダー?」

「そうです。あなたがこの世界のリーダーです。どこでそのことがあの女の耳に入ったのかはわかりません。でも事実です。」

「私があの女の股間を切断したような言い方を・・・」

「その点は誤解というか、事実関係が混乱していたように思います。あの女のリーダーはあの女の世界のリーダーです。そのリーダーがどのような人物かはわかりませんが、あなた、つまりこの世界のリーダーとは違います。」

「彼女は、自分の世界とこちらの世界との区別がつかずに、私のことをリーダーと誤解した・・・」

「恐らく、あの女に見えている世界、つまりあの女の世界に、あなたが紛れ込むように見えていたのだと思います。そして、司令官や基地はあの女の世界の統治組織と認識していて、向こうのリーダーが現れる、そこにあなたの姿が混在して同一人物と見えたのではないでしょうか。」

「同じような行動をしていたということですか。服装が違うだけで。」

「リーダーの役割はこの想念の世界では、誰の想念であっても全く共通なのです。」


この日から、運転手も本部の受付も誰もが私のことをリーダーと呼び始めた。町の食料品店でも、ブティックでも、背景であるはずの人たちも私と会話をするのときには生気を取り戻し現実感をもって話をしたが、彼女たちも私をリーダーといった。そして会話を終えると再び背景に戻り会話は理解不能となった。


翌日、司令官との約束どおりに地下街の管理室に行った。

この日の司令官は、管理人として勤務しているようだ。軍服ではなくセーラー服、それに椅子にくだけた格好で腰掛け、向かいの椅子に足を投げ出している。基地の司令官とは別人のような態度だ。

「これはリーダー、こんな恰好をしていて申し訳ありませんでした。」

「いえ、ちょっと早かったでしょうか。でも基地での雰囲気とずいぶん違いますね。」

「まあ、ここでは緊張状態にはありません。気が楽といえばそのとおりですね。それはそうとリーダーに合わせたいという方ですが、今日は天気がいいので地上の公園にいるはずです。私が同行しないほうがいいと思いますので、お一人で行かれたらどうでしょう。」


司令官の指示にしたがって、私は地上に出た。天気がいいこともあり大勢の市民が公園の広場で散策していた。しかし、大勢の市民は基本的には背景だ。老人も子供も中にはいるが大半は美しい若い女性だ。型どおりのにこやかな表情を浮かべているが、現実感に乏しい光景だ。会話はかわしているものの、全く意味がわからない。

その中に、一カ所だけクッキリと周囲から浮き出た現実感のある光景がぽつんと見てとれた。セピア色のモノクロ写真のなかにカラーの部分があって、それが浮き出ているように見える。そこだけが実在の光景なのだ。そばに近づくと、車いすに腰掛けた老人とその介護をしているらしい純白のナース服姿の若い女性だった。

そもそもこの世界に老人は少ない。最初の宿舎生活では、老人たちが宿舎で傍若無人な態度で仕切っていたが、それも宿舎のあるべき姿が老人という小道具を配することにより成り立っていたはずだ。あとは、年配の女性といえば、宿舎の厚化粧、中年の運転手や受付、せいぜい司令官程度だ。それが、老女が現実の姿としてありありと見えているのだ。

「失礼します。司令官から合わせたい人がいると言われてきたのですが・・・」

ナース服の女性が振り向いた。

「あ、リーダー、わざわざお出でいただいて恐縮です。どうぞ。」

彼女は、車いすの老女の前に行くように促した。

前に回ると、彼女は老人にはふさわしくないようなダークグレーのスーツを着ていた。真っ白になってボリュームも減った頭髪は、それでも長く伸ばし青緑の大きなリボンで纏められていた。薄化粧にエメラルド色のピアス。

「リーダー、リーダーなのですね。」

老女はゆっくりと私のほうに顔を向け、微笑んだように見えた。

「リーダー、何でこんなに・・・」

口は少し動かしているようだったが、やがて眼を閉じた。

私は、老女の手を取って更に声を掛けた。

「リーダー、私ですよ。この世界であなたに女にしてもらった私です。わかりますか。」

老女は目を閉じたまま身動きをしなかった。

ナース服の女性が代わりに応えた。

「この半月ほど、ほとんど会話もしなくなりました。毎日、起きているときもぼんやりとしています。食事も流動食のようなものをわずかに召し上がるだけです。」

100歳を超えているのではないかと思われるような姿だった。前に会ってから1年以上はたっていた。その時は、せいぜい60歳前後の年恰好だった。しっかりとした口調で私に話をしてくれた。それが1年少々でこんな姿になるとは。

「このような姿になったのはいつごろなのですか。」

「私に介護をまかされたのは先月です。その時はお話は一生懸命されていましたが、私にはもう聞き取ることもできないような状況でした。」

「どちらにいらっしゃるのですか?」

「町はずれの老人ホームです。先月、軍の人だと思うのですがホームに連れてこられました。その時から私が介護を。」

「それまで、どちらにいらしたのか・・・」

「私にはわかりません。」

涙が溢れてきた。老女の膝に顔をうつぶせて泣いた。老女は何の反応も示さなかった。

「そろそろホームに戻らなくてはなりません。」

ナース服の女性に声に私は顔をあげた。

「申し訳ありませんでした。くれぐれもよろしくお願いします。」

ナース服の女性はゆっくりと車いすを動かし始めた。町はずれの老人ホームに向かってゆっくりと進んでいく。私はその姿が見えなくなるまで公園に立ち尽くしていた。


私は地下街の管理室に戻った。

司令官はいなかった。その代りに、事務室で書類に目を通していたのは総裁だった。

「会われてきたのですね。」

「リーダーは、何であんなに急に老いてしまったのですか?」

「あのお年寄りはリーダーではありません。リーダーだったのかもしれませんが、この世界のリーダーにはもうふさわしくありません。あなたがリーダーなのです。」

「私がリーダーになったために、年老いてしまった・・・」

「そうではないでしょう、この世界はあなたの世界なのですから。あなた以外にリーダーになりようがありません。」

「しかし、あの人が前はリーダーだった。そして、まわりの人たちもリーダーと呼び、色々なことの指示を受けていた。」

「でも現実には、あなたがリーダーなのです。」

「あなたや司令官は、昔あの人をリーダーとしてあの人に仕えていたのではないのですか。」

「そうとも言えるし、そうでもない。」

「・・・」

「今現在は、私たちはあなたをリーダーとして、あなたの意思に従って行動しているのです。過去がどうだったかということは関係ないのです。そもそも、過去から現在、更に未来に向かって一直線に進行していくような世界ではないのです。現実にあるのは現在だけ、現在が昔を基礎に積みあがっていくようなことはないのです。現在のことだけを信じて、自信をもって行動してください。」


いつもは私の疑問に対して、明確に論理的に解明してきた総裁の言葉にしては要領を得なかった。過去を否定するような言いぶりだった。それが何を意味するのか、先日言っていた時間の動きが向こうの世界と一致していないということに関係するのだろうか。

司令官はリーダーとは懇意に話をしていたはずだ。司令官としては、リーダーとの関係の延長線上に私がいるはずだ。リーダーは、最後に会話をしたとき、司令官と総裁、二人とうまくやっていけと言っていた。つまり、リーダーはこの二人を熟知していたはずだ。ということは、リーダーと総裁とも間も密接な関係があって、その延長線上に私との関係があるはずだ。しかし、総裁は、リーダーの過去の関係はすべて捨象しなくてはならないような言い方だった。私とリーダーとの関係もよくわからない。

しかし、リーダーがあのような状況になっている限りは、私がリーダーにならざるを得ないことは明らかだった。


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