第5話 海に棲む怪物
名物と言われていたジェットコースターに物足りなさを感じつつ、海を象った船着き場までやってきた。
私は、内心とてもがっかりしていた。
ジェットコースターには、かなり期待をしていたからである。
肩透かしを受けて項垂れていると、
「そこのお兄さん」
呼びかけられて振り向いた。
「お兄さん、もうじき出港するよ」
船着き場で猟銃を手にした、海の狩人らしき青年が私を手招きしている。
「さあ、お兄さん。仲間たちが待っているよ。みんなと一緒に、海の怪物を退治しようじゃないか」
そういう趣向のアトラクションなのだろう。船着き場の看板には、「アクアツアー」の文字が見える。私はそこで、七不思議のひとつを思い出した。
-海に棲む怪物…。
フグの頭と人の体を持つ半魚人を目撃した人が相次いだという。
「さすがに、これは何かの見間違えだろうな」
私がひとりつぶやくと、狩人の青年が小首を傾げた。そこで、私は青年に向けて手を上げる。
「私も乗せてくれ」
青年は笑顔で私を迎え入れてくれた。
私を乗せると、船はすぐに出港した。白い波を立てて船が進んでいく。
私は周りを見回して乗客を確認した。どうも男女のカップルが多いようだ。私は、少しばかり居辛さを感じて、デッキの端に身を寄せた。
そこで、私と同じように、デッキの端で海を眺めている小さな姿を見つけた。巨人の野球帽を被った、あの男の子である。
「やあ」
声をかけると、男の子はちらりとこちらを見て、すぐに元に戻した。
無口な少年なのだろう。私は構わずに話しかける。
「君はひとりでここへ来たのかい?」
予想はしていたが、返事はない。
「おじさんはね、仁木直人っていうんだ。君の名前を教えてくれないかな」
「一ノ瀬蓮」
きっと答えないだろうと思っていただけに、私は驚いて蓮と名乗った男の子をまじまじと見つめてしまった。蓮は居心地悪く思ったのか、私から顔を背ける。
「あ、ごめん。そっか、蓮君か。広い遊園地の中で、こうも出くわすのはなにかの縁かもしれないな。よろしく頼むよ、蓮君」
蓮は海を見つめたまま、私に答えることはもうなかった。
「この度は、我が愛船である裏野ドリーム号へのご乗船をまことにありがとうございます。私は船長の原田と申します。どうぞよろしくお願い致します」
原田船長が恭しく頭を下げると、乗客から拍手が上がった。
「みなさん、この海には怪物が棲むという伝説があるのをご存知でしょうか。
その昔、ひとりの漁師がおりました。その漁師は、魚を殺すのが好きで好きで堪らなかったのです。毎日、魚を捕ってはあらゆる殺し方を試しました。そして、ついに、海の主にまで手をかけようとして、その怒りをかったのです。漁師は、体が人で頭が魚という半魚人の姿へと変えられてしまいました。
そういう伝説が残っているのですが、それも昔の話。今はただの穏やかで美しい海です」
そう言って原田船長はにこやかに笑った。
「でも、万が一に怪物が現れたなら、私がこの猟銃でみなさんをお守りしますので、どうぞご安心下さい」
上空に向けて1発放つ。
「え…?」
私は、思わず声を上げてしまった。
その音が、演出のように思えなかったのだ。銃口からは煙が上がっている。また、鼻を刺す硝煙のにおいもした。
空砲…だろうか。
しかし、遊園地のアトラクションに本物の猟銃を使うことなどあるのだろうか。
私は周りを見回してみるが、誰ひとりとしてそのことを気にとめた乗客はいないようであった。
困惑していると、突如悲鳴が上がった。
振り向くと、若い女性が隣の青年に抱きつきながら、ある方向を指で差し示している。
「怪物だ!」
誰かが叫んだ。それとほぼ同時に、またも悲鳴が船内に轟いた。
私も女性が指差した方に目を向ける。
「……っ!!」
情けないことに、私は悲鳴を上げることすらできなかった。目の前のモノを認識することができずに、ただ声をのむ。
波間に見えたそれは、頭がフグで体が人のような…先ほど原田船長が語っていた、伝説の半魚人のような姿をしていた。
その半魚人が、頭の割りに小さすぎる体をばたつかせながらこちらに突進してくる。
「みなさん、下がって!」
原田船長が叫んだ。
「まだ生きていたのか。しぶとい怪物め」
ずどんっと1発、猟銃を撃つ。
耳をつんざくような凄まじい叫び声を上げながら、半魚人は海へうつ伏せに倒れ込んだ。暴れることはななくなったが、いまだぴくりぴくりと痙攣を繰り返している。
私はあまりのことに、口を開けたまま呆然とその光景を眺めていた。
-これは、果たして本当に遊園地側の演出だろうか…?
いや、違う。私は即座にそう思った。
半魚人が倒れたあとに海を真っ赤に染めたモノが演出だとは、私には到底思えなかったのだ。
白昼夢にでもあったかのようにぼうっとしていた私は、気がつけば船着き場まで帰ってきていた。辺りにはもう、原田船長も乗客もいなかった。
蓮の姿もなかった。
私は海を見つめる。
波ひとつなく濁り気もない、澄み渡る水の絨毯がそこには広がっていた。