第3話 お城の拷問部屋
男の子を追って走ってきた私は、気がつけば、裏野ドリームランドの象徴ともいえるドリームキャッスルの前にいた。
その佇まいは、10年前となにも変わってはいなかった。
-10年前のあの日、私はここに倒れていたのだったな…。
思えば、とても感慨深い。ここは、私の記憶がはじまった場所なのである。今の私が生まれた場所と言っても過言ではない。
物思いに耽っていると、お城からリズミカルな音楽が聞こえてきた。
さあさあ、みなさん。
その門をくぐってごらん。
お城の中では1日限りの舞踏会が開かれているよ。
各国から集まった王子様やお姫様たちと一緒に、みんなも日常を忘れて踊り明かそうじゃないか。
さあ、そこのきみ、その門をくぐってごらん。
明るく楽しげな文句に誘われるように、気がつけば、私はお城の門をくぐってしまっていた。
お城の中は、確かに舞踏会場となっていた。足を踏み入れた私を、美男美女が迎えてくれる。
活力を感じさせる濃い緑色のドレスに身を包んだ茶髪の女性に、極上の笑顔とともに手を差しのべられた。つられて私も手を伸ばす。その手を、女性がそっと包み込むように握り込むと引いた。そして、舞踏会場の中心へと連れて行こうとする。
「待ってくれ。私は踊れないんだ」
だが、女性は聞こえているのかいないのか、私の手を離そうとしない。会場の中心に着いた時、ようやく手を解放された。
女性はひとつウィンクを投げて寄越すと、私の前で華麗に舞い踊る。見とれている私に、女性がちらちらと目配せをした。
-こんなふうに踊れということかな…。
そう思った私は、女性に倣って踊りはじめる。
それは、踊っているとはとても言えないほど、我ながら無様なものであった。だが、なんだかだんだんと楽しい気分になってきた。自然と笑顔が溢れる。気がつけば、私は声を上げて笑っていた。
ああ、なんて楽しいのだろう。
こんなに高揚とした気持ちになるのはいつ以来か。
ああ、楽しい。
この時間がいつまでも続けばいいのに。
このまま、この美しい女性といつまでも踊り続けていたい。
…終わりなど、もう永久にこなければいい…。
そこまで思った時、唐突に私は現実へと立ち返らされてしまった。
「呑み込まれないで」
はっとして踊るのをやめた。
額からは滝のように汗が流れ、顎を伝って滴り落ちている。
心臓の音が耳元で聞こえるようだ。かなり息も上がっている。
一体どれほど踊り続けたのか。いや、それよりも、ある現実が私を凍りつかせていた。
「…どういうことだ…?」
私は、ひとりだった。
一緒だった女性はもとより、部屋にひしめき合うように踊っていたはずの人々が跡形もなく消えていたのである。
変わらないのは、暗がりの中に流れるように灯るイルミネーションと楽しげな音楽だけだ。
そのイルミネーションにより浮かび上がった影に、私は思わず声を上げそうになった。だが、なんとか堪える。それは、私が先ほどまで探していた人物だったからだ。
「君は…」
声をかけながら近づくが、今度は逃げるつもりがないらしい。暗がりで顔はわからないが、その背丈とイルミネーションに照らされて見える巨人の野球帽が、先ほどの男の子であることを知らせていた。
「君、ひとりなのかい? お父さんやお母さんは一緒じゃないのかい?」
男の子は答えない。
「子供がひとりでいるのはよくないぞ。お父さんやお母さんとはぐれたのなら、私も一緒に探してあげよう。まずは迷子センターに行って、お父さんたちを呼び出してもらおうか」
そう言いながら男の子の手を優しく引いた。しかし、男の子はその場所を動こうとはしなかった。
少し怪しかったろうかと思い、男の子の様子をうかがう。その時、男の子の背後の壁に妙な窪みがあることに気がついた。
私は、その窪みに手を伸ばす。触った感じが、どことなくただの壁ではないように思えた。
少しだけ力を込めてみる。すると、壁がへこみ、人ひとりがようやく通れるほどの幅の階段が姿を現したのだ。
隠し扉である。また、階段は下りの仕様となっていた。
私の脳裏に七不思議の噂話が甦る。
-お城の拷問部屋、か…。
拷問部屋があるかはさておき、この階段は確かに地下へと通じていそうだ。
ルポライターとしての血が騒ぐ。
噂の出所を知りたいという衝動を抑えられなかった私は、隠し扉の階段を下りようと一歩を踏み出した。
「やめて」
すぐ近くで声が上がる。それは、先ほどのダンスを中断させた声と同じものだった。
「その階段を下りないで」
そう言うのは、野球帽を被った男の子だ。
「ああ…まあ、確かに無断で踏み込むのはよくないよなあ」
私は、きょろきょろと辺りを見回してみる。目を凝らすが、どこにもスタッフらしき姿はない。
「ひとこと断ろうにもスタッフが見当たらないんだよ。それに、入られて困るようなところには鍵をかけておくものだろう? それがかけられていないのだから、入ってしまっても仕方ないんじゃないかな」
子供相手にこんな屁理屈をこねるなど、私は大人として失格かもしれない。それでも、この扉の先を見てみたいという衝動を、私はどうにも抑えることができなかった。
「少しのぞいて見るだけさ。すぐに戻れば問題ないよ」
誰への言い訳なのか。自嘲するように笑みを浮かべると、まっすぐにこちらを見てくる男の子の視線から逃れるように、足早に階段を下りて行った。
階段を下りきった私は、足元すらも見えない闇を前にズボンのポケットを探った。指先が目当ての物に触れたのを確認すると、迷わずそれを取り出す。そして、その蓋を開けてフリント・ホイールを親指の腹でこすった。
ぼっと音を立て、辺りを温かい炎の色が覆う。
階段の下は地下通路になっていた。見たところ分かれ道などない。1本の細い道を私はただ進んだ。そうして、それは私の目の前に現れたのである。
扉だ。
見るからに頑丈な扉がそこにあった。
「これが、地下室か…?」
扉に触れる。ひんやりとした鉄の感触が手のひらに伝わった。
「鍵は…」
おそらくかけられているのだろうと思ったが、試しに鉄製の輪っかになっている取っ手に手をかけ、引いてみる。ふわりとした感覚があり、鍵などはかけられていないようだった。
少しばかり拍子抜けしながらも、扉を開こうと力を込めた。その時、
「開けちゃダメだよ」
背後で制す声が上がった。振り向くと、そこには先ほどの男の子が立っていた。
「その扉を開けないで」
男の子はなおも言い募る。
私は迷った。扉を開けるか開けないべきか…。
いや、迷うことなどないのだ。私は、明らかに悪いことをしている。無断で地下に下り、その先にあった扉を勝手に開けようとしているのだから。
だが、それでも、「開けるな」と言われれば開けてみたくなるのが人情というものだろう。そうでなくとも、私のルポライターとしての好奇心は、もう抑えが利かないところまできてしまっていた。
「すまない。いけないことをしているのはわかっているんだ。けれど、どうしてもこの先を見てみたいんだよ。ただ、見るだけだから」
私はそう言うと、取っ手にかけたままの手に力を込めて引いた。
ぎぎぎっと、重い音をさせて扉が開かれる。
つんとした埃っぽい臭いが鼻腔を刺激した。
私は、手にしたライターで部屋の中を照らす。
「これは…」
私は、言葉を失った。
そこは、まさに拷問部屋であった。
部屋の中央には、手足を拘束する枷のつけられた椅子がある。また、そのすぐ脇に、同じように拘束具がつけられた寝台も置かれていた。
寝台の上には、荒縄の束があった。太い蝋燭が何本かあって、そのいくつかは使われたらしく蝋が溶けて筋を作っている。それから、革製の鞭とライター、抜き身のナイフも無造作にそこに置かれていた。そのナイフは、刃渡り20センチはあろうかと思われ、形状としては短刀に近かった。
「お城の拷問部屋…本当にあったのか…」
驚愕したまま見入っていると、ライターの火が消えた。唐突に訪れた闇に、私の心臓は早鐘のように激しくうつ。
「…なんなんだ…」
ここは地下で、風などは一切吹いていない。また、昨夜、ライターのオイルを入れ換えたばかりであった。
あまりのことにパニックになりかけた時、消えた時と同じように唐突にライターの火が点いた。
明るくなったことに安堵した私だが、ある違和感に気づく。部屋の様子が、先ほどまでと明らかに違うのだ。
私は、違和感の正体を突き止めるべく、ひとつずつ確認をしていく。
まずは、部屋の中央に置かれた椅子。その脇の寝台。寝台の上には、荒縄があった。そして、革製の鞭にライター。太い蝋燭もある。もしやと思って蝋燭の数を数えてみるが、先ほどと変わらないように思われた。
気のせいだったのか。
いや、まて。なにかが足りないのは確かだ。
私は再度、部屋の中を真剣に見渡した。そして気がついた。
…短刀だ。
寝台に置かれていた抜き身の短刀が、忽然と消えていたのである。
冷たい汗が背中を伝っていく。
それから間もなく、ひやりとしたものが左頬にあてがわれた。
まるでからくり人形にでもなったかのように、私は実にぎこちない動作でもって首を左に回した。
見えたのは、私の左頬にあてられた刃の鈍い輝き。それと、闇に溶けそうなほどに黒くて、長い髪の毛であった。
「よくも…よくも…」
私は、しばらくは誰の声なのかわからなかった。だが、それは、私のすぐ傍で私に短刀を向けているモノから発せられているようだ。地底から聞こえてくるかのような、低く濁った声だった。
突如、ぴりりという痛みが走った。短刀が引かれたようだ。左頬に熱が集中する。
だが、それが良かったのかもしれない。
「わあああああっ!!」
痛みにより自分を取り戻した私は、恐怖にすくむ体を叱咤するように雄叫びを上げると、踵を返して急ぎ来た道を引き返した。
「…よくも…よくも…」
得体の知れないモノが、恨みの言葉を吐きながら黒い髪を振り乱して追ってくる。
その動きは速く、人間の動きとはとても思えなかった。
-まずい。捕まるっ…。
そう思って覚悟を決めた時、ひとつの小さな影が、私と得体の知れないモノの間に割って入るのが見えた。
「やめて!」
その声は、巨人の野球帽を被った男の子のものだ。
「きみ…!」
そう叫んだ時には、男の子の姿は得体の知れないモノが放つ闇の中へと消えてしまっていた。
「くそおおおおおっっっ!!」
私はひときわ大きな声で叫んだ。そして、ひたすら走った。後ろを振り返ることなく、持てる力のすべてを足に集中させるように、がむしゃらに走った。
そうして気がついた時には、私は地下を脱していたのである。
リズミカルな音楽が、どこか懐かしく感じる。
私は、地下への扉を固く閉ざした。張り裂けそうな心臓を押さえながら、しばらくは扉を凝視していたが、どうやらここまで追ってくることはないらしい。
恐怖が少し落ち着くと、今度は大きな罪悪感に苛まれた。
「私は、なんということをしてしまったのだ…!」
得体の知れないモノの前に、男の子を置き去りにしてしまうなんて…。
もとより、こうなってしまったのはすべてが私の責任ではないか。男の子は、ずっと私を止めようとしていたのだ。
それが、私ひとりが危険な目に遭うにとどまらず、私は男の子に助けられたのだ。
そして、私は、そんな男の子を我が身かわいさに見捨てて逃げてきてしまったのである。
しばらくの間、苦悩に頭を抱え込んでいた私は、意を決して立ち上がると地下への扉に手をかけた。
震えが治まらない手に力を込める。
「開けないで」
再び扉を開こうとしたところで、すぐ近くから声が上がった。
暗がりで姿こそよく見えなかったが、その声は紛れもなく先ほどの男の子のものだった。
「ああっ、よかった! 無事だったのか!」
私は感嘆の声を上げる。
安堵のあまり男の子を抱きしめようとして伸ばした腕は、彼に届くことはなかった。それは、男の子がこんなことを口にしたからだ。
「気をつけて。あの人はきっと諦めない。これから、つけ狙われることになるよ」
…どういう意味だろうか。
美しいイルミネーションとリズミカルな音楽のもと、私は男の子の言葉の意味するところを考えていた。