第1話 裏野ドリームランドへ
「本当にすごい田舎だなあ」
電車を3度乗り継いで降りた地は、日本にまだこんな風景があったのかと思うほどの昭和的な景観が広がっていた。
駅員を探したがどこにも見えない。どうやら無人駅のようだ。それもそうだろうと思う。そこは、駅とは名ばかりで待合室すら置かれていない。田畑の中に作られたような駅で、畦道のような所に降ろされてしまった。仕方なく、田畑を目の端で眺めながらバス停を目指す。
「この辺だと思うんだけどなあ」
額から吹き出す汗をぬぐった。
曇り空ではあったが、家を出た時には爽やかだと思った風は湿り気を帯び、じっとりとまとわりつくものへと変わっていた。
駅に着いた時からうるさいほどに聞こえていたひぐらしの鳴き声は相変わらずで、じめじめした暑さと相まって私をより一層陰鬱な気分へと落としていく。
駅からだいぶ歩き、私はようやくバス停を見つけた。急ぎ足で駆け寄り運行時刻を確認する。途端に膝から崩れ落ちそうになるほど、私は愕然とした。
「…2時間」
かなりの田舎であることは知っていたし、1時間くらい待たされるのは覚悟していた。しかし、まさか2時間待ちとは…。
「さすが、田舎だな…」
諦めに肩を落としながら、私は近くのベンチに腰を下ろす。ハンカチを取り出して汗をふくと、ひとふきで薄手のハンカチはじっとりと湿り、その重さを増した。
「タオルを持ってくるべきだったなあ」
つぶやきながら、バッグからペットボトルを取り出した。東京駅で購入したのだが、ここにくるまでの間にすっかり熱を持ってしまっていた。
「この辺に自動販売機なんて、ないよなあ」
ないよりはましだと、私はお湯になりかけているミネラルウォーターをひと口含み、喉の奥へと流し込んだ。喉の渇きは癒えるどころか、余計に酷くなったように感じられた。私は、ひと口飲んだだけで蓋を閉めると、ペットボトルを再びバッグの中へとしまい込む。
その時、ぽつりと雫が落ちてきた。見上げると、先ほどまで抜けるような青空が広がっていたが、そこに黒い雲がかかりはじめている。
「…降り出したか」
私は、安堵して息をついた。雨は傘などいらないほどの小雨であったし、周りの気温がいくらか下がったように感じたからだ。
それからどれほど経ったろうか。
降り続ける小雨は相変わらずで、しだいに視界に靄がかかりはじめた。
霧が出てきたようだ。
霧は、瞬く間に濃いものへと変わっていった。
「…あれは…」
霧の向こうに影を見た気がした。人の形をした影は、その背丈から子供であるように見えた。
「こんなところに子供が…?」
田畑ばかりが一帯に広がっているが、辺りに民家は見あたらない。不思議に思っていると、霧の中に2つの明かりが見えた。その明かりが近づいてきて、私の目の前で停まった。それは、錆の浮いたバスだった。
もう2時間が経ったのかと思いながら、私は開いた扉からバスに乗り込んだ。
「あんた、どっからきただね?」
乗車して間もなく、運転手が話しかけてきた。車内には私以外の乗客が見あたらない。おそらく、私に話しかけているのだろうと思い、
「東京です」
と答えた。
「東京? はあ、またえれえ遠くからきたもんだなや。もしやと思うけんども、目的は遊園地け?」
「はい」
「なしてまた? あそこはだいぶ前に廃園になっとるでよ」
「それは知ってます。でも、見てみたいんです。たとえ中に入れなかったとしても」
「あんた、七不思議ちゅうのを調べとるんかの?」
「え、はい。まあ、気になるところではありますね」
「やめといた方がええぞ」
「なにかご存知なのですか?」
「あれをおもしろおかしく語っちゃならねえ。あれはみんなほんとのことだ」
「本当のこと…」
「オレはよお、何年もこのバスの運転手をしとる。今でこそ寂れちまったが、遊園地が賑わっていた頃なんかはこのバスも乗客で溢れとったもんだ。んでオレは、実際に体験したっちゅう人たちの話を、このバスの中でずっと聞いとったのよ」
「体験したという人たちの話が嘘とは思えなかった、と?」
「んだ」
バスは、舗装もされていない悪路をがたがたと揺れていく。乗り物には慣れているが、それでも酔い気に襲われた。
40分ほど揺られ続けたバスが、ようやく停まったようだ。吐き気を堪えながら顔を上げる。濃かった霧が晴れていき、遊園地の入り口らしきものがぼんやりと見えてきた。
「着いたよ」
運転手の声に、私はいそいそと席を立つ。お礼を言ってバスを降りようとした時、
「ありゃ、酔っちまったか? 青い顔しとるなあ。これを持ってけ」
運転手がペットボトルに入った未開封のミネラルウォーターを渡してきた。
「え、いいんですか?」
「ん、もう1本あるから構わねえよ。まあ、ちいと温いかもしれんけんども」
「ありがとうございます」
私は深々と礼をして降車した。運転手の言ったように、そのミネラルウォーターは確かに冷えてはいなかった。だが、バッグの中でお湯になりかけているものよりは断然ましだろう。
私は、早速蓋を開けると、ボトルの中身を喉を鳴らして4口ほど飲んだ。ひんやりとしたものが嚥下していく感覚に、ようやく気分が和らいだようだった。
ふと、その時である。賑やかで楽しげな音楽がすぐ近くから聞こえてきたのだ。
「…どういうことだ…?」
音楽につられて振り向くと、そこには裏野ドリームランドの大きな正門があった。それだけならば何の問題もない。だが、音楽はその門の中から聞こえてくるようだった。そればかりではない。子供たちのはしゃぎ声までが、しっかりと耳に届いてきたのだ。
「廃園になったんじゃないのか…?」
バスの運転手は、確かに「廃園になった」と言っていた。私は胸元を探る。がさっと音を立て、胸ポケットに入れた新聞記事の写しを取り出して見た。そこには、「裏野ドリームランドは廃園となった」とはっきり記されている。私は訳がわからないまま、正門をくぐった。
「いらっしゃいませ」
切符売り場の女性が笑顔で私を迎える。
「あの、この遊園地は営業しているんですか?」
「はい、営業中ですよ」
「10年前に廃園になったのではないのですか?」
私が新聞記事の写しを見せると、女性はうなずいて答えた。
「はい、廃園となりました。ですが、本日だけ営業を再開しているんですよ。実は、この裏野ドリームランドはついに取り壊されることが決まりまして、長らくご愛顧頂きました方々への感謝を込めまして、本日のみ無料で開園しているのです」
そして、女性は満面の笑顔を見せた。
女性の話は筋が通っているし、そう言われればそうかと納得もできる。だが、何かが引っかかる。その理由はわかっていた。
それは、先ほどのバスの運転手だ。
なぜ、そのことを私に語らなかったのだろうか。毎日、駅から裏野ドリームランドまでを往復するバスの運転手が、本日特別に開園していることを知らないことなどないはずだ。
あるいは、知っていて語らなかったのか。しかし、その理由に心当たりはなかった。あれほど話好きで世話焼きの人がそんなことをするとは思えない。
きっと、開園していることを忘れていたか、話すのを忘れたのだろう。
私はそう思い無理矢理に自分を納得させると、切符売り場の女性に別れを告げて、賑わう裏野ドリームランドへと足を踏み入れたのだった。