エピローグ ~裏野ドリームランドの奇跡~
裏野ドリームランドで惨殺死体が発見されたのは、夏も終わりのことであった。
腐り落ちた肉の下から白骨が見えはじめていたその死体は、刃先がぎざぎざしたようなもので両足を切断され、割かれた腹からは干からびた臓物が引っ張り出されて辺りに散乱していた。また、硬い物で頭を何度も殴られたようで、頭蓋骨は粉々に砕かれていたという。
最初に気づいたのは、近隣の民家に住む人々だった。悪臭がするという通報を受けて警察が調べにきたところ、惨殺死体を発見したのである。死体は顔の判別などはできなかったが、持ち物から仁木直人という東京のルポライターであることがわかった。
このことは、テレビで全国に報じられた。また、新聞にも大きく取り上げられた。
仁木直人の惨殺死体が出たことにより、裏野ドリームランドは廃園後10年目にして取り壊されることとなった。それと同時に、仁木直人の行った悪行のすべてが明るみとなっていく。
噂のひとつである「消えた子供の怪」だが、その出どころは連続誘拐事件にある。そして、その誘拐を行っていたのが仁木であった。
仁木は、遊園地の権利と菜々を手に入れるため、蓮の誘拐を企てた。蓮のことは写真で知っていたが、それは隠し撮りであったために横顔のみが写されたものだった。そこで、仁木はその写真を頼りに、似た風貌の子供を攫い続けたのである。4人目にしてようやく蓮の誘拐に成功したのだが、あとの3人はまったく関わりのない子供たちだった。
しかし、1度攫った子供たちを親元に返すのも、仁木にとっては危険を伴う行為であった。そこで、仁木は、悪魔の所業に走ったのである。
なにも関わりのない3人の子供たちを、仁木は無惨にも、そして楽しむように殺したのだ。
1人目は、アクアツアーの海に落とされ、腰に縄を結ばれた状態でまるで鵜飼いの鵜のように泳がされ続けて溺死した。
2人目は、ボーイッシュな女の子で、メリーゴーラウンドの馬車に閉じ込められたまま延々と回らされ続け、吐瀉物を喉に詰まらせて窒息死した。
3人目は、観覧車に閉じ込められたまま頂上に捨て置かれ、「出して、出して」と言い続けているうちに力尽きて死んだ。
そうして殺した3人の死体は、裏野ドリームランドの名物である第二のジェットコースターの真下に埋められていたらしい。そのジェットコースターは、噂にもあるように事故が絶えず起き続けたという。
他にもある。ミラーハウスには、成人男性と10歳ぐらいの子供の白骨死体。ドリームキャッスルの地下室には、椅子に座らされて両手足を拘束されたままの状態で亡くなっていた成人女性の白骨死体。女性の亡骸のすぐ傍には、親子3人が仲良く写る、古びた家族写真が置かれていたという。
この事件は、15年前に裏野ドリームランドが開園した時以上の反響を裏野にもたらした。
テレビや新聞で事件のことを知った人々が、全国から裏野を訪れる。裏野ドリームランドは取り壊し工事が進んでおり、園内に入ることはできない。だが、それでも事件のあった場所をひと目見ようと、はるばる裏野を訪れては、園の外から消えゆく裏野ドリームランドを見つめている群衆が後を絶たなかった。
裏野に住む人々は、大変な騒動を受けて驚くとともに心を痛めた。
裏野ドリームランドを作ったのは裏野出身の青年であり、小さな町の中において彼と知り合いでない者はいなかったからだ。彼と、彼の家族の死、そして誘拐されて殺された3人の子供たちの死を悼み、裏野の人々は裏野唯一の寺の敷地内に祠を立てた。
その後、裏野ドリームランドの跡地を見てきた旅行者は、その足で寺に参るというのが慣例となったのだ。そこで、祠に向かい手を合わせ、和尚の話に耳を傾ける。
旅行者の中にはこんなことを言う者もいる。
「裏野ドリームランドのおかげで、この町は有名になりましたよね」
その言葉には、廃園後も取り壊さずに遊園地を置いていたのは、町の唯一の名物を失くしたくなかったからではないかとの推察がうかがえる。そんな旅行者に対しては、和尚は決まってこう答えた。
「裏野ドリームランドは、裏野出身の青年が町のためになにかをしたいと考え、苦心を重ねて作った遊園地だ。その遊園地が、地図にも載らないような田舎町を俄かに発展させた。まさに、奇跡を起こしてくれた。その奇跡は、彼だから起こし得たのだと私は思っている。裏野の民ならば、彼のことを知らない者はいない。真面目で明るく正直者。人あたりもよく、老人ばかりの裏野の人々の世話もよくしてくれる、実に気持ちのよい青年だった。そんな彼が私たちのために作ってくれた観光名所だからこそ、私たちは裏野ドリームランドを大切にしようと決めたのだ。突然行方をくらませた彼がいつ戻ってきてもいいように、彼が戻ってくるその日まで裏野ドリームランドを守り通そうと、10年前にみなで誓い合ったのだよ」
そうして、和尚は祠に目を向け手を合わせる。そうすると、面白半分に話を盛り上げようとしていた旅行者であっても、その多くが心から犠牲者たちを悼む気持ちになり、和尚に倣って祠に真剣に手を合わせるのだった。
裏野ドリームランドは、廃園から10年の時を経て取り壊されることとなった。そこには、事件で亡くなった人を悼むための慰霊碑が置かれた。そして、新たな観光名所が建設される予定となっている。
それは、裏野発展のために裏野ドリームランド建設に尽力した一ノ瀬樹の記念館だ。一ノ瀬の両親の協力のもと、彼の35年の生涯のすべてを、記念館という形でこの土地に刻みつけようというものである。
それほど、彼の短い人生の中で、彼が裏野という小さな田舎町に遺した功績は莫大なものとして、裏野の人々の中には深く刻まれているのであった。