第9話 失われた記憶
私は、唐突にすべての記憶を取り戻した。
裏野ドリームランドとは、15年前に私が作ったのだった。
私の名は、一ノ瀬樹という。
裏野で生まれ育ち、18の時に東京の大学へ進学した。その大学で2つ下の後輩に恋をし、告白。意外にも、彼女も私のことを好きだと言う。そこで交際がはじまった。
彼女の名は菜々とった。菜々が、私の地元にも行ってみたいというので、何度か裏野に連れてきたことがある。こんななにもない田舎町など、東京で生まれ育った菜々には退屈なのではないかと思ったが、菜々はとてもよい所だと言って喜んでくれた。
菜々が大学を卒業するのを待って、私は24歳の時に彼女と結婚した。また、菜々の願いもあって、私たちは東京を離れて裏野で暮らすこととなったのだった。私も裏野には戻ってきたいと思っていたので、菜々から申し出てくれた時は本当に嬉しかった。
結婚して1年、私たちの間には男の子が生まれた。その子に、私たちは蓮と名づけた。
蓮は、病気という病気もせず、元気いっぱいにすくすくと育ってくれた。蓮が4歳になろうかという時に、私は裏野のためになにかできることはないかと考えはじめたのである。
裏野には学校がふたつある。小・中学生を1クラスにまとめた学校がひとつと、高校生を1クラスにまとめた学校がひとつあるだけだ。大学に上がりたければ裏野を出て行くしかない。私もそのひとりであった。だが、私はまた裏野に戻ってきた。しかし、1度出て行った若者たちは、その後も都会に就職先を見つけて永住する者たちが多かった。裏野には年寄りばかりが残され、どんどん過疎化が進む一方であった。
私は菜々と相談し、裏野を活気づけるものはなにかと模索した。そこで持ち上がったのが、遊園地だ。この案は、わずか4歳になる蓮の発案である。だが、私も菜々もそれはよい案だと飛びついた。
しかし、私たちにはその計画を進めるだけのお金がなかった。そこで、私は東京まで出向き、大学時代の友人をあたることにした。彼の名は、仁木直人という。頭もよく、ルックスもよく、スタイルもよい。常に女生徒の注目を浴びているような男だった。仁木は、大学で同じ学科を専攻していたが、真面目な私とは違って授業に滅多に顔を出さなかった。私の代弁で出席日数を得、私のノートを見て試験の点数を得て、仁木は首席で大学を卒業して行ったのだった。そんな仁木は、東京にある銀行の支店長を若くして任されていた。そこで、私は彼を頼ることにしたのである。
私は、仁木に会い、裏野に遊園地を作る計画を打ち明けた。そのために、資金を借りたいのだと話した。仁木は、私の計画をばっさりと切って捨てた。裏野などというど田舎に遊園地など作っても、利益などは見込めない。そんな先の見えないものに投資はできない、と。
私は、ショックだった。学生時代にあれほど助けたのだから、なにかしらの援助をしてくれるのではないかと期待していたのだ。しかし、それは甘かったと、私は自分の考えを恥じた。
—そうだ、仁木は今や銀行の支店長なのだ。個人の思いだけで動けるはずなどなかったのだ。また、学生時代にあれほど助けただなどと、それもおこがましい考えだったのではないだろうか。仁木は友人だ。友人を助けるのは当然のことではないか…。
思い直した私は、銀行に援助を求めるのは諦めた。私は、大学時代の友人たち、アルバイトをしていた頃の友人たちを頼り、裏野に作ろうとしている遊園地の建設計画を打ち明けた。ひとりずつ根気よく話をしていくと、彼らの多くは協力してもよいと言ってくれた。資金が溜まると同時に、私は実によい友人たちを多く持つことができたのだなと、感謝のあまりに涙したものだった。
そうして、計画を進めること1年あまり、裏野に初めての遊園地「裏野ドリームランド」がオープンしたのである。
それは、思った以上の反響を呼んだ。裏野に遊園地ができたという知らせを受けて、裏野を出て行った若者たちが戻ってくるようになったのだ。それ以外にも、遊園地ができて数年後、遊園地の完成度の高さがある記者に取り上げられたこともあり、全国から来園者が殺到したのである。地図にも載らない裏野という町は、一躍有名となった。
仁木直人から連絡があったのは、そんな折のことだった。会って話をしたいというのである。
私は、なんの話だろうかと思って会ってみることにした。私は彼を、遊園地の敷地内にある応接間に通した。久しぶりに会った彼は、恭しく丁寧に私に挨拶をする。その態度は、私の記憶にある不遜な彼からはとても考えられなかった。
「久しぶりだな。とてもよい遊園地じゃないか。反響も凄いようだな」
仁木はそう言って、張りつけたような笑顔を私に向けた。
「ありがとう。ところで、今日は一体どうしたんだい? 君から僕に会いたいだなんて」
「お前が作った遊園地を見てみたかったんだよ。あの頃は、援助できなくて悪かったな」
「いや、いいんだ。銀行の支店長が情に流されていいわけがない。見込みのない者に貸せないのは当然のことだ」
「そう言ってもらえると助かるな。ところで…」
仁木の目が変わった。本題に入るようだ。
「この遊園地を、俺に譲ってくれないか」
「なんだって?」
「もちろん、充分な金は払う。建設費用も含めて、かかった分の2倍を支払おう」
「ちょっと待ってくれ」
「なんだ、足りないか? なら、3倍ではどうだ?」
「そうじゃない。僕は、この遊園地を手放すつもりはない」
「なぜだ? 決して損な話ではないと思うがな」
「損とか得とかの話じゃないんだ。裏野ドリームランドは、僕だけのものじゃない。僕たち家族の夢が詰まった場所なんだ。そんな話なら、悪いけれど帰ってくれないか」
そうきっぱりと言うと、仁木からはすっと笑顔が消えた。
「そうか、それがお前の答えか。お前はきっと、その選択を後悔することになるだろうよ」
吐き捨てるように言い残し、仁木は私の前から去って行った。
それから間もなくのことだった。誘拐事件が相次いで起こったのである。3人の子供が、園内で突然姿を消した。そして、4人目に選ばれたのが、なんと私の息子の蓮だった。蓮がいなくなって茫然自失となっている菜々を前に、私も頭を抱えた。そんな時、仁木から連絡が入ったのだ。息子を返して欲しければ、土地の権利書を渡せ…と。
薄々そうだろうと思ってはいたが、仁木が蓮を誘拐したことが事実だとわかり、私はひどく胸を痛めた。私は、今でも仁木を友人と思っていたからだ。
私は菜々と相談し、裏野ドリームランドを手放す決意をした。蓮も悲しむだろうが、蓮の身の安全には変えようがなかった。そうして私は、仁木に土地の権利書を渡したのである。
だが、蓮は帰ってはこなかった。
遊園地が仁木の手に渡るとすぐに、仁木は新たなアトラクションの増築に取りかかった。第二のジェットコースターだという。園内にあるものは子供用だが、大人も楽しめる絶叫系のジェットコースターを建設していた。仁木は、それを裏野ドリームランドの名物として売り込むつもりでいるようだ。
しかし、私にはそんなことはどうでもよかった。重要なのは蓮のことである。
蓮を返すように再三願い出たが、仁木は返すどころか新たな要求をしてきた。私の妻、菜々を差し出せというのだ。私は、そればかりは断固として拒否した。蓮の身は心配ではあったが、菜々の身も大切だ。だが、それを知った菜々は、自分の身と引き換えに蓮を返してくれるよう交渉に行くと言い、仁木に会いに行ったのだった。
仁木は、菜々をドリームキャッスルに呼び寄せた。そして、菜々がひとりで来ることを求めたために、私は園の外で待つしかなかった。しかし、1時間が経ってもなお、菜々も蓮も戻ってはこなかった。そこで、私は仁木に会おうとしたものの、黒服の男たちに門前払いをされてしまったのである。
それでも門の外から何度も訴えかけていると、ようやく仁木が会うと言い出した。私は、「改装中」という看板を下げたミラーハウスに招かれ、扉を開けた。その瞬間、異様な悪臭を感じたのだ。そして、目に飛び込んできたものは、朽ちかけた子供の屍であった。巨人の野球帽を被ったその子供を見て、私は思わず駆け寄る。顔の判別もできないくらいに朽ちてしまってはいたが、服装から蓮であることは疑いようがなかった。
嘆き悲しんでいる私の後頭部に、鈍い痛みが走った。そのまま、私は蓮に折り重なるようにして倒れる。朦朧とする意識の中で、私は人生において初めて憎しみという感情を抱いたのだった。
—許せない。蓮を殺し、菜々を連れ去り、私たちの夢を奪った仁木直人を、絶対に許すことはできない…。
そう思った時、私は悲鳴を聞いたような気がした。仁木のものだったろうか。それとも、私の声だったろうか。だが、悲鳴の直後から途端に痛みが消えたのだ。
私は朦朧とするまま、ミラーハウスをあとにした。蓮が死んだ今、気がかりは菜々のことである。私は、菜々が向かったであろうドリームキャッスルを目指す。そして、ドリームキャッスルを目前として力尽き、倒れたのだった。
その後、意識を取り戻した私はそれまでの記憶をすべて失っていた。また、私の持ち物はすべて仁木の物と入れ替わっていた。いや、体そのものを仁木直人と入れ替えられてしまっていたのだった。
「思い出した?」
傍らで蓮が尋ねる。私は深くうなずいた。
「思い出したならちょうどいい。さっさとその体を俺に返せ。それは俺のものだ!」
鏡の中で、私の姿をした仁木が喚き立てる。
「お前が、蓮を殺した…。そして、菜々を…」
「騙されるお前が馬鹿なだけだろう。お前は昔からそうだった。無知で無能のくせに、いつも幸せそうな面をしやがって。あんな美人の妻は、お前などにはもったいない」
「菜々はどこだ!?」
「あの女なら、ドリームキャッスルの地下室に監禁していたが、もうとっくに死んでいるだろうよ」
「…くそっ!」
「あの女が悪いんだ。俺に靡かず、お前のようなブ男を選んだあの女がな!」
「仁木、お前っ!」
私は思わず殴りかかったが、鏡に弾かれて拳を痛めただけに終わった。鏡の中で仁木が笑い続ける。悔しさに唇を噛みしめた。
「さあ、早くその体を俺に返せ!」
私は、仁木の言いなりになるつもりはなかった。仁木の体になどなんの執着もなかったが、妻と子を殺した男の言いなりにだけはなりたくなかった。「誰がお前の言葉になど従うものか」…そう言おうと口を開きかけた時、蓮が私を制して言った。
「返してあげて」
私は驚いて蓮を見やる。
「どうして? あの男は、蓮を殺した男なんだぞ。それだけじゃない。お母さんも殺されたんだ。そして、お父さん、お母さん、蓮の夢を奪った男なんだぞ!?」
「だからだよ、お父さん」
「え?」
「だから、あの人に体を返してあげて」
蓮がなにを思ってそう言ったかは私にはわからない。だが、ここは、園内で起こるさまざまな怪奇から私を守ってきてくれた蓮に従うべきだと、そう思った。私は、鏡の中の仁木に言う。
「仁木、お前にこの体を返してやる」
すると、まばゆいばかりの光が部屋中を満たした。気がつくと、私は鏡の中にいた。隣には蓮もいる。私は、一ノ瀬樹の姿に戻っていた。
「おかえり、お父さん」
蓮が笑う。
「ただいま、蓮。あの時…守ってやれなくて、ごめんな」
突如高笑いが起きた。見ると、体を取り戻した仁木が歓喜の声を上げている。
「やった! 俺の体だ! ついに取り戻したぞ!」
私は、傍らの蓮に目を向けた。
「これで、本当によかったのかな。蓮とお母さんを殺し、お父さんたちの夢を奪った仁木だけが目的を遂げて幸せになるなんて…こんな話、あっていいわけがないのに」
「幸せ? 違うよ、お父さん」
「え?」
「あの人は不幸だよ。この上なく苦しい最期を遂げることになるんだ。…これからね」
ぎぎぎぃ……。
重々しい音を立て、扉が開かれた。
鍵をかけたはずではあったが、いつの間にか開けられていたらしい。喜びに笑い声を上げていた仁木だったが、そちらを向くと同時にその顔を引き攣らせた。
「お…お前らは…」
扉を開けて現れたのは、長い黒髪を靡かせて短刀を手にした女と、その後ろから続くようについてくる異様な雰囲気を湛えた数人の子供たちであった。
彼らは無言で仁木に近寄ると、その身を囲んだ。そして、女は、にやりとひとつ笑みを浮かべると、仁木の腹に短刀を突き立てたのだ。呻き声とともに仁木が倒れる。それを見計らったかのように、子供のひとりが金槌で仁木の頭を砕きはじめた。またひとりが、仁木の足をのこぎりで切断していく。もうひとりいた子供が、割かれた腹から臓物を引っ張り出して遊んでいた。
私は、その凄惨な光景に息をのんだ。仁木の体はぴくりぴくりと小刻みに痙攣し、あの状況でもまだ生きていることがうかがえた。その光景を、傍らの蓮が無表情に眺めている。
仁木は確かに憎い。だが、私は目の前で起きていることを見るに堪えられなくなり、つぶやいた。
「もう、いい。もう、やめてくれ…」
すると、それまで仁木を刺し続けていた女が、こちらを見た。長い髪に覆われていて見えなかった顔が、正面を向くことで明らかとなる。それは、紛れもない愛する妻…菜々のものであった。
「あなた…蓮…」
「菜々…!」
菜々が手にした短刀を捨てる。
「お母さん、こっちにおいでよ」
蓮がそう言うと、菜々からはそれまでの憎悪と憂いの表情が消えた。そして、こくりとうなずくとともに、まばゆい光に覆われた菜々は吸い込まれるように鏡の中へと消えて行ったのである。