プロローグ ~繰り返される夢~
夢をみた。
遊園地ではしゃぐ親子連れの夢だ。
顔ははっきりとしないが、長い黒髪が印象的な美しい佇まいの妻と10歳かそこらの元気な息子を連れている。
息子が、なぜか私に手鏡を差し出した。のぞいてみるが、そこに映っているのは、記憶にない、だがどこか懐かしさを感じる平凡な顔立ちの男だった。
「また、この夢か…」
鳴ってもいない目覚まし時計のアラームを解除しながら、私は起き抜けにつぶやいた。そして、ファンが回る音に気がつく。音の出所はすぐにわかった。そちらの方へと手を伸ばし、つけたまま眠ってしまっていたらしい扇風機の電源を切る。そのまま、テーブルの上に無造作に置かれた、新聞記事の写しに手を伸ばした。暗記するほどに読み返したその記事に再び目を通す。
それは、10年ほど前に廃園となった遊園地に関する記事であった。
私の名は、仁木直人という。45歳にして、フリーのルポライターをしている。
仕事は上々…とは、とても言えない。だが、ひとりで食べていく分には困らないだけの稼ぎはある。
そう、私には家族はいない。結婚した経験もなく、もちろん子供もいない。いい歳をして、気ままなひとり暮らしを満喫中であった。
1ヶ月ほど前に、都心から外れた安アパートに引っ越してきた。というのも、近頃はいつも以上に仕事がうまくいっていなかったからだ。そんな心労のためか、はたまた新しい部屋に慣れていないためか、引っ越してきてから毎晩のように夢を見た。
私は、家族とともに遊園地にいた。もちろん、前述したとおり私に家族はない。だが、夢の中では、私には美しい妻と元気いっぱいの息子がいたのだ。そして私はと言えば、中肉中背で、どこにでもいるようなありふれた感じの青年の姿をしていた。しかし、私はこれに弁明を加えたいと思う。
実際の私は、身長が180を超え、スリムだがほどよく筋肉のついた、世の男性が理想とする体つきをしていた。顔つきも充分に美男に分類されるものだと思っている。いや、私が一方的にそう思っているわけではない。実際に、人からよく言われるのだ。「モデルの仕事をしているのか」や「顔立ちが整いすぎていて、かえって女性が近寄りがたい雰囲気を出しているのではないか」などと。以前、「結婚詐欺をしていそう」と言われたこともあるが、それほど私に不向きな職業もないだろうと思う。言った本人もそう思ったのか、ひとりでくすくすと笑っていた。
詐欺ができるほど器用で口がたてば、もう少し仕事もプライベートもうまくいっていたことだろう。私は、性格的に真面目すぎたのかもしれない。
脱線してしまったが、夢の話に戻ろう。
夢の中で、家族3人、仲睦まじく過ごしているのだ。まあ、ただそれだけだ。他に何か展開があるわけではない。中肉中背の自分と美しい妻、元気な息子が笑い合っている…そんな、どこか懐かしさを覚える情景を1ヶ月もの間、繰り返し夢に見続けていたのだった。
同じ夢を繰り返すというのも気になるが、それ以上に気にかかったことはその場所である。
裏野ドリームランド。
某県の裏野という、地図にも載らないような小さな田舎町にある遊園地が、夢の中の舞台であるようだった。だが、この遊園地は10年前にすでに廃園となっている。
私は、この遊園地を知っていた。私の中にある最も古い記憶…それが、この裏野ドリームランドなのである。
私には、10年前…35歳よりも以前の記憶がない。出身はどこなのか、家族はいるのか、自分が誰なのかなどもすべてを忘れて、私はひとり、裏野ドリームランドにあるドリームキャッスルの前で倒れていたらしい。ズボンの後ろポケットに入っていた財布の中の免許証から、名前と年齢や居住地はわかったのだが、私を引き取りにくる者はなかった。
警察に保護されてから1ヶ月が過ぎても、捜索願いが出されたという知らせもない。もしかしたら、私はもともと天涯孤独の身の上だったのかと思い、それ以降は月に1度、医師の診察を受けながらひとりで生活をするようになった。
それまでやっていただろう仕事についても綺麗さっぱりと忘れてしまっていたが、警察は私に職業安定所などを紹介してくれて私の社会復帰を援助してくれた。
職業安定所に通いつめていたある日、「ルポライターとか、記事を書くのって楽しそうだな」と冗談半分でつぶやいたら、私の担当の警察官が知人を紹介したいと言ってきた。その人は著名なルポライターであり、私はそのルポライターに弟子入りしたのだが、去年独立した。そうして、今に至っているのである。
私は、繰り返し夢を見るうちに、この夢は何かのお告げではないかと思うようになった。こんな発想は、人に聞かれたら馬鹿馬鹿しいと思われるだろうし、私自身そう思う。私はこれでも、事件の真相や物事の真実を追い求めるルポライターなのだ。だが、お告げというのが大げさだとしても、夢の中の男の子は確かに何かを伝えようとしているように私には思えた。
1週間も同じ夢が続いたある日、私は調べてみようと思いたった。夢の中の舞台となっている、裏野ドリームランドのことを…。
夢が何を訴えようとしているかも気になるが、裏野ドリームランドこそが今の私がはじまった原点でもある。これまで、私は過去の自分を知ることを恐れていた。なぜなら、私が突然消えても、誰ひとりとして捜索願いを出す者がいなかったのだから。私を必要としてくれる者はひとりもないように思え、過去を知ることが怖かったのだ。だから、私はこの10年、自分がなぜ遊園地にひとりで行き、記憶を失くすような状況になったかを知ろうとはしなかった。
私はまず、インターネットで「裏野ドリームランド」を検索した。10年も前に廃園となっているのに、かなりの件数がヒットして驚いた。
裏野ドリームランドは、某県にある裏野という田舎町に15年前にできた遊園地で、それ以来、町の唯一の名物となったらしい。
結構賑わっていたようだが、開園後5年で廃園となった。それがなぜなのか、詳しいことはわかっていないらしい。ただ、オーナーが突然姿を消してしまったことが関係しているのではないかと考える者が多いようだ。しかし、オーナーが疾走するよりも前から、この遊園地にはあらゆる噂があったようだ。それを人々はおもしろおかしく、「裏野ドリームランドの七不思議」と言ってインターネットに載せている。
「裏野ドリームランド」で検索をかけ、ヒットした大半がこのての噂話であった。
「裏野ドリームランドの七不思議」とは、書く者によって微妙に違ってはいるものの、大まかに言って以下のような内容である。
ひとつ、「消える子供の怪」…遊園地で遊んでいる子供がたびたび消えるという。
これは実際にあった話で、数週間前に図書館へ行き当時の新聞記事の写しをとってきたが、そこにもはっきりと記されていた。
開園から廃園までの5年の間に何人消えたかはわかっていない。だが、3人は確実で、それぞれの保護者から捜索願いが出されていたようだが、その3人はいまだに見つかっていないらしい。
3人は、出身地や性別、その他のことにもこれといった共通点はなかったとのことだ。しいてあげるとするならば、3人とも年齢が10歳前後だったということくらいだろう。
ひとつ、「事故を呼ぶジェットコースター」…ジェットコースターで相次いで事故が起こったという。
裏野ドリームランドの一番の名物はジェットコースターである。これは、開園してから新たに作り足されたアトラクションであったようだが、事故が相次いで起こったのだという。
どんな事故だったかは新聞記事に見ることはできなかった。ただ、インターネットのある記事によると、「トンネルの中で子供の恨めしそうな声を聞いた」とか、「落ちる瞬間に、地面にぽっかりと穴が開いているのが見えた。その穴から、無数の白い手がこちらに向かって伸びてきた」などというものである。他にも見つけたが、どれもジェットコースターの精度に問題があるためとは考えられず、とても新聞に載せられる内容とは思えない。
ひとつ、「海に棲む怪物」…アクアツアーで謎の生き物の影が見えるという。
これも、インターネットでの話にはなるが、目撃者によれば、フグのように膨れた顔と人のような体を持つ半魚人を見たらしい。また、その体が、顔の大きさの割に異様に小さいことが、さらに不気味さを引き立てているとのことだった。
ひとつ、「鏡の間のいれかわり」…ミラーハウスから出てくると、中身がまるで別人になっているという。
だが、これについては詳しいことは何も記されていなかった。体験した人を知っているという記事もなかった。誰も噂の出所を知らない…七不思議最大の謎かもしれない。
ひとつ、「お城の拷問部屋」…ドリームキャッスルには隠された地下室があり、拷問部屋になっているという。
これは、まあ、考えられないことだろう。そんなものがあるという確かな記事はどこにも見られないし、インターネットのホラー好きが集まる掲示板でさえ、「ミラーハウスでの入れ替わり」と「ドリームキャッスルの拷問部屋」は、七不思議の数合わせに創作されたものだろうという見方が強いようだ。
私も、遊園地の敷地内に拷問部屋があるなどとても信じられない。第一、もしそれがあるならば、誰が、いったいなんのために作ったというのだろうか。
ひとつ、「回り続ける馬車」…誰も乗っていないのに、綺麗なイルミネーションとともにメリーゴーラウンドがひとりでに回り続けているという。
これは、私が思うに、試運転中のメリーゴーラウンドを見た誰かが、そんな噂を流したのではないだろうか。インターネットの情報によれば複数の人が目撃したというが、あるいは見間違えということも考えられる。たとえば、子供がひとりだけ乗っていた場合、柱の影に隠れたところをたまたま見てしまい、メリーゴーラウンドがひとりでに動いているように見えることだってあるのではないだろうか。
不思議というには、これについては少し弱い気がする。
ひとつ、「閉じ込められた黒い影」…廃園になって誰もいないはずなのに、観覧車の近くを通ると『出して…』という声が聞こえてくる」という。
インターネットの情報によれば、裏野ドリームランドの観覧車は敷地の中心から外れた所にあるらしい。その土地の人がそばの道を通った時に、観覧車から「出して」という声を聞いたというのだ。それも、やはり複数の人が聞いている。
だが、これに関しては、風の音でも聞き間違えたのではないかと私は思う。噂と恐怖心により、聞こえるはずのない言葉となって聞こえてきた、ということではないだろうか。
噂と憶測の域を出ないが、以上が「裏野ドリームランドの七不思議」である。
数週間を費やしてわかったことは、これまでに述べたとおりだ。つまり、裏野ドリームランドがある場所と15年前に開園して10年前に廃園となったという事実以外、何ひとつとして確証を得られるものは見つからなかった。あとはもう、現地に行ってみるしかないだろう。取材の基本は、自らの足を使うことにある。私の師匠が常々そう言っていた。
そう思ったら私の行動は早かった。
さっさと身支度を済ませると、軽い朝食を摂り、裏野ドリームランドに関する新聞記事の写しを胸ポケットに入れ、愛用のオロビアンコのショルダーバッグを手にすると斜めがけに下げて家を出た。
「雨がきそうだな」
雲が重く垂れ込み、湿った風が吹いていた。梅雨もとうに開け、昨日は雲ひとつない晴れ模様であったのだが。しかし、考えようによっては、気温が下がり過ごしやすい1日となるかもしれない。
私は、一度部屋に戻って折り畳み傘を手にするとバッグにしまい込む。そして、私の記憶がはじまった地…裏野ドリームランドを目指したのだった。