第26話
五年前のあの日、二匹の竜が多摩地域に現れた。双子の竜だった。
竜とは即ちこの星の端末であり代弁者。
霊長が或る一定の文明レベル──星そのものを滅ぼし得る位階──に達した際に現れる抑止力であり審判者だ。
竜の存在意義とは星を護ることでも霊長を滅ぼすことでもない。
彼らの役割は霊長が真に星を統べるに足るモノかを見定めること。
竜とはこの星の未来を託す価値があるかを霊長に問う存在だった。
星はいつか霊長が己を超えていくことを望んでいたが、力なきモノに道を譲るほど甘くはない。
既に時間軸から抹消され現生人類には観測することさえできないが、過去には数多くの霊長たちがこの試練を超えることができず竜によって滅ぼされていた。迷宮の適応によってシーカーたちが授かる超常の力は、過去の霊長が未来に託した想いの残滓である。
ただし霊長も代を重ねれば強くなるというものではない。
星の記憶を受け継ぐ竜たちから見て今代の霊長は特に出来が悪かった。
20年以上かけて未だ試練の一つも踏破出来ていない。
竜──そして星は既に人を見切りつつあった。
多摩地域に舞い降りた竜もそんな星の端末の一つ。
それが双子であったのは、あまりに人類の抵抗がか弱く、試練の為に蓄えたリソースが溢れてしまった結果だ。
二匹の竜の内、一匹は暇を持て余して空から地上を観察していた。
その竜から見ても、人類はあまりにか弱く、脆い生き物だった。兄弟は巣作りする場所を探しているだけで彼らを攻撃したわけでもないのに、勝手に騒いで、死んでいく。
本当にこんなモノに試す価値があるのだろうか?
恐怖、絶望、悲哀──地上はそんな詰まらない感情に満ち満ちていた。
もういっそ、一思いに滅ぼしてやればいい。
退屈のあまり彼女がそんな稚気を抱いた時、一人の少女と目が合った。
『────』
その時の感情を、彼女は上手く説明することが出来ない。
少女は自分の存在に一切恐怖を感じていなかった。最初は恐怖を理解できない白痴なのかとも思ったが、そうではなかった。少女は自分たちが恐怖に値する存在だということは理解していた。その上で怯える必要などないと自分を見つめ返した。
──お兄ちゃんがいるから大丈夫──
その思考が彼女には理解できなかった。
彼女は少女を観察した。少女は人類の中でも一際弱い個体だった。恐らく感受性が高すぎたのだろう。自分たちの力にあてられて身体はボロボロ。もういつ死んでもおかしくない。そしてそのことを少女自身も理解していた。
けれど少女は恐れない。兄がいれば大丈夫だと、理屈も根拠もなく信じていた。
繰り返すが少女は白痴ではない。信じるだけで救われるほど世界が優しくないことは痛いほど思い知っていた。
その上で少女は兄という存在を信じていた。
『────』
愚かだと思った。けれどそれ以上に憧れた。
彼らが互いを信じることに理由はない。ないからこそ例え自分たちがどれほどの試練を課したとしても、この兄妹の心を折ることはできないのだ。
その在り方を竜は美しいと思ってしまった。
審判者は公正でなくてはならない。人の子に憧れ肩入れしてしまった瞬間、竜はその資格を失った。
星にバグと認識された竜は肉体を失い、星の内海に溶けていく。
それは俗に死と呼ばれるものだったが、不思議と竜には恐怖も後悔もなかった。
胸に宿った仄かな悦びと共に、竜の魂は原始へと回帰していく──
『おいで』
──声が聞こえた。
あるいはそれは竜が作り出した己に都合の良い幻聴だったのかもしれない。
気が付いた時には竜は少女の中にいて、少女は竜を受け入れてくれた。
『名前がいるよね……竜の魂だから、タマちゃんとかどう?』
それが彼女の始まり。
星の裁定者として生まれた彼女は、一組の双子に心奪われ共に生きることを選んだ。
それは星すら想像していなかった結末。
一つの試練の終わりだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
奥多摩迷宮で5月30日に発生した地殻変動は最終的に一人の死者も出ることなく収束した。幸運もあっただろう。だが何よりそうした事態を予知していたかのように都内で待機していた有力クランのシーカーたちが迅速に救助活動を行えたことが大きかった。
ちなみに当時第六層では小規模ながらスタンピードが発生していたとの目撃情報があったが、これについては最終的に真偽不明ということで大きな問題とはならなかった。
本当にスタンピードが発生していたとしても、地殻変動という非常事態の最中に起きた出来事だ。まさか意図的にスタンピードを引き起こすような人間がいる筈もなし、不幸な事故を一々取り上げて問題視することもあるまいとの声が迷宮を統括する上層部からあったらしい。
「結局、何がしたかったんだ、あの女は?」
円は病院のベッドの横で慣れた手つきでリンゴの皮を剥きながら首を傾げた。
奥多摩迷宮での騒動から一夜明けて5月31日、日曜日。円は普段から和が世話になっている市民病院に見舞いに訪れていた。
「何だったんだろうね~」
円が切り分けたリンゴを横からひょいとつまみ食いして和が惚ける。
二人とも昨日の騒動で負傷こそしたが、和の治癒呪文のお陰もあり目に見える怪我は残っていない。レイピアで貫通された円の左手には多少違和感が残っていたが、それも二、三日もすれば消えるだろうと言われていた。
「う゛う゛ぅ……入院っ。また借金が……」
ベッドの上で嘆いているのは楓。楓は負傷こそほとんどなかったが胃に穴が空いてしまい緊急入院となった。
何がとは言わないが、他のシーカーが自分たちのやらかしの後始末に奔走している光景を長時間見たことで胃に過度のストレスがかかったらしい。
今も入院費の支払いで円たちへの借金が加算されたせいで胃はキリキリ痛みを訴えており、入院は少し長引きそうだ。円は今回の入院費は和を助けるためのものだったし借金ではなくこちらが支払うと申し出たのだが、楓本人が『助け合いとお金のやり取りは別問題です』と言ってそれを拒否した。仲間を助けるという当たり前のことでお金をもらいたくないということらしい。胃に穴を空けてまで意地を張るのは律儀なのか何なのか。円たちは次の分配でこっそり楓の取り分を多めにすることを決めていた。
「周年水着ガチャが近いのに……ああぁ……」
「…………」
円は切り分けたリンゴに楊枝を指してベッドの台に置くと、横目に和を睨みつけて言った。
「……和。別に隠し事をするなとは言わんけど、一人で厄介事を抱え込むのだけは止めろよ」
和は兄の言葉にキョトンと目を瞬かせる。
予言者たちは昨日の騒動の最中いつの間にか姿を消しており、結局円は詳しい話を聞けずじまいだった。
「隠し事をするなとは言わないの?」
「……言って聞くなら言ってるよ。お前が俺に隠し事するなんて昔っからだろ。もうとっくに諦めてる」
呆れたように円は嘆息する。
「…………」
和は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
「なんだその顔? まさかバレてないとでも思ってたのか?」
「まぁ……正直」
「アホ」
「……はい」
淡々とした兄の叱責にむず痒いものを感じ和の頬が緩む。そしてその感情を誤魔化すように笑って言った。
「でもだいじょ~ぶ! 隠し事はしても自分一人で抱え込むつもりなんてこれっぽっちもないからね。頼りにしてるよ~、お兄ちゃん!」
「……知ってるよ」
「だよね~」
──bow!
和は想像する。
もし『迷宮を踏破して世界を救って欲しい』と伝えたら、この仏頂面の兄は何と答えるだろうか。
怒るか、呆れるか、頭を抱えるか。
だけどどんな反応をしようとも、きっと最後は何とかしてくれる。
何の理由も根拠も必要なく、和はそう信じることができた。
それだけで人は幸福であれるのだと彼女たちは知っていた。
本話を以ってこの連載は完結とさせていただきます。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
それほど間を空けず他の話を投稿すると思いますので、またそちらを読んでいただけると幸いです。




