開戦
更新が遅れて申し訳ありません。
「この日まであっという間だったね…」
「ですねー。めちゃくちゃ緊張してます…」
「みなさん、楽しく頑張りましょう!!」
「そ、そうだね御鈴の言う通りだ。どうせなら楽しみましょうよ!」
「うえぇげろはきそう。」
「未来ちゃん大丈夫!?」
「なんか飲め!お茶でも何でもいいから飲め!」
「飲んだら逆効果じゃないでしょうか…?」
「こういうのは逆効果くらいがちょうどいいんだよ。」
「トイレぇ!」
「ちょ、未来ちゃん!待ってー!」
「…なんか大丈夫そうだな。」
「…ですね!」
本日5月17日、IH予選神奈川県大会・剣道個人戦が開戦される。各校4人までの出場が認められており、御鈴達が出場する女子の部では約300人もの選手が集まった。優勝候補は4シードの4人である桃園学園の桜選手、妃帝選手、矢嶋高校の金森選手、樫成学園の五月雨選手が濃厚だ。会場である「小田原アリーナ」の開場時刻は午前9時であるが30分前の8時半の時点でアリーナ入場口の前には選手と観客が織りなす長蛇の列が出来あがっていた。
「露美亜〜。昨日からずっとニヤついてるね。どうしたの?」
「楽しみで仕方ないのよ。あなたもそうでしょ?向日葵。」
「いやぁ…まぁそうだね。楽しみ?かな!」
開場してからはスピード勝負である。客席の場所取りは勿論の事だが、個人競技である剣道の場合は、出場選手全員が同じ場所でアップを始める事になる。つまり、着替えを終え、アップを始めるところまでもがスピード勝負という訳である。無論、アップを早く始めれば始めるほど会場の雰囲気に体を慣らす事ができる上、窮屈になる前に伸び伸びとアップができるのだ。
「今日の大会、御鈴ちゃんとかも出場するんだって!」
「誰よ。それ。」
「えーつばめちゃん、負けた相手のことも覚えてないの?」
「あー。次勝てばいいのよ。だから覚える必要なんて、ないの。」
「わぁ、やっぱりかっこいいなぁつばめちゃんは。でもでも、私は楽しみで仕方ないよぉ!!」
トーナメント形式である本大会は2日間かけて行われる。1日目は3回戦まで、2日目に4回戦から決勝戦までを行う。試合数にして約300戦の内1日目に244試合、2日目に63試合が行われる。1日目となる本日は試合場の数が必然的に多くなるため、非常に窮屈になる事が予想される。
「御鈴は第4会場だっけ?」
「あれそうでしたっけ?確か第7会場だったと思います。あかりさんは?」
「あ、私の会場が4だった。危なかった…。って私緊張しすぎか!」
「落ち着きましょう!いつものあかりさんなら大丈夫ですよ!」
「んあー、ありがとう!でもねー緊張ってのは、なかなか治せないもんなのよ…!」
「そ、そうですよね…私も受験の時の面接で、思い出したくもないような経験をしたので…」
「へー御鈴も緊張とかするんだ。てっきりそういうのしないもんだと思ってたよ。同じ人間で良かったわ。」
「わ、私だって人間です!!」
会場は女子だけでも第1会場から第10会場まで用意されている。1日目は膨大な量の試合を回していかなければならないので審判の判定も甘くなってしまう傾向が無くは無い。それでも決着がつかず1試合に10分以上かかる事もあるので、予定されていた全ての試合を消化できずに2日目に突入する事もある。
「お、来たね。私らは先に更衣室行くから2年中心で席取りよろしく!」
「はい!1年は芽亞中心で動いて。」
「は、はい!みんな、うちについてきてね!」
「了解。」
森中芽亞、桃園学園1年。出身中学は妃姫学園で御鈴の同級生。去年の妃姫学園の部長兼主将を務めた全国でも名の知れた人物。男勝りな体格ではあるが中身はしっかり女子である。
「(たしか今日って…御鈴もいるんだよね…。)」
「ほら、開いたよ。行こう!」
「あ、行きます!ついてきてください!」
「私達にまで敬語じゃなくていいよ。」
午前8時50分。開場予定時刻の10分早くに入場可能となった。想定していたよりも来場人数が多いというのと、少し気温が高いため少々早く入場可能とする判断に至ったのだ。1番始めに場内に足を踏み入れたのは勿論桃園学園だった。
「あれ?列進んで無い!?美柑先輩と未来まだ帰ってきてないんだが!?」
「あわわどうしましょう!?」
「とりあえず荷物全部持っていこう。御鈴は未来のよろしく。」
「あ!わかりました!みなさん早く帰ってきてくれればいいんですが…。」
「だねぇ。無事だといいな。」
列はもの凄い勢いで進んでいく。どこの学校も我先にと入場して行くためだ。開場して2分もかからない内に平田高校も入場することができたが…。
「あれ、梶本と藤巻は?」
「もうすぐ帰ってくると思います!」
「そうか。ならよかった。とりあえず竹刀の検量あるからアップで使う竹刀以外、俺に全部渡して欲しい。」
「美柑先輩と未来さんのはどうしますか?」
「んーまぁ適当でいいわ。竹刀渡したら更衣室行って着替えて欲しいんだけど…俺は女子じゃ無いからな。そこまでは頑張って行ってみて。」
「了解です!行こう御鈴。」
「はい!ありがとうございます桜谷先輩!」
「全然大丈夫。気をつけてな。」
「はい!では失礼します!」
桜谷弘樹。平田高校2年。美柑と同学年。本大会では先輩と女子などの大会参加メンバーの応援とサポートを主に行う。
検量はこの1年間で慣れたものだ。大きな公式戦では必ずと言って良いほど実施されているためだ。その度に先輩方の竹刀を複数本持って検量の列に並ぶ。並んでいる最中に気になるところがあれば、並びながらでも直せるようになった。1年前は何回も弾かれ何度も並び直すといったような、嫌な経験を沢山した。結局は先輩のメンテナンス不足で弾かれているのだが、やはり責任を感じてしまう。意外にもメンタルのやられる仕事の一つではあった。そんな仕事も今月で終わりだ。何故ならば、先輩が今期を持って引退するからである。と、言ったものの、次は自分の竹刀のメンテナンスに注意を払う必要がある。そのため、今までよりも気を引き締めて行かなければならない。ただ、責任の先が自分に向くだけ大分楽になるとは思う。
「にしてもあいつら、大丈夫かな?」
「ん?誰のことだ?」
「いや、梶本無しで1年女子が着替えに行くらしいからさ。」
「あー。麻倉だし大丈夫だろ。」
「……それはどうかな。」
「あの日」から麻倉に対する部員の見方は随分と変わり、今では「麻倉なら大丈夫」だとか言われる始末だ。ただ、一つだけ言える事は俺もこの大会で麻倉の力がどこまで通用するのか、楽しみにしている。それ程までに、彼女の実力が平田高校剣道部全体の士気を上げる事に繋がっているのだ。
「未来ちゃん大丈夫!?」
「は、はい…みかん先輩は先行っててください…!絶対、戻りますから…。」
「絶対、絶対だよ!?じゃあ!!先行って待ってるから!」
「(あかりちゃんから「列が進んだ」との連絡があったのは5分程前だろうか。それなのに私と言ったら…トイレに篭りっぱなしだなんて。呆れる。自分自身に呆れる。)」
普段の生活とは裏腹に、藤巻未来は極度の緊張症であった。これを発症したのは中学時代。彼女が臨んだ3度目の大会。彼女は…試合に負けた。それもただの負けではない。酷い負け方だった。監督からの説教、仲間達からの冷たい視線。そして、親からの冷たい一言。それらが彼女を絶望の淵へと追いやった。それからというもの、失敗する事への恐怖心が、今まで努力して身についてきた自分自身への自信と気持ちが悪い程濃密に絡み合うようになった。絡み合う感情は少女の心を苦しく締め付け、それに対抗するように心臓の鼓動は狂ったように速くなる。小さな少女の心では勿論対処出来るはずがない。が、……それでもやらなければならないのだ。
「(だめだ。こんなところで。みんなだって緊張してる。私だけじゃない。行かないと。行かないと…!)」
痛く苦しい心を、胸の上から抑えこみ、私は全速力でみんなのところへ走った。
「準備できた人から会場入ってね!」
「はい!」
「桜!お前の竹刀1本弾かれたぞ!まあ2本通ったから何とかなるが…。」
「あ、マジですか!?じゃあ……!」
「…まあいいわ。早く行くわよ。」
開場して10分しないうちに桃園学園剣道部が一番乗りで会場入りを果たし、悠々とアップを始めた。その光景を目の当たりにし、未だ会場入り出来ていない選手達に焦りと不安が見え始める。多少雑でも試合着に着替え、早急にアップをし始める学校がちらほらと出てきた頃…
「お!良かったー!!!」
「お騒がせしてすみません!」
「大丈夫。はよ着替えてな。」
「うん。ごめん!早く着替える!」
「そんな急がなくても…大丈夫ですよ?」
「御鈴。これに関しては急いだ方がいいの。」
「そうなんですか!?すみません!私全然知らない事ばっかりで!」
「はっはー!私、意外と経験豊富なのでな!!」
「あかりちゃん………まぁうちらは未来ちゃんが着替え終わるの待ってるからさ、焦らなくて大丈夫だからね!」
「すみません!なるはやで着替えます!」
仲間達の温かい声かけのおかげか、何かに縛られていて苦しかった心にゆとりが出てきた。誰かと一緒にいる事。これこそが1番の緊張への特効薬なのかもしれない。
「ひゅう。いい感じ!露美亜は?」
「絶好調。」
「あっは!いいねえ!こんなやる気マンマンの露美亜初めてかも!!」
「これが最初で最後の戦いだと思うから。」
「…まぁね。この舞台に立てるのもこれで終わりだもんね……いや、勝ったら明日もあるし、ベスト8まで残ればインターハイだって出れるじゃん!絶対生き残るんだよ!一緒に!!」
「勿論よ。なんなら、あんたの方が心配よ。ベスト16戦の人、天桜の鎌でしょ?確か…」
「大っっっ丈夫だから!!絶対。絶対大丈夫だから!しかも、やるのは明日だろうし!」
「ふーん。」
「と、とりあえず今日頑張ろう!!」
鎌霧子、天桜学園3年。精度の高い技を相手の隙にピンポイントで繰り出すその姿から、付いた異名は「鋭き蟷螂」。攻防バランスの取れた選手でありながらも観察能力がかなり高く、全選手の中でもずば抜けて能力が高い。
「やめ。」
その一言だけで静寂が訪れる。
「稽古を中断して開会式の準備を始めてください。以上。」
開会式のアナウンスが流れたらアップの時間は終わりだ。今アップを始めたばかりでも、終わるには微妙なところでも、このアナウンスが流れた時点で中断しなければならない。
「まぁ体はあったまったし大丈夫よ!」
「ほんとすみません!」
「私も大丈夫?だと思います!」
「うん!出来ないって事は無くてよかったよ!」
平田高校女子剣道部のアップは10分程で終了した。会場の床、試合着、検量済み竹刀に慣れるには時間が足りなかったが、体を温める事は出来たように思える。開会式は開会宣言、国歌斉唱、選手宣誓、諸注意等、合計15分もかからず終了するが、緊張した選手らにとっては長く、或いはとても短く時間が過ぎたように感じるだろう。
「梶本先輩って第1試合ですよね?」
「うん。頑張るね!」
「いつもの先輩なら大丈夫です!!」
「私もそう思います!」
「みんな……ありがとう!絶対勝つから。見てて。」
独りの戦いをこの一年間ずっと繰り広げてきた美柑にとって、御鈴らの激励は、彼女の目に火をつける材料としては十分すぎた。「可愛い後輩に良いところを見せたい」という思い程、体と心を動かす原動力となるものはこれ以上ないのであるから。
「試合開始。」
静寂を斬り裂くその一言に呼応するように選手達の気合の入った声が会場に響き渡る。
ーIH予選神奈川県大会・剣道個人戦開戦。
美柑は勝利を掴めるのか…!?




