その百八:亡霊の妄執、埋葬室の秘密
「アンドレイアス・ドリード・ディアルト。埋葬室の主、この霊廟の造り手たるものの記憶よ。汝が名に応えよ」
おかみさんは驚くほどよく響く声で呼びかけた。
その声が反響した天井で、壁で、床で、なにかがチラッ、チラッ、と瞬いた。
はじめは光の加減で僕らの影が揺れて映ったのだと思ったが――それらは小さくはかなげな、半透明で不定形なゼリーの固まりが浮かんでいるようだった。
それはだんだんと白っぽくなり、輪郭を現した。空中のあちこちからにじみ出るように湧いて出て、あるていど大きくなると、ふわ~と風船みたいに宙を移動して、おかみさんの前に集合した。
「お前たちは千切れた魂の影、その寄せ集めにすぎない。だが、本体の魂が視た記憶の断片くらいは残っていよう」
海蛇の紋章の棺の上で、白い影の破片の群れは、ひとつにまとまりはじめた。
半ば透ける胴体部がふくらみ、そのうえに丸い頭部がついた。四肢が伸びた。人体の形だ。大人の男。うつむいた顔は赤い帽子に邪魔されて見えない。
「さあ、一時の話す力を与えよう。この島に連れてこられた少年がいたはずだ。その者は若い魔法使いでもあった。囚われたその者はどこへいったのか? いったいこの島で何が起こったのか、お話し」
――若イ魔法使イナド知ラヌ。俺ガ待ッテイルノハ、ロミーナダ……
それは、僕が聞いた亡霊の不気味な声とも、若い貴公子だったディアルト卿とも違う、遠くから風に乗って響いてくるような、幽遠の淵から聞こえてくる音だった。
おかみさんは質問を続けた。
「お前はこの島の主だったものの記憶の影、かの者の最後の名残りだ。これだけの魔術を遺した者が、この島に来た魔法使いの気配に気づかぬわけがない。答えなさい。お前は魔法使いの若者を見たのか?」
半透明な男は顔を上げた。その顔は、海神の庭で決闘したとき僕が見た姿に近い、端正な若い貴公子のディアルト卿だった。
――コノ魂ハ、スデニ海神ノ庭デ死ンダ。二度目ノ死、完全ナル消滅ダ。コレニハモハヤ魂ノ記憶ガ欠ケテイル。最後ニ残サレタノハ妄執ノミ……。
「海神の庭?――そうか、誰かが海の民の古い契約の魔法を使ったのね。お前の大本の魂はそこで消されたのね。どうりで何もかもが浄化されていたはずだわ。それは誰? どこから来たの?」
おかみさんの問いかけには答えず、ディアルト卿は右横を向いた。その視線の先には壁があった。
――俺ニハ何モナイ。俺ハ待ッテイルダケダ。ロミーナダケヲ……ロミーナ…………ロミ……ナ………………
赤い海賊船長ディアルト卿の記憶の影は最後まで壁の方を向いたまま、しずかに消えていった。
おかみさんはふう、と短い溜め息を吐いた。
「イヤな霊廟だわ。どこもかしこも強固な魔術が塗り込められているし……。まあ、そのおかげで、魂の最後の記憶の残り滓も呼び出せたわけだけど……」
それからディアルト卿が最後に見ていた壁へ向いた。
「あっちになにが……?」
おかみさんと同じ疑問を僕らも抱いた。
「僕には壁に見えますけど……」
「隠し部屋でもあるんだろう。海賊なら財宝でも隠していそうだが……」
トニオさんは、ディアルト卿の『霊廟』ならば、高価な副葬品が収められている可能性が高いという。
「島中を捜索したが、そいつも見つかっていないんだ。この島の民が長年貯め込んだはずの、海賊の財産がね」
「赤い海賊船長の財宝ですか。それは、ありそうですね」
生前は海賊の王者のごとく生きた男だった。その生涯で略奪した財宝の価値を現代の価値に置き換えれば、ヴェネチアーナ共和国がそっくり買えるほどだという。
おかみさんが壁に近づいた。
指先が壁に触れると……。
「あっ!? これは……」
おかみさんが押した部分がへこんだ。
壁ではなく、厚い布地のカーテンだ。
おかみさんは、シャッとカーテンを引き開けた。
扉が無い、つづき部屋らしかった。
天井や壁に埋め込まれた真珠みたいな石が明るく点る。
室内は……ディアルト卿の埋葬室と同じくらいに広い。
おかみさんが入っていくと、奥の壁で白いレースのカーテンがかすかに揺れた。
白い家具、白い寝台。正面には大きな楕円形の鏡の、豪華な彫刻で飾られた化粧台。あきらかに若い女性が暮らすために用意された部屋だ。
僕とトニオさんは、おかみさんのうしろで言葉も無く立ちすくんだ。
ここが何のために造られた部屋なのか、よくわかったからだ。
化粧台にはたくさんの化粧品や真珠や宝石の装身具がきちんと並べられていた。銀と真珠の小さな冠や青玉の髪飾り、真珠の耳飾りに首飾り。いくつもの大きな宝石がついた指輪、黄金と水宝玉の腕輪――。
化粧台の右横に、櫃がある。長櫃ほどは大きくない、ふだんの衣装箱などに使うタイプの蓋付きの箱だが、何が入っているのか……。
おかみさんは櫃の蓋に手を掛けた。
かんたんに開いた。
きれいな色の布類が入っていた。ご婦人用の衣装箱だ。
そして――布に包まれた小さな肖像画。
それは、現代までヴェネチアーナ共和国の美術館に残されている〈海の王国の姫君の肖像〉よりもう少し若い頃の、まだ少女だったロミーナ王女の絵姿だった。
「これが、あの男が最後まで見ていたかったものね……」
おかみさんは肖像画をていねいに布に包み直し、櫃へ片付けた。
そしてすぐに部屋から出た。
女性用の部屋にもディアルト卿の埋葬室にも、もはや見るべき物すら無かったからだ。
僕らは、もと来た青で彩られた長い廊下をまた通った。
おかみさんは、魔法で、魂まで消え去ったディアルト卿の影まで呼び出したのに、僕の手掛かりを何一つ得られなかった。
霊廟の外へ出たトニオさんは、大きく両腕を伸ばした。
「こんなところにあったなんて、どうりで墓地を探しても見つからないはずだよ」
「ディアルト卿のお墓を探してたんですか?」
「我々にとって〈赤い冠島〉の初代統領ディアルト卿は、数え切れない海賊行為を犯した第一級の犯罪者なんだ。いまも賞金首として国際指名手配されているよ」
「今も……? でも、四百年前に死んでいる人ですよ?」
「ディアルト卿の死は隠されたんだ。ヴェネチアーナ共和国海軍は、彼の死を確認できていない」
ヴェネチアーナ共和国海軍の戦史資料、つまり実際の海戦の記録によると、ヴェネチアーナ共和国海軍艦隊との最後の海戦で重傷を負ったディアルト卿は、島へ戻った後、二度と海賊船には乗らなかった。おそらく海戦での負傷が元で死んだと推測されたが、島民はディアルト卿の死もその遺体も墓も、存在を徹底的に隠した。
そのため、ヴェネチアーナ共和国海軍をはじめ、どこの国も、ディアルト卿の死を正式には確認できていない。ゆえに公的には死亡とされていないそうだ。
「当時のヴェネチアーナ共和国は新興国でね、海軍も規模が小さく、海賊に煮え湯を呑まされることが多かった。四百年もの長い間、この海賊島に悩まされてきたんだ。そのケジメをつけるためにも、たとえ被告が死者だろうと、正式な法廷において罪を審議し、裁きを言い渡す。それが書類上であってもね」
「では、あの霊廟を壊して、ディアルト卿の遺体を運び出すんですか?」
「いや、壊しはしないよ。あの扉の彫刻を見たまえ。おそらく中世後期の、美術的価値ある貴重な遺跡として、研究対象になるだろう。だが、〈赤い海賊船長ディアルト卿〉の墓はそのままにはしておけない。海賊だった島民にとっての英雄や、神々のような崇拝対象にされないよう、遺体ごと厳重に封印されることになると思うよ」
トニオさんの回答は、だいたい予想通りのものだった。
だが僕は、その対応にさらに付け加えて、どうしても頼みたいことがあった。
「あの霊廟は、おかみさんも『魔術様式』で造られていると言っていました。どこがそうだとは具体的には説明できませんが、僕もそう思います。美術品を保護するのは良いんですけど、あの霊廟に使われている『魔術』だけは、跡形無く破壊して欲しいんです。かつてあの美しい部屋に監禁されるはずだった、若い女性の魂の供養のために」
「……そうだな。私は魔術はわからないけど、ここまでの話を総合するかぎり、遺しておいて良い物ではなさそうだ」
しかるべき機関の手に委ねるように――ヴェネチアーナ共和国におかみさんのような魔法使いはいないが、魔法を研究する専門機関はあるそうだ。『魔術様式』についてはそこに相談して必ず相応の対処をすると、トニオさんは約束してくれた。




