その百六:青い竜巻
おかみさんは、ゆっくりした足取りで右回りに回転し、右手を振った。
その指先から、丸い光が飛んだ。
小さな光の玉は空中に浮かび、おかみさんの動きにつられるように、さっと空中を移動した。
光の玉は、おかみさんの後を追うように、ビュンッ! と、速度を増して、そのままおかみさんの周囲を回り始めた。
おかみさんはマントの裾をふわりとひるがえし、すばやく一回転して、止まった。
光の玉は回転する風に乗り、その速度はいっそう速くなった。
回りながら、光の玉は無数に分裂した。
夜の薄闇の中、数え切れない光の粒が、おかみさんの周囲をビュンビュン飛んでいる。光の軌跡は目に残像となり、するうちに、粒だった光は風に溶けた。
おかみさんは、輝く大きなつむじ風の中心にいた。
「あれは、なにをしてるんだい?」
トニオさんは訝しげだ。
「わかりません。おかみさんが魔法を使うなんて、僕も今日、初めて知ったんです」
みるみるうちに、つむじ風は成長した。
きらめく光は風の中に呑み込まれて消え、ゴウゴウと唸りを上げてさらにふくれあがり、巨大な竜巻と化した。
周辺の砂は巻き上げられ、千切れた草が飛び交った。浜辺からは少し離れた内陸側の草木までもが強い風に引っ張られ、浜辺の方へ大きくしなっている。
だが、僕とトニオさんは、その強風の影響をまったく受けなかった。
僕らがいるところには、風はそよとも吹いてこない。
同じ場所に居るように見えても、おかみさんと僕らは存在する〈時間〉が異なるのだと、あらためて思い知った。
おかみさんが両腕を上げた。
竜巻が上昇する。
ぐんぐん空へ上っていく。
おかみさんは両腕を上げたまま、頭上を振り仰いだ。
「さあ、おいき。行って、自慢の幸運を食い尽くしておやり」
静かな命令は、怖い迫力に満ちていた。
その一瞬、竜巻はまばゆい黄金色の閃光を放った。
まるで内側に巨大な稲妻が走ったように。
と、渦巻く風が、爆発した。
竜巻はほどけた。ブワッと広がったそれは、青黒い霞のように夜の空をとざした。
――ピー、チチチチッ!!!
とおいこだまのように、小鳥の声がした。
無数の小さな翼が月光をはじく。その様子は、深い藍色の夜空へ大量の金粉をふり撒いたかのようにきらめいた。
青い霞の正体は、夜空を飛んでいてさえ目の覚めるような青い羽をした小鳥たちだ。
「ニザくん、あれは小さな鳥の群れじゃないか?」
「ええ、青い小鳥ですね」
そうだ、僕はあの小鳥を知っている。
数千、いや、数万羽とも知れぬ数の青い小鳥が、空を埋め尽くして飛んでいく。
島の内陸のほうへ、海賊の城塞めざして。
「これまでうまくやれたのは悪運が強かっただけ。悪党どもの幸運など、とうの昔に尽きているわ」
おかみさんの冷たいつぶやきは、離れていてもはっきり聞こえた。
「ぞんぶんに、やつらが自慢する幸運とやらを食い尽くしてやるがよいわ。……まだ残っていればだけど」
「幸運を食い尽くす……?」
どこかで聞いたことがあるフレーズだ。
足下からぞわっと寒気がした。
トニオさんは目をまん丸くして、青い小鳥の群れが飛んでいくのを見送っている。
「なんだい、あの小鳥は? 幸運を食い尽くす? おだやかじゃないな。それは魔法じゃなくて呪いじゃないか?」
「あれは、〈幸運の青い妖精鳥〉です。……たぶん」
説明途中で自信が無くなった。『幸運の青い小鳥』と聞けば、誰だって『出会った人に幸運を運んでくる善良な妖精の仲間』と思うだろう。でも幸運を食われたら、残るのは悪運だよな……。
「ニザくんはあの小鳥を知ってるのか。で、幸運の鳥なのに幸運を与えるのではなく、食い尽くすってのはどういう意味だい?」
「まえに一度だけ、遭遇したことがあります。あれは幸運を司る魔法の妖精鳥です。出会った人間に幸運を与えることもできるし、悪いことをした人間の幸運を食べて、奪うこともできるそうです」
「幸運の鳥といえば幸運を与えるのが仕事だろうに。同じ鳥が幸運を奪うなんて、人間からしてみたら矛盾してるぞ」
「そうやって幸運を食われた人間には、地味な不幸が降りかかるそうですけど……」
「地味な不幸って……。なんだいそりゃ?」
「たとえば、毎日外を歩くたび、かならず頭の上に鳥の糞が落ちてきたりするとかです」
これはマルセノ親方から聞いた話だ。おそらくマルセノ親方の実体験だと思う。
「さいわいにして僕は幸運を奪われたことはありませんが、あの小鳥が魔法の妖精鳥なのは本当ですよ」
どこでどうやって遭遇したのか、と興味津々なトニオさんに、詳しい話はまた後ほどと断って、僕らは空を見上げつづけた。
青い小鳥の群れは、青い巨大なカーテンのごとく、色の付いた突風のごとくに進み、海賊の城の上に差し掛かった。
巨大な青いカーテンが、海賊の城を包み込んだかに見えた。明かりが点っていた窓という窓はうごめく青でふさがれ、一切の光が遮断された。
海賊城は、暗闇となった。
夜半ゆえ、住人の大半は眠っていた。
あまりの騒々しさに目覚めた者たちの、恐怖に満ちた悲鳴は、状況を確認してからやや遅まきに上がった。
「なんだ、なぜ灯りが点かないんだ!?」
「おい、マッチはどこだ?」
「いったい何が起こったんだ!?」
――ビーッ、ヂヂヂヂヂヂヂッ!!!
それは嵐の暴風雨のごとく、風は唸り、頑健なる城塞の、固く閉められた鎧戸という鎧戸へ吹き付けた。
青い小鳥たちは港に停泊しているすべての船にも襲いかかった。
東と西と南の港は、青い竜巻に呑み込まれた。
時間にすればほんの数分間だったが――……それが去ったとき、すべての船は、この世で最も悲惨な、難破船のように変わり果てていた。
すなわち、帆船の帆布は襤褸切れの破片となって横棒から垂れ下がり、大砲という大砲はバラバラに解体され、甲板にはあちこち大穴が開いていた。
船の側面は細かいキズだらけ。鉄の船にはあり得ないほど錆びだらけになり、あらゆる防水効果が剥ぎ取られてしまった。
これらの船で航海に出るのはとうてい不可能だった。




