その百二:魔法の花ふたたび
中庭からの光は、いまや真昼のごとき明るさとなり、窓から差し込んで暗い図書室の中までも照らし出した。
「るっぷりい! あそこです、昼間にごはんをいただいたところですね!」
僕らは窓へはりついた。
「あれは――ぶどう棚のところかな?」
僕とトニオさんは顔を見合わせた。
「いったいなにが起こってるんだ?」
「シャーキス、あれは……なにかの魔法が働いているのかい?」
「るっぷりい? たしかに魔法の気配はしますが、あのまばゆい輝きは、お月さまの光のようですよ?」
窓を開けた。
もはやまぶしいくらいだ。
僕は目を細めた。
トニオさんが「お?」と僕を凝視した。
「ニザくん、きみ、光ってるぞ!?」
「なんで僕が!?」
まぶしい光源は、僕自身!?
正確には、僕の上着の、襟元の花の刺繍が輝いている。
「シャーキス、これは、どうしてかわかるかい?」
「るっぷりい!? ボクにはお月さまの魔法の影響としかわかりません!」
「ニザくん、何が起こっているのか教えてくれないか。きみは魔法使いだろう?」
「え!? いや、そういわれても、僕は魔法使いではなく魔法玩具師ですから」
「でも、一応は魔法使いだよね!? あの話の中でも、ロミーナ王女に魔法使いだと言われていたじゃないか」
「でも、僕にも何が起こっているのか、さっぱりわからないんです。中庭のあそこに何があるのかなんて……!?」
そうだ、確かめないとわからないんだ。
僕とトニオさんはバッと中庭を向いた。
「よし、中庭へ!」
「行きましょう!」
目指すはぶどう棚。
僕らは廊下を走り、階段を駆け下りた。
中庭に出る扉へ手を掛けた瞬間、
「おっとニザくん、ちょっと待ってくれ!」
トニオさんが扉を押さえた。
「はい?」
「実際問題として、危険は無いかな?」
「え?――と、それは……わからないです」
「きみの話に出てきた、その上着の花の刺繍と関係してるのは、間違いないね」
「確信はありませんが、否定も出来ません。この前は僕の命を助けてくれたから、おそらく悪いものではないとしか……」
「――よし、行こう」
覚悟を決めた僕らは、中庭へ出た。
大きなぶどう棚の下には食卓用の大テーブルだけがあった。昼間は料理を並べる台や小さなテーブルも置かれていたが、いまは椅子も片付けられている。
明るいのはぶどう棚だった。
「ぶどうが光っているんだ――」
たくさん実った大粒の黒いぶどう、その一房一房が星のようにかがやいている。
「光るぶどうなんて、初めて見たよ。さわってもだいじょうぶかな?」
「るっぷりい! トニオさん、お待ちください!」
シャーキスが風よりも速くトニオさんの前へ飛んでいき、トニオさんは慌てて手を引っ込めた。
「るるっぷ! これはお月さまの魔法の光なのは確かですが、なぜぶどうが光っているのか、そもそもそれがわかっていません。謎の魔法にはむやみにさわらない方がいいのです!」
「そ、そうだな、わかった。気を付けるよ」
「るっぷ! もちろん、ご主人さまも、おわかりですよね!?」
シャーキスに言われるその前に、僕は頭上のぶどうを突こうとしていた指をこっそり引っ込めていた。
「うん。魔法だし、気を付けないとね! でも、どうしてなんだろう?」
「るっぷりい! ちょっと失礼するのです!」
ぶーんと飛んできたシャーキスは、僕の左肩にちょこんと留まった。
僕の耳元にピッタリ身を寄せ、ひと呼吸の間をおいて――。
「……るっぷ! これはご主人さまが引き起こした魔法のようです! 今夜はお月さまが満月なのも魔法の引き金になりました!」
「僕は魔法を使えないのに……?」
魔法玩具師の僕は、いわゆる〈魔法使い〉のように『光れ』と命じてぶどうを光らすことなんてできやしないのに?
「やっぱりきみの仕業か?」
トニオさんに怪しまれても、僕にはわからない。
「魔法なのはわかったけど、魔法で何がどうなっているのか、説明してくれないか?」
トニオさんはもっとわからなくて困っているようだ。
「るっぷ! つまり、今日のお昼ごはんのあとで、ご主人さまはこことよく似たぶどう棚のある風景を思い出したのです!」
何を思い出したって? シャーキスにそう訊こうとして、記憶がはっきりよみがえる。
ぶどう棚の下での食事、キノヤ家の親切な人々――そうしてありありと思い出した、マルセノ親方とおかみさんといっしょに過ごしたあの輝かしい記憶のなかの風景。
「うん、たしかにあのとき思い出したよ。僕のいちばん大切な思い出を」
あれは僕という人間の中にもっともたしかな形で存在する幸福の結晶、僕の中にあって僕を照らし続ける希望の光そのものなんだ。
「今日の昼間に、ここで、僕がマルセノ親方とおかみさんのことを強く思い出したから、それがこの魔法の現象を引き起こすきっかけになったと、シャーキスは言っているようです」
「るっぷりい! そしてお月さまの光を浴びた上着の刺繍のお花の魔法も働いています! いまここに重なっているのは、その魔法です! ご主人さまの記憶の中でもっとも輝かしい思い出の光景が現在に重なっているのです!」
魔法だ、とトニオさんが呟いた。
「だったら、危険はないんだね?」
トニオさんはシャーキスに訊ねた。
「るっぷりい。おそらくですが、ご主人さまがほかの魔法を使わないかぎり、ほかのことは起こらないのです!」
「僕は魔法を使えないよ」
もしも使えたら。
とっくにマルセノ親方とおかみさんがどこにいるのか探すために使っているって!
「るっぷりい、ぷう! ほら、ご主人さまがそう思ったから!」
ぶどう棚全体が、まばゆいほどに輝いた。
とっさに目を閉じたが、まるで世界が白で焼き尽くされたように、真っ白になった。
僕の足下から地面が消えた。踏んでいた感覚が無くなり、空中に浮いたように全身がグラグラと不安定になった。
「おわッ!」
すぐ近くでトニオさんの悲鳴。
直後、僕は落下して、砂の上に転がった。
地面についた手は砂をつかんだ。
砂浜だ。
海の匂い。聞こえるのは、寄せては返す潮のざわめき。
「いて……! トニオさん! 無事ですか?」
「ああ、生きてるよ。砂まみれだけど」
トニオさんが立って砂を払っている。
「ふむ、きれいな白砂だ。サンゴが砕けた砂だな。ここは人がめったに来ない海岸なんだろう」
「ここは……!?」
海の彼方に真っ赤な夕陽が沈んでゆく。
内陸を振りかえれば、とんがった灰色の山。
その西側の切り立った崖には、陰鬱な灰色の城塞が山肌に沿ってそびえたつ。
「〈赤い冠島〉だ!」




