九梃目 フォスフォレッスセンス
土曜日、それはサービス業など一部の業種を除いて多くの人々が束の間の休息に安堵する日である。すっかり回復した俺は朝の七時というかなり早い時間帯に起きて、ヘッドフォンを付けてパソコンの前に待機していた。
無論、フォレちゃんの生配信のためである。本当は朝一番に不知火へと昨日の礼を言いに行こうと思っていたのだが、彼女の生配信を見逃すことは出来ない。第一、こんな朝早くに行っても迷惑だろうし。
暫くすると、生配信の待機画面が青い花のイラストへと変わった。彼女のSNSのアイコンであり、生配信時の静止画である。
『おはよー......。こんな朝から待機してくれてた人、ホントにありがとね。ねっむ』
気だるげで、優しく可愛い声がヘッドフォンから俺の耳へと直に響く。俺はすかさず、チャットに『おはよう〜』と書き込んだ。
『あ、レイグンさん、おはよ......』
レイグン、と言うのは俺の苗字である霊群の音読みであり、俺のアカウントの名前である。俺はピンポイントで名前を呼んで貰えたことに歓喜した。
彼女は更に他の人にも同様の挨拶をしていく。生配信が始まった瞬間はかなりコメントの流れも緩やかなのでこうして、名前を呼んで貰える確率が高いのだ。
『今日、どうする? 一応、雑談配信ってことになってたけど、アタシのトーク力じゃ持ちそうに無いし。もう、適当に皆のリクエスト聞きながら歌でも歌おっか』
『やったぜ』と500円の投げ銭を付けて俺はコメントを打つ。リクエスト式の歌配信は久しぶりだ。
『あ、レイグンさんありがと。これでアイス食べますね』
フフッと笑いながらそう言う彼女。視聴者との距離が近いフォスフォレッスセンス姫、最高である。
俺の投げ銭に続いて多くの視聴者が投げ銭をしまくった結果、投げ銭総額が4000円くらいになっていたので是非とも彼女には4000円の最高級アイスを堪能して頂きたい。
『何歌って欲しい?』
という彼女の問いに対して『君が代』と書き込んだのは俺である。
『は? 何言ってんだコイツ......コメントのスピードからして待機してたでしょ絶対にそれ。アホじゃないの』
と、若干、引き気味のフォスフォレ。ちょっと、当たりが強いのも彼女の魅力である。まあ、不知火と比べればかなりソフトに感じるが。
『ちょ、待って。おい、待て。しばくぞ。悪ノリ止めてくれないかなあっ!?』
と、彼女が焦るのはチャット欄が俺のコメントを皮切りに『君が代』の文字で溢れかえってしまったからである。
『あー、もう、君が代のカラオケ音源とかあるのかな......』
間髪入れずに俺はURLを送る。
『レイグンさんはっや。これも準備してたでしょ。レイグンさん貴方ね、暇なの?』
チャット欄も『安定のレイグンニキ草』『ま た レ イ グ ン か』などのコメントが多く現れ始めた。フォスフォレちゃんの生配信には何時も欠かさず現れるため、他の視聴者からも俺の名前は覚えられているのである。
『君が代は千夜に八千代にさざれ石の......』
彼女は溜息を吐きながら俺の送ったURLの音源を掛けて、君が代を熱唱し始めた。予想通りではあるが、彼女の透き通った声質は君が代とピッタリだ。
『はい、歌いましたよ。これで満足なのか君達は』
苦笑しながらそう問うフォスフォレちゃんにチャット欄では歓声が飛び交った。勿論、俺も投げ銭付きで彼女の歌を称えた。
やはり、フォスフォレちゃんは素晴らしい。可愛い。美しい。そう再認識出来た。
⭐︎
朝からフォスフォレちゃんの歌で心が洗われた俺は、適当に食パンを焼いて食べると商店街へと出かけた。目的地は洋菓子店である。
「う〜む......ぬいたん、何が好きかな」
昨日、看病してくれたお礼として不知火に何かを買おうと思ったのだが、好き嫌いの激しい彼女のことだ。嫌いなものを買ってしまえばゴミ箱行きの可能性がある。
かと言って、彼女は『お礼をしたいから好きな物を教えて』と聞かれて素直に教えるような奴では無い。
「霊群」
突然、背後から誰かが声を掛けてきた。慌てて振り返ると其処には前髪がやけに長い、暗い雰囲気の男と、不安を煽られる不思議な雰囲気を纏う黒髪ツインテールが居た。
「何だお前ら、デートか? 鈴木君、念願の彼女獲得おめでとう」
「いや、こんなの彼氏じゃないですし。冗談キツイです、霊群センパイ」
さらっと先輩を『こんなの』呼ばわりするツインテちゃんの横で鈴木は微妙な顔をしていた。
「部活のことでちょっと打ち合わせがあったんだよ。その帰り」
「折角、休日に私と会えたんだからそのまま帰るのは勿体無いと思ったんでしょうね。この人の欲求を満たすためのデート(笑)に付き合わされてます」
「ボロクソ言われてるけど鈴木君反論は?」
「......ごめん。嫌なら帰って良いぞ」
本気で傷付いとるやんけ。
「いや、秋也さんに色んな物を奢らせるチャンスなので大丈夫です。今もケーキ、奢らせるつもりですし」
「......さいですか」
どれだけ酷い扱いを受けても折れることのない鈴木、本当に惚れているんだろうな。
「霊群センパイは普通にお菓子買いに来たんですか?」
「んや、ちょっと、お世話になった人に菓子折りでも渡そうかなと思って。でも、その人の好みが分からなくて困ってるんだよ。アイツ、偏食家だから」
「因みにその人、ってのは誰なんだ?」
「隣の部屋に住んでる女の子。昨日、俺、休んだだろ。あの時、看病して貰ってた」
俺の答えに体を硬直させる鈴木秋也。そう言えば、不知火のこと、コイツには話してなかったな。
「......お前、熱でうなされてたせいで変な夢でも見てたんじゃないのか?」
失礼な鈴木の言葉を俺は否定出来なかった。
「正直、割とその可能性はある。その子、いっつも俺に暴言吐いてくるし。何なら嫌いとまで言ってくるような奴だから」
「ツンデレ......?」
「俺はツン、じゃなくてグサ、って感じの態度を取ってくるからグサデレって呼んでる。因みにグサとデレの割合は99:1」
「まるで私と秋也さんの関係みたいですね」
「ツインテちゃんはツンデレというより、ただただサドな感じがする」
「誰がツインテちゃんですか」
だって、君の名前、未だに知らないんだもん。今更、聞くのも何か気まずいし。
「だったらさ、クッキーのアソートとかはどうだ? クッキーなら好き嫌い、そうないだろ。味も最悪、どれかは好みのが入ってるだろうし」
「まあ、その辺が妥当だよな......。よし、分かった。それにする」
やはり、持つべき物はサドな後輩に良いようにされている友人である。俺はそう思ってレジへと向かった。