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五十七挺目(最終回) グサデレ


 幸せそうな、楽しそうな声がそこかしこで聞こえる賑やかな校内を歩く。キャンパスの真ん中にある大きな桜が実に見頃だった。

 望奈とは勿論、叶向とも、たかさごで会って以来、一度も会っていない。会う機会が特に無かったし、少しずつ関係を修復しているであろう二人を邪魔したくなかった。幸い、二人の様子は同じ部活に所属している蜂須賀から定期的に聞くことが出来た。

 蜂須賀と言えば、彼女は俺があのアパートを去って数日......いや、数週間は俺を非難していたものだが、謎奈の誕生日が終わった頃にはもう、諦めていたらしかった。


「はぁ......」


 あちらこちらで行われているサークルの勧誘に目をやりながら、俺は清々しい空気を吸って、澱んだ溜息を吐く。自分は本当にこんなところでこんなことをしていて良いのか、そんな疑問が頭の中を覆い尽くし、折角の晴れ晴れした気分を汚そうとする。

 いや、止めよう。今はこの晴れやかな雰囲気をひたすらに味わおうじゃないか。蜂須賀から聞いたが、望奈も猛勉強の末、無事に志望校に受かったようだ。もう、彼女と俺は別の道を歩き始めている。それは俺が始めたことで、俺が一番、理解しておかなければならない。俺はまるで、自分を叱責するかのように自分にそう言い聞かせた。

 生徒数の多さと、ホールの広さ以外、特に印象に残らなかった式典を終えると、辺りの人達は皆、ホールの外で親や友人と記念撮影をし始めた。一方、親も来ていなければ、友人も居ない俺はそのままキャンパスの出口の方へと歩いた。


「あ、すみません、トイレって何処にあるか分かります?」


 不意に見知らぬ男に声を掛けられた。彼も新入生らしかった。


「え、俺......?」


「そうです、そうです。トイレ知らないかなって」


「いやごめん俺も知らない......。何で俺?」


「え、いや、ほら、アレ? もしかして霊群君、気付いてない?」


「ごめん、本当に分からない」


 小・中学生時代の知り合いだろうか。よく分からないがこういう時は素直に白状する方が後々バレるよりも失礼にならない。


彼方(おちかた)彼方要(おちかたかなめ)。霊群君が前に住んでたアパートの下の住人」


「......ん、あ、あっ! あああっ! 居たな! え? 同級生だったのか!?」


 確かにあのアパートの下には彼方という男子高校生が住んでいた。引っ越してきた時に挨拶しに行った時以来、殆ど会ったことはなかったので完全に記憶から消えていた。


「うん。バイトやら部活やらで忙しくて生活リズムが違ったせいで殆ど霊群君とは会わなかったけど。これから同じ大学だから宜しく」


 彼はそう言うと俺に手を差し出してきた。俺はコクリと頷いて握手に応じる。


「お、おう......宜しくな」


「で、トイレどこ?」


「知らん。ホールの中に行けばあるだろ」


「あー、そうか。行ってみる」


 と言って彼はホールの方に猛スピードで走っていく。俺とは普通に話していたがかなり限界だったのだろう。早くも大学で新しい友達、なのかは分からないが、新しい交友関係が出来てしまった。......今までの自分が少しずつ欠けていくようで不安になる。

 少し孤独感を覚えたので、昨日が入学式であったらしい鈴木に飯でも行かないか、と誘ってみたが返答は『悪い。叶向とデート』という何ともムカつくものであった。アッチは充実しているようで何よりである。

 仕方がない。腹が減ったのでその辺で適当に食べて帰るとしよう。そう思い、スマホで近くの飲食店を調べていた時だった。


「霊群君、久しぶり」


 背後から何者かに肩を叩かれた。


「ん? あ、あぁ......ああ、うん、久しぶり」


 振り向くと其処には見覚えのない美少女が立っていた。美しい黒髪を薔薇のように赤いリボンで結っている。いつ、何処で会ったかも分からない彼女に俺は思わず見惚れてしまった。


「これから四年間、宜しく。早速だけど、ご飯でも行かない?」


 ふふんと機嫌良さげに笑い、そんな提案をしてくる彼女。分からない、彼女が誰なのか。少なくとも高校時代の知り合いではない。中学生......もしかすると、小学生時代の知り合いか。

 

「あ、ああ、俺も丁度、近くの飯屋を探していたところだ。無難に定食屋とかどうだ? 徒歩5分くらいで行けるらしい」


 と、俺はスマホの画面に映し出された定食屋のホームページを彼女に見せた。

 彼女が一体、何処の誰なのかは分からないが、彼女の様子からして昔の俺と彼女はそこそこ仲が良かったらしい。そんな旧友の誘いを俺は断れなかった。


「良いわね。其処にしましょう」


⭐︎


「えー......何食べる?」


 定食屋に着いた俺は居心地の悪さを感じながらも黒髪の美少女にそう聞いた。名前が分からないので、呼びかけることも出来ない。非常に不便である。


「トンカツ定食かなあ」


「おー、結構、ガッツリ行くな。じゃ、俺もそれで。すみませーん、トンカツ定食二つお願いしまーす」


 しかし、本当に何だこの居心地の悪さは。彼女が誰なのかを思い出せていないこと以上に、何だか気持ちの悪いことがある気がする。違和感、そう違和感だ。俺は今、強烈な違和感を覚えている。


「霊群君、大学へは家から通うの?」


 料理が来るのを待っていると、彼女が不意にそんなことを尋ねてきた。


「んー、今のところはそのつもり。今の家から徒歩で通うのはかなりキツイし、本当はアパートでも借りたいんだけどな」


「なら、私と一緒に住まない?」


「......ん?」


 いきなりとんでもないことを言い出す旧友X。俺は耳を疑った。


「私、大学の近くに大きめのアパートを借りているの。私には少し広すぎるし、部屋数も二人分あるから、一緒に住まない? 家賃は折半で」


「......あー、えー、君の申し出は確かに嬉しいんだけどね? いや、その、えぇと......何というか、まだ流石に俺と君はそういう関係じゃない気がするというか......」


「今更、何を言っているのよ。前とそんなに変わらないでしょ。壁が一枚無くなるだけ」


 彼女の言っている言葉の意味がよく分からず、首を傾げていると、彼女は急に『チッ』と大きな舌打ちをし、俺を睨み付けた。


「薄々気付いていたけど、お前、私のことが誰か分かっていないでしょ。相変わらず記憶力が蛆虫レベルのようで憐れというか、何というか。数ヶ月で私のこと、綺麗さっぱり忘れてしまったの? 最低。アパートに戻って来なかったのも帰り道忘れたからじゃないでしょうね。くたばれ」


 その罵倒を、身体が覚えていた。


「......不知火?」


「じゃなかったら誰だって言うのよ。私が叶向にでも見える? はぁ、全く。白けたわ。興醒め。その脳の詰まってなさそうな、とぼけた顔を殴りたい」


 こんなに容赦なくグサグサと刺してくるやつが彼女以外に居たら怖い。


「悪い。さっきの不知火、グサデレからクーデレにジョブチェンジしてたから、気付かなかった」


「久しぶりに会ったからからかってやっただけ」


「成る程......で、何故此処に?」


「愚問ね。逆にどうして、そんなに馬鹿な質問をするのか聞きたいわ。大学の入学式に私が居る理由なんて一つしかないでしょう」


「つまり、偶然、俺達は同じ大学に入学したと?」


 俺がそう聞くと、彼女は苛立った様子で大きな溜息を吐き、俺を睨みつけた。


「私が大学受験に受かったことを偶然扱いしているならそうかもしれないけれど、私とお前の志望大学が被った理由は必然よ」


「......というと?」


「お前、本当に勘が鈍いわね。前はもう少し、人の気持ちを察せる人間じゃなかった? 数ヶ月の間で脳が腐敗したんじゃないの?」


 と、彼女は無表情で俺を睨みつけながらそんな風に毒を吐いた。


「......数ヶ月ぶりの不知火語翻訳だから腕がにぶってるかもしれないが、要するに不知火は俺と一緒の大学に通いたくて、俺と同じ大学を志望したってこと?」


「よくもそんな気色の悪い想像を口に出せるわね。寒気がする」


 と、言いながらも彼女は俺の言葉自体は否定しない。それによりまた新たな疑問が幾つも浮かんできて、疑問は尽きなかった。が、それよりも前に料理が運ばれてきたため、質問攻めは後にすることにした。


⭐︎


 食事を終えた後、俺は彼女に『私の家を見にきなさい』と言われ、大学近くにあるという、彼女の家へと向かっていた。


「なあ、不知火、お前が俺と同じ大学を志望したのっていつくらいからだ?」


「夏の終わり頃」


「お前が勉強に打ち込み始めた頃か」


 つまり、あれだけ彼女が勉強を頑張り始めた理由は俺と同じ大学に通うため、ということになるのだろうか。


「......気色悪い推論をしているようだけど、まあ、全くその通りよ」


「どうして俺と同じが良かったんだ?」


「あの頃はまだ、叶向との関係も解決してなかったし、癪だけど私とあの子の関係の修復を手伝ってくれていたお前との関わりを断ちたくなかった。この辺り、他に大学無いし。私が別の大学に行けばその近くに住むことになるだろうから、物理的に会いづらくなる」


「でも、あのカラオケの一件のあと、ある程度、叶向との関係は修復出来たんだろ? 定期的に叶向や蜂須賀からそのこと聞いてたぞ。その時点で俺と同じ大学に通う必要はなくなったんじゃ......」


 急に不知火に横から抱きつかれた。


「お前が急に居なくなったからに決まっているでしょう。困惑して、苛立って、何も分からなくなって......せめて、同じ大学に入ってお前の前に現れてやろうと思って、勉強に打ち込んだのよ」


 顔を俺の肩にくっつけながら、今にも泣き出してしまいそうなほどに震えた声で彼女はそう言った。後ろから鈍器で殴られたかのような衝撃が走る。


「でも、お前、連絡もしてこなかったし、学校でも会いに来なかっただろ。俺はてっきり、お前は俺みたいなののことはさっさと忘れて他の奴らと仲良くやっているものと......」


 彼女が俺を抱きしめる力が強くなった。最早、抱きしめるというよりも締め付ける、という表現の方が正しいのではというほどだ。


「お前は自分が何を言ったのか覚えていないの? お前は私に、お前が私を助けるのは自分の義務を全うするためだと言った。その義務とは、お前が私の自殺を止めたことで生じた義務。......それが本当なら、どうして、私がのこのことお前に会いに行けたと言うの? お人好しなお前が、せめて妹との仲を修復するまでは一緒に居てやろうと、私を哀れんで今まで一緒にいてくれていたのだとしたら......私の前から自分の意思で去ったお前を引き止めるような恥知らずな真似、出来るわけなかった」


 俺を抱き締めるのを止め、少し俺から離れてから彼女はそう言った。彼女は潤んだ目で、真っ直ぐ俺を見つめていた。睨んでいた、とも言える。

 直ぐに俺は頭を下げた。


「本当に悪かった。......でも、同じ日に言っただろ。俺は不知火に幸せになって欲しいって。不知火の笑顔が見たいって。俺はお前が嫌いでお前の前から去ったんじゃない。不知火は叶向と関係を修復し、友達もたくさん出来た。もう、不知火に俺は不要なんじゃないかと思ってな」


 そこまで言って俺は首を振った。


「......違う。格好付けすぎた。不知火に俺が不要だと思ったからクールに去ったとか、そんなんじゃない。ただ、怖かった。孤独じゃなくなった不知火に必要とされなくなるのが。俺はいつも、不知火の孤独につけ込んで、お前と付き合ってたから。人間関係に満たされた不知火が俺を少しずつ見なくなるのが、怖くて、耐えられなくて、それならいっそ、自分から不知火の前から去ってしまおうと思ったんだ」


 今まで、自分でも気付かなかった本音が驚くほど簡単に出てきた。咄嗟に出た自分の気持ちが想像以上に気持ち悪く、女々しくて気分が悪くなる。不知火はさぞや、引いていることだろう。


「ふぅん......」


 不知火は俺の顔をじっくりと観察するように見つめ、微笑を浮かべた。


「気持ち悪いわね、とても」


 不知火は何処か満足げに笑うと、俺との距離を急に詰め、俺を抱きしめた。


「思えば、今まで何度かこうしてお前に抱き付く機会があったけれど、その時の私はいつもヒステリーを起こしていたわね。今、振り返ると死にたくなるわ」


「因みに今は?」


「素直にお前に好意を示している。お前、自分に向けられる気持ちに鈍感みたいだから、こんな感じで幼児に教えてあげるみたいにしないと分からないでしょ」


 今、俺の目の前で喋っているのは一体、誰なんだという程に素直に気持ちを言葉にする不知火。

 これは何か強烈な罵倒の前振りなのではないかと身構える俺の頬に彼女はキスをした。


「ちょ......!? 不知火......!?」


「良かったわね。今の私は幸せよ」


 俺を離すと彼女は優しそうな笑顔を浮かべてそう言った。


「......今のはグサっときたな」


 どうやら、見ないうちに進化していたらしい不知火(グサデレ)を見て、俺は胸を押さえながらそう呟いた。

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