死
ーーシャン
鈴が鳴った。
彼女達には聞こえていないようで、笑い声を上げ続けている。
でも、音は近づいていた。
ーーシャンシャン
音が大きくなる。慌てて周囲を見る。大人はいない。外を見る。夕暮れには程遠い。
音がする。鈴の音。笑い声なんてもう聞こえない。
鈴の音。それから……
「美穂」
私を呼ぶ声。
「え」
そう言ったのは誰だったのか。わからない。自分の口から出たのかもしれないし、彼女達から出たのかもしれない。
彼女達は呆然と彼を見ていた。美しく、場違いな白い衣を纏った彼。
彼はいつも通り鈴の音と共に突然現れた。
「美穂」
名前を呼ばれる。地べたに這う私を見下ろすその瞳は、心配そうな色に染まっていた。
「大丈夫?」
そう言われて手を差し伸べられる。誰もが動けなかったその場でやっと生じたその動き。彼女達の時間もまた動き出した。
「え?!誰?!!」
「いつの間にそこに居たの?!!」
「待って!何あの服」
口々に騒ぎ出す。私は声を出すこともできない。差し伸べられた手をただただ見つめることしかできなかった。
「まさか、呪いの……?」
そう言ったのは彼女達のうちの一人だった。
今まさに祓っている最中だったそれ。地域に伝わる怖い話。目の前の少年。それに行き着くのは簡単だったのだろう。
呪い。
その言葉に少女達は悲鳴を上げた。
走って、転んで、それでも地を這い、居なくなる。
「待っ……!」
私は咄嗟に手を伸ばした。行かないで。行けば私はここに残されてしまう。たった、一人にされてしまう。
しかし、彼女達の姿は消えてしまった。残されたのは私とそうして彼。
宙を描く私の手。それを握ったのは……冷たい氷の手だった。
「美穂。大丈夫?」
「っ!」
私を見る気遣いの目。恐ろしかったはずの彼。ああ、それなのに、どうして。
祖母を思い出すのだろうか。
私を愛してくれた祖母。私を心配してくれた祖母。もう誰もここで私をそんな目で見てくれる人は居ない。
母も父も弟もクラスメイトも。私をそんなふうには見てくれない。それなのに、どうして。
どうしてこの目の前の彼だけが私をそんな目で見ているのだろう。
彼が原因なのに。彼さえ居なければ私だって普通に過ごせたのに。全部全部彼のせいなのに。
それなのに、どうして私はあの時彼に助けを求めてしまったのだろう。
彼のせいで小さくなってしまった私の世界。彼から逃れるためにそうしていたはずなのにいつの間にか彼しか居なくなってしまっていた。
ーー早く大人になりたかった。
ーー大人になればそれから逃れられると知っていたから。
でも、その願いはもう叶わない。夕暮れには程遠く、人もここには誰も居ない。握られた手。指切りの約束。私は約束を履行しなければならない。
ーー本当に?
本当に私はそんなふうに思っているのだうか。履行しなければならない、なんてまるでそれを望んでいないかのようだ。
早く大人になりたかったのも真実だ。彼から逃れたかったのも真実だ。彼の居る世界は恐ろしいのだろう。でも、今は。祖母の居なくなった今は。
今はこの孤独な世界で生きていくことが彼の世界に行くことよりもひどく恐ろしい。
「寂しいの……」
手を握る。冷たい冷たい化物の手を。
「怖いの……」
涙がこぼれる。感情がぐちゃぐちゃになる。
悔しいのか憎いのか愛しいのか寂しいの怒りなのか安堵なのか。あるいはその全てなのか。わからない。わからないけど涙が止まらない。
気づけば私はお守りを捨てていた。
「お願い、助けて。一緒に居て。一人は嫌なの。私を……私をあなたのところに連れて行って」
その言葉に化物は笑う。思い出すのは始まりの夕暮れ。あの日も彼はこんなふうに嬉しそうに笑っていた。
「ありがとう。嬉しい」
手を引かれる。立ち上がる。始まりは彼よりも低かった背。気づけば私の方が大きくなっていた。
「寂しかったんだ。ずっと。神様は居たけれど僕とは全然違う存在で。寂しくて友達がほしくて連れてきても皆泣いてばかり」
私を見上げる彼。私をこんな目に合わせた諸悪の根元。私に残された唯一の化物。
ーーあなたのせいでこうなったの。全部全部あなたのせいよ。
でも、もう私は彼の手を離せない。約束が無効になったとしても私は彼の手を離さないだろう。
ーーだから。
「ねえ、約束をしましょう」
「約束?」
きょとんと彼が首を傾げる。私はそれにそうよと頷いた。
「決して私を一人にしないで。ずっと私の側に居て」
そう言うと彼はいいよと頷いた。あの始まりの夕暮れの時の私と同じようにあっさりと簡単に。
小指を絡める。そうしてあの日と同じように歌を歌う。
ーー指切り拳万、嘘ついたら針千本飲ます、指切った
「これで、ずっと一緒だね」
彼は笑う。無邪気に笑う。
だから私も笑った。私を苦しめた化物に。
絶対に彼のことを許さない。許せない。でも離れられない。離れたくない。離さない。彼がこの先嫌だと言っても、私は決して彼を離さない。
「ええ、そうね」
ーー今度は私の番。