第26話 退くわけにゃ、いかねえ!
「意地とか、誇りってやつかぁ?」
俺の考えてることを読んだかのように、ガレッセオは薄く笑った。「よっこらしょ!」って立ち上がり、脚衣についた土埃をパンパンと叩き落とす。
「そういうつまらねぇもんに、あんまり捕われねぇ方がいいと思うぜぇ? お前ら地上の種族が俺たちに勝つなんざぁ、そう滅多にあることじゃねぇんだからよぉ」
森の神が、軽い調子でそう言うのを聞いて、俺はむっとした。その反応を面白がるように、神は続ける。
「特に人間ってぇのは、弱い奴ばっかりだからなぁ。神と真っ向から戦ったって、勝てるはずがねぇんだ。せいぜい知恵をめぐらせて、まともにぶつからねぇようにするのが一番だぜぇ」
ガレッセオの言葉にゃゴドロムと同様、俺たち地上の種族を蔑んでるような響きがあって、正直聞いてて不愉快だった。
なんなんだ、この神様は。こっちは熱くなった頭を冷やしてるところなのに、火に油を注ぐようなことばかり言いやがって。
人を馬鹿にして、怒らせて……あんた、そんなに楽しいのかよ?
「――ま、脳天に稲妻落っこちねぇように、せいぜいがんばりなぁ、弱っちい人間よぉ!」
「そんなことは……ねえよ」
俺は神に抗った。堪忍袋の緒が切れて、神の言葉を否定するようなことを言っちまったんだ。
「あぁ? なんだお前、今なんて――」
「あんたが思ってるほどひ弱じゃねえよ、俺たちは!」
もう一度、はっきりと言い切った。
神は地上の種族を馬鹿にするが、俺たちゃそこまで無力な存在なのか。違う――そんなことはねえって、声を大にして言ってやりたかった。
「人間、お前……何を根拠に、そんなことを言いやがるんだぁ?」
「半年前、あんたも〈樹海宮〉にいただろう?」
それなら、この神様だって見てるはずだ。俺たちがリアルナさん――天界の王妃である月の女神を相手に、戦ってるのを。
「あのとき、俺たちゃリアルナさんに勝ったんだ! 神授の武器を手にしたカリコー・ルカリコンだって打ち負かした! 今度も上手くやりゃ、あの雷神様に一泡吹かせることだって――」
「黙れよ、人間」
急に凄味のある声を出すと、森の神は左手を広げ、こっちへ突き出した。すると驚いたことに――肩から指先にかけて、つまり左腕全体がぼこぼこと、肌の下から筋肉を盛り上げ、ふくらみ出したじゃねえか。
たちまち水をぱんぱんに詰めた革袋みてえにふくれ上がる、神の左腕。その太さは、すでにガレッセオ自身の胴ほどもあり、今もなお膨張を続けてる。
右手と同様、また指が伸びて木の枝になるのかと思ったが、今度は違うようだ。五本の指もまた、ぼこり、ぼこりとふくらんで、一本一本の先が俺の頭より一回り、いや二回りも大きくなった。
さらに、それぞれの指から黒、灰色、黄金色、赤茶色に焦げ茶色――色の異なる毛が生え、繁茂して、掌と手の甲で五色が入り交じる。そのまま手首、肘を通って肩にいたるまでの素肌が、隈なく毛に覆い尽くされる。
饐えた獣の臭いが漂ってきた。獰猛な怒気と、殺意さえこもった唸り声が聞こえてくる。
「な……!」
なぜそんな臭いがするのか、どうしてそんな声が聞こえるのか。その理由が今、やっとわかった。異様にふくれ上がった神の五指――それらの先が、なんと森に棲む獣の頭と化し、獲物を見る目で俺をにらんでやがるんだ。
親指は熊、人差し指は狼。薬指は猪で、小指は鹿。そして中指は――鬣を振り乱した獅子。獣の首が五つ。それらが押し合いへし合い、よだれを振りまきながら、口々に咆哮する。
い、一体どんな魔法が、こんな怪異を引き起こしてやがるんだ?
「おぅ、よぉしよし、いい子だぜぇ!」
左手の指先が奇怪な変化を遂げて生まれた五つの獣の首を、ガレッセオは笑ってなだめる。いつの間にか元に戻ってた右手で、後ろから頭をなで、のどをくすぐって、おとなしくさせる。
その目はまるで、我が子を見るかのように優しげだ。
そう思ってると、
「――思い上がるんじゃねぇよ、人間」
自分の眷属たちに笑いかけてた森の神が、不意にこっちへ鋭い視線を投げてよこした。それまでとはまるで別人の目。獲物に狙いを定めて弓を引き絞る、冷徹な狩人の目だった。
「以前〈樹海宮〉でお前らがセフィーヌ様に勝てたのは、運がよかっただけ。リュファトの剣と打ち合って、セフィーヌ様の大鎌にひびが入ってたからだぜぇ。あんな奇跡みてえな幸運はそう何度もやってくるもんじゃねぇ。今度俺たちの誰かとまともにぶつかりゃ、くたばるのはお前らだぜぇ?」
「……!」
否定しようがねえ事実を突きつけられて、返す言葉が見つからなかった。
運がよかっただけ、奇跡みてえな幸運。あのとき、俺たちが神を相手に勝利をつかめた理由ってのは、そんなもんなのかよ。
「――ま、そういうことだぜぇ、人間」
森の獣たちを統べる神は、陽気な笑みを顔に貼りつけ、右手で俺の肩をぽんと叩いた。
「地上の種族が神と張り合おうなんてぇ、考えるのがそもそもの間違い。そうとわかったら、おとなしく退きなぁ。こいつらに食い殺されたきゃねぇだろぉ?」
「――いかねえ」
「あぁ?」
頭の中じゃ、ここは一歩退いて、神と張り合わねえようにするのが賢明だってわかってた。
けど……それでも、俺は。
「退くわけにゃ、いかねえ!」
さっきこの神様が言ってた意地や誇り、そういう理性じゃ抑えきれねえ感情が、俺にそんなことを言わせてるらしい。
神々に――この世界を見下ろす天上の権力者たちに、俺たち地上の種族のことを認めてほしかった。半年前の、〈樹海宮〉のときみてえに。
神々はあのとき、俺たちが魔法使いを相手に戦う様を見て、賛辞をくれた。「見事であったぞ!」「地上の種族もやるものですねえ」「意外にあなどれぬものじゃわい」って、俺たちを賞賛してくれたじゃねえか。
神々はあの日のことなんざ、きれいさっぱり忘れちまったのかよ。
だったらそれを、思い出させてやる……!
俺の目に反抗の意思を見てとり、憤慨したのか、獣の首たちが口々に吠えた。
獅子の顎が、目と鼻の先で――ガチン! 音を立てて、閉じ合わさる。
熊の、狼の口から咆哮と共に飛ぶ唾が、顔面にかかる。
猪の鋭い牙がほっぺたをかすり、鹿の尖った角がむき出しの腹をかすめた。
間近でそんなことをされて、怖くねえのかと言えば、もちろん怖いに決まってる! 後ろに下がりてえ、もっと言えば回れ右をして逃げ出してえって、何度思ったことか。
それを懸命にこらえて、こっちを無言で見つめる森の神と、騒々しく吠え立てる獣の首たちを、ただぐっとにらみ返した。
俺は――人間ってのは、こんなこけ脅しに屈するような、弱い種族じゃねえよ!
そうやってどれくらい、森の神とその眷属たちをにらんでただろう。
「……はっ。意外と度胸あるじゃねぇか、人間」
不意にガレッセオが、吹き出すのを我慢するような顔になって、口を開いた。
「さすがにリュファトが気に入るだけのことはあらぁ。それに、メラルカの野郎が目をつけるのも、わかるような気がするぜぇ」
「え……?」
それまでガレッセオ自身から、それに獣の首たちからひしひしと伝わってきた敵意が、すうっと引いていくのを感じた。
獣の首が五つとも、瞬く間に萎み、縮んで元の形に――神の指へと戻っていく。左腕を覆い尽くしてた毛も、肌に吸い込まれるかのように消え失せた。
元通りになった左手を、ぐっ、ぱっと閉じたり開いたりしながら、神はこんなことを言う。
「ゴドロムの奴は、気にくわねぇって吐き捨てるかもしれねぇけどなぁ。俺様は嫌いじゃねぇぜ――お前みてぇな奴のことはよぉ」
「え……?」
話は終わりだとばかりに、俺に背を向け、歩き出すガレッセオ。
「それだけ俺たちに勝ちてぇ、負けたくねぇって気持ちがあるんなら、遠慮することはねぇ。迷わずそいつを、ゴドロムにぶつけてやりなぁ。ひょっとしたら、あの雷親父にだって伝わるかもしれねぇぜ――お前の強い意思ってやつが」
「チャパシャも~、大好きだからね、人間さんのこと♪」
森の神の後を追って、水の女神も立ち上がった。去り際に水瓶の中身をちゃぷんと鳴らし、俺に向かって、ぱあっと笑顔を輝かせる。
「事情はよくわからないけど~、がんばってね♪」
その満面の笑みにつられてか、俺も思わずほっぺたを緩めちまう。
「……へっ」
結局、何しにきたんだろうな、あの二人。
館の外に出るつもりなのか、門へと向かうガレッセオとチャパシャを見送りながら、そんなことを考えた。
俺をからかいにきたのか、それともひょっとして……励ましにきてくれたのか?
どっちにしても、あの二人のおかげで、なんだか元気が出てきたぜ。それに、雷神との勝負で指すべき手も、ニつか三つ、脳裏に浮かんできた。
そろそろ戻るとするか――デュラムとサーラ、神々が待ってる中庭へ!




