第22話 勝負しようぜ、俺たちと
……がぶり!
目の前で湯気を立ててる骨つき肉に、まずは一口、かぶりつく。
柔らかな、それでいて確かな噛み応えがする、焼き立て熱々の肉。一噛みで口一杯に溢れる、濃厚な肉汁。そこいらの市場で切り売りされてる肉とは、まるで別物の味だ。
ひょっとして、天上の牧場で雷神ゴドロムが飼ってるという、翼ある牛の肉だろうか。それなら振りかけられてる黒い粉は胡椒や丁字じゃなくて、天空の都で神々だけが口にするという魔法の香辛料か。肉の臭みを消し去り、一時の辛さでぴりっと舌を刺した後、爽やかな清涼感を運んでくるこの粉は、一体なんだろう?
「…………そこの人間。味はどうかしら?」
焚き火の向こうで俺と同様、胡座をかいてた大地母神が、燃える炎越しに声をかけてきた。
「え? ああ……美味いぜ。文句のつけようがねえ」
「…………そう」
遠い昔、轆轤を回して粘土をこね、人間を創造したと言われる大地の女神は、口数が少なく口調も無愛想だったが、俺がうなずいてみせたときだけ、口許をかすかにほころばせた。
「ポラちゃんはね、無口だけど優しいんだよ~♪」
トゥポラの肩に頭をもたせかけ、そう言ったのは水の女神。寡黙な大地母神に対して、とにかくおしゃべり好きなのがこの女神様だ。
「それに、とっても強いんだから~。こ~んなに大きな悪魔さんを~、素手でやっつけたことだってあるんだよ♪ そのときのポラちゃんときたらね~、それはもう――」
「…………昔の話よ、パシャ」
おしゃべりに夢中なチャパシャの頭をそっとなで、遠い目をするトゥポラ。
「…………この手が最初の人間をつくるより前、はるか昔の話だわ」
やっぱり、見た目に似合わず長生きしてるんだな、神様ってのは。
「ところで、人間の小僧」
それまでしゃぶってた牛の骨を、ぽいと脇に放り捨て、雷神が俺を見下ろしてきた。
「昨日は間一髪のところで、そこの魔女に怪我をさせずに済んだのう」
初めは何を言ってるのかわからなかったが、
「貴様、この館へ来る前に、一度わしと顔を合わせたであろう? この町の大通りで」
「……あ!」
そう言われて思い出したのは昨日の真っ昼間、俺たち三人が泥棒猫のラティさんを追いかけてたときのことだ。俺たちが十字路に差しかかったところで右手から疾走してきて、サーラを轢きそうになった一台の荷馬車。あれに乗ってた御者は確か、灰色の顎鬚を蓄えた禿頭の大男じゃなかったか? ちょうど今、俺の前でふんぞり返ってる雷神様みてえな……。
「……! まさか、あのときの御者は……!」
「ふん、鈍い奴よ。ようやく気づきおったか」
荷馬車を駆ってサーラを跳ね飛ばしかけた張本人は、にやりと笑ってみせた。
「退屈しのぎに皆で町中を巡っておったら、偶然貴様らと鉢合わせしてのう」
「……! 『皆で』ってことは、他の神々もあの荷馬車に乗ってたのかよ……!」
そう言えば、幌がついた荷台にゃ、身を寄せ合って座る人影がいくつも見えたっけ。あれは……神々だったのか。
道理であのとき、嫌な予感がしたわけだ。
「危ないところだったんだぜ! 大通りを、あんな勢いで横切ってさ。俺が引き止めなけりゃ、サーラが轢かれてたじゃねえか!」
「それがどうした? たかが魔女一人の命、失われたところで何ほどのことがある?」
俺が気色ばんでも、雷神に悪びれる様子はまるでねえ。水の女神様から受け取った黄金の杯を口へ運び、満々と注がれた葡萄酒をさも美味そうに飲み干してから、
「そんなことよりも、だ」
と、右手の甲で口許をぬぐいつつ、さっさと別の話を始めちまう。
「今日はこの町に、サンドレオとかいう異国の使者どもが来るそうだのう? あるいはもう、来ておるのではないか?」
口許に薄笑いを浮かべちゃいるが、ゴドロムの瞳はじっと俺を見すえたまま動かねえ。この稲妻の神様、こっちがどんな反応を示すか試してやがるぜ。
「ああ、そうでしたねえ。風の便りに聞いてはいましたが、今日とは初耳ですねえ」
「なんと、異国の使者どもとな! それは興味深い話ぞ。そやつら、果たしていかなる者どもか、しかとこの目で見ねばなるまいぞ!」
「しかり! できれば今すぐにでも、そやつらの許へ行きたいものじゃ」
雷神に調子を合わせるかのように、風神ヒューリオスや海神ザバダ、軍神ウォーロが今にも立ち上がりそうな気配を見せる。
「面白そうな者どもならば、退屈しのぎに少しばかりからかってやりたいのう。それで和平の話し合いとやらに差し障りが出るのであれば、それもよし――暇潰しにはちょうどよい見物となるというものよ」
なにが「それもよし」だ! 俺たち地上の種族の苦労も知らねえで、いい気なもんだぜ。
雷神が意地悪い笑みを浮かべるのを見て、俺は内心焦りと怒りを覚えたが、どうにかこらえ、平静を装う。
……そうだ、落ち着け。熱くなっちゃいけねえ。ここで俺が冷静さを欠いたりすりゃ、連中ますます面白がって、サンドレオの使者たちを見にいこうとするだろう。
それだけは、なんとしてでも阻止しねえと。
「――それよりさ、もっと楽しいことをしねえか?」
平静の仮面をかぶったまま、俺は神々に、そう話を持ちかけた。
よく言えば自由奔放、悪く言えば我がまま勝手な神々のことだ。この中庭から出ねえでくれなんて率直に頼んでも、素直に従ってくれるとは思えねえ。
それなら、こいつらの興味をサンドレオの使者たちからそらし、別のことに関心を持たせた方がいいだろう。
そのためには、まず――。
「勝負しようぜ、俺たちと」
俺が口にした「勝負」って一語に、その場にいた神々は皆、ぴくりと反応した。
「小僧……今、なんとさえずった?」
と、ゴドロムがたずねてくる。低く垂れ込めた暗雲の中から響く、雷鳴じみた重低音で。
「俺は鳥じゃねえんだ。さえずってなんかねえよ」
「では、なんとほざきおったのだ!」
祭りの大太鼓から叩き出される轟音にも似た、張りのある力強い声で、神は問いを重ねる。
「よく考えて慎重に答えるがよい、小僧。場合によっては我が稲妻……その身に見舞うことになるからのう……」
「あたしたちと勝負しましょって言ったのよ、神様方」
俺が考えてることを察してくれたのか、さらりとそう言ってのけたのはサーラだ。藍玉の瞳は、今にも稲光を発しそうな神の目を、真っ向から見返した。
「勝負とな? 痴れ者めが。貴様ら地上の種族が不遜にも、我ら神々に挑戦すると申すか!」
雷神が軽く指を鳴らすと、その掌中にバチッと火花が咲いて、稲妻が生まれた。少し青みがかった白い雷光が、持ち主の強面と禿頭を、不気味に照らす。海神ザバダの銛と軍神ウォーロの戦斧も、持ち主の手中で色の異なる――銛は青の、戦斧は赤の――光を放ち、俺のうなじをぞわぞわと粟立たせた。
やっぱり、神々ってのは気まぐれだ。さっきまで俺たちへの好意に満ちて、明るくのんびりしてたその場の雰囲気が、一瞬で張り詰め、重苦しくなった。
「待ってくれよ。俺たちゃ誰も、あんたらと戦いたいなんて言ってねえぜ?」
誤解を招かねえよう、顔の前で両手を振って弁解する俺。ここで話を、上手い方向へ持っていけるかどうかが肝心なところだ。下手に話をこじらせて、この場にいる神様全員が敵に回るなんてことは、絶対避けなきゃならねえ。
「これは聞こえぬことをほざきおる。貴様今し方、その口で我らに『勝負をしよう』と申したではないか。あれは我らの空耳であったと申すか?」
「いや、そりゃ確かに言った、間違いねえ。けど、勝負ってのは、何も戦いだけに限ったもんじゃねえぜ? 世の中にゃ、家族や友達と遊戯で勝負する――なんて場合もあるだろう?」
そう、遊戯。この世にゃ、子供の鬼人ごっこから大人の賭けごとにいたるまで、数多くの遊戯が存在する。その中に、神々が楽しそう、面白そうって感じるもんがありゃ、そいつで俺たちと勝負しねえか。俺が神々に持ちかけたのは、つまりそういう話だ。
正直、こいつらは剣や魔法でこの場に足止めしておける相手じゃねえ――少なくとも、今のところは。それなら本当の戦いじゃなくて、連中が喜び、夢中になるような遊戯で勝負して、この中庭に引き留めておくことはできねえか。上手くいけば、そうやって俺たちが時間を稼いでる間に、姫さんがサンドレオの使者たちと話をつけてくれるかもしれねえ。
「遊戯じゃと? 馬鹿を言うでない。そのような戯れに誘うたところで、我らが応ずるとでも……」
「ふん、賢明だな。負けるかもしれない勝負を避けるとは」
いぶかるような表情を見せるウォーロを、妖精が得意の嫌味で挑発した。隣に立つ俺の肩にぽんと手を置き、「あとは私に任せろ」って、翠玉の瞳で伝えてくる。
……頼んだぜ、相棒。
俺がそっとうなずくのを見ると、デュラムは神々の方へと視線を戻し、さらに皮肉な口調でこんなことを言う。
「たかが遊戯とはいえ、万一地上の種族との勝負に敗れれば、それは神々にとって大きな恥辱となるからな。そんな怖れがある以上、こちらの挑戦に応じるなど愚の骨頂。賢明なる神々であれば、避けて当然だろうな」
デュラムの奴、上手いぜ。一見、神々の利口さを称えてるようだが、実は遠回しに「負けるのが怖いんだろう?」って小馬鹿にしてるわけだ。こんなやり方は神々に対して無礼ってもんだが、今は固いことを言ってる場合じゃねえ。
さて、効果の方は……どうだ?
妖精の挑発を受けても、トゥポラは相変わらず無表情だったし、チャパシャとガレッセオは剣呑な雰囲気になったこの場を心配そうに見守るばかりだ。けど、他の神々にゃ効果てきめんで、ヒューリオスやウォーロは不快そうに顔をしかめ、ザバダも「無礼な妖精ぞ!」って気色ばんだ。
だが、他のどの神より目に見えて怒ったのは、ゴドロムだった。神々の中で最も怒りっぽいとされる雷神のこめかみに、ビシリと一本、稲妻そっくりの青筋が走る。
「……言わせておけば、地上の種族風情がつけ上がりおって。三人そろって、ほざきおるわ」
怒れる雷帝は目を伏せ、そろそろ我慢の限度を超えようって奴がそうするように、大きく息を吐いて、しばらく沈黙した。
嵐の前の静けさが破られるまで、かかった時間はぴったり胸五拍分。次の瞬間、かっと目を見開いたゴドロムの口から、耳を聾する大音声がほとばしった。
「――よかろう! 貴様らの勝負とやら、我ら神々が相手になってつかわそう!」
よっしゃ……乗ってきたぜ。俺たちの誘いに、天上の権力者たちが。
なんとか思う通りにことが運んで、俺は内心ほっとした。あとはどのくらい、連中をこの場に釘づけにしておけるか、だが。
姫さんはもうそろそろ、サンドレオ帝国の使節団と話し合いを始めてるだろうか。
どれだけ長く持たせられるかわからねえ。早く和平を成立させてくれよ、姫さん……。




