第18話 目的
「あら、大方の見当はつくじゃない、デュラム君」
そう言って助け舟を出してくれたのは、サーラだった。
「セフィーヌ様は、明日やってくる帝国の使者たちに気をつけろとか言ってたわよね? その使者たちが、何かたくらんでるんじゃないかしら? もしそうなら、それをあたしたち三人で突き止めて、ウルフェイナ王女に教えてあげるくらいはできそうね」
それを聞いて、デュラムは眉をひそめ、苦い顔をした。
「口で言うのは簡単です。しかし、実際にやるとなれば難しい話でしょう、サーラさん。南東の大帝国サンドレオ……確かに、何かたくらんでいても不思議ではありませんが、それを突き止めるなど、容易には――」
「冒険者なら、そんな困難に挑んでこそ♪ 違うかしら、デュラム君?」
魔女っ子が人差し指を振って、ぱちっと目を瞬かせると、妖精の美青年はぐっと言葉に詰まった様子を見せる。
「それは……そうですが」
デュラムはいつも、サーラにゃ弱い。今も上手くやり込められちまい、返す言葉に窮してるようだ。
けど、サーラはデュラムを言いくるめる一方で、俺にこう釘を刺すのも忘れなかった。
「でもメリック。デュラム君だって間違ったことは言ってないわ。自分の考えをはっきり言うのも大事だけど、仲間の話をよく聞いて、じっくり考えることも大切よ。あなたこの先、なんでも今みたいに自分の主張を押し通そうとしてちゃ、デュラム君も……場合によってはあたしも、そっぽを向くかもしれないわよ?」
「え……?」
突然そんなことを言われて、ぞっとした。熱い湯に浸かって温まってるはずなのに、体の芯がピシリと音を立てて凍りついた気分だ。不安――いや、恐怖と言っていい感情が、胸の奥底から湧き上がってきた。
この二人に、そっぽを向かれる。それは……こいつらに愛想尽かされて、一緒にいられなくなるってことか。
そんなのは、絶対に――。
「嫌だぜ……そんなの絶対、嫌だからな!」
自分でも驚くような、大声が出た。
こいつらと別れるなんざ、考えられねえ。そんなことになったら、俺は――。
いきなり声を荒げた俺を、サーラが驚きの目で見つめてくる。
「落ち着きなさいよメリック。あたしは何も、今そうなるなんて――」
どうどう、とばかりに、暴れる天馬や一角獣をなだめるような手つきをしてみせる魔女っ子だが、
「落ち着いてなんか、いられるかよ!」
俺は聞く耳持たず、ばしゃあっと派手に湯を跳ね上げて、勢いよく立ち上がる。
「俺は嫌だからな! そんなの絶対、許さねえ――って、おわたたたっ?」
立ち上がった途端、湯船の底で足をつるりと滑らせた。視界に一瞬、天井が映ったかと思うと――ざぶん! 間抜けにも風呂場で引っくり返り、熱い湯の中に背中から倒れ込んじまう。
「がぼっ、ごぼぼぼっ!」
鼻から、口から、湯が入り込んでくる。立ち上がろうにも、何かをつかもうと伸ばした手は宙を引っかくばかり。足も二度、三度と滑らせちまって――もがぼぼぼぼっ!
「デュラム君、手を貸して! あなたは右から、あたしは左から!」
そんなサーラの声が聞こえる中、俺の意識は闇に――沈み込む寸前で、光の世界へ引き上げられた。
デュラムとサーラが、両脇から抱え込むようにして、湯から引っ張り出してくれたんだ。
「げほ、ごほっ……」
「もう! 何やってるのよ。本当に世話が焼けるんだから……」
「げほっ……わ、悪い」
咳き込みながら、俺は謝った。一人で勝手にいきり立った挙句、勝手にすっ転んで迷惑かけちまったんだから、ここは素直にわびるのが礼儀ってもんだろう。
「デュラムやお前に見放されて、一人になる場面を想像したら、つい取り乱しちまってさ」
「なに大袈裟に考えてるのよ。あなたを見放すなんて、そんなことするわけないじゃない」
「そっぽを向くかもって、言ったじゃねえか」
「それは、ちょっと脅かしただけ。我を通してばかりじゃ仲間と気まずくなるわよって、一言釘を刺しておこうと思ったのよ」
ほっと溜め息ついて、呆れた顔をするサーラ。
「その……本当にすまねえ、迷惑かけて」
けど、頭を冷やしてよく考えりゃ、今のは自分を見つめ直すいい機会だったかもしれねえ。なんだか俺、自分の我がままにデュラムとサーラをつき合わせて、二人を振り回そうとしてるだけなんじゃねえかって、そんな気がしてきたんだ。
ただでさえこいつらにゃ、俺の里帰り――故郷へ帰る旅につき合ってもらってるんだ。二人にゃ、一リーレムの得にもならねえってのに。
その途中で「姫さんを手伝ってやりたくなったから、お前たちも力を貸してくれ!」なんて、そんな気まぐれで身勝手なことを言っていいんだろうか。
そいつはまるで……神々の振る舞いみたいじゃねえか。
あれこれ考え込んでるうちに、湯に沈んでぶくぶく泡を立て出した俺を見て、魔女っ子が肩をすくめた。「まったくもう、仕方ないわね」って感じで。
「……メリック。せっかくだから、もう一つだけ、言わせてもらうわ。里帰りしてお父さんのお墓参りをするとか、ウルフェイナ王女の手助けをするとか、確かにそれもいいことだと思うけど、今のあなたはもっと大きな、一貫した目的を持つべきよ。はっきりとした旅の目的――冒険者として、めざすものを」
「え……?」
半ば海中に沈んだ難破船さながら、すでに鼻まで湯に沈没してた俺は、それを聞いて、ざばっと肩まで急浮上した。
「以前、貴様は言っていただろう? 過去を思い出したくないから、ずっと冒険に打ち込んできた、と」
サーラの後に続いて、デュラムの奴も口を開く。
「かつての貴様にとって、冒険は過去を忘れているための手段に過ぎなかったわけだ。では、今はどうだ? 今の貴様にとって、冒険とはなんだ?」
「生きるために必要な、お金もうけの方法? それとも単なる趣味、お楽しみかしら?」
「それは……」
裸の美男美女に代わる代わる問い詰められるなんざ、人によっちゃ嬉しい状況なんだろう。けど俺の場合は、ただ困惑するしかねえ。
答えが見つからず、言いよどむ俺に、サーラはこんな提案をしてきた。
「あなたが旅して冒険する目的を、見つけてみたらどうかしら? それがいい加減じゃなくてしっかりしたものなら、あたしはとことんつき合うわ。それにきっと、デュラム君だって――」
サーラにちらりと視線で同意を求められ、デュラムも無言でうなずく。
二人を交互に見て、俺は――何も答えられず、またうつむいちまった。
俺は……これから一体、何を旅と冒険の目的にすりゃいいんだよ?
謎々好きの魔物、獅子女だって、こんな難しい問題は出せねえだろう。どうやら俺は、人生の難問ってやつに、ぶち当たっちまったらしい。
伝説の賢霊――冥界の門の頂に腰かけ、思索にふけってるという賢者の亡霊みてえに、問題の答えを求めて考え込んでる俺を、魔女っ子はしばらくじっと見つめてた……が、やがて何を思ったか、おもむろに両手で湯を掬い上げる。そして、それを――いきなり俺に、ばしゃっとぶっかけてきやがった!
「どわっ? サーラ、てめえ何しやがる、ぶわわわっ!」
「はい、そこでまたうつむかない、悩まない♪」
ばしゃ、ばしゃ。悪戯っぽく笑いながら、立て続けに二度、三度! さも楽しげに両手で湯を掬って、俺に浴びせてくるサーラ。
ひ、人が真面目に考えてるときに、何しやがるんだよ、こいつは!
「別に、急いで答えを出さなきゃならない問題じゃないんだから、こんなところで考えないの! そのうち時間のあるときに、ゆっくり探してみなさいよ。あなただけが見つけられる答えを」
魔女っ子が湯と一緒に浴びせてきたその言葉で、重苦しかった風呂場の雰囲気が、ふわっと和らいだ気がする。それこそまるで、魔法のように。
「今日はいろいろあって、あなただって疲れてるんだから。お風呂出たら、ゆっくり休んで、明日の朝、ウルフェイナ王女と相談しましょ――この町であたしたちに、何ができるのか」
「正直、この町に留まるのは気が進まないが、今回は貴様につき合ってやる」
胸の下で腕を組み、まだ不満そうに口を引き結んだまま、デュラムがそう言い放った。それから、ちょいと口調を和らげて、
「だから今日は、これ以上悩むな。貴様の辛気臭い顔を見ていると、私まで気がふさぎそうだ」
と、優しい微笑を閃かせる。
「デュラム、サーラ……」
なんだか、目頭がじんわり熱くなってきた。男のくせにみっともねえ、シャキッとしやがれ――何度自分にそう言い聞かせても、どうしようもねえ。
「……すまねえ。それに、その……ありがとな」
サーラに出された問題の答え――旅と冒険の目的ってのは、簡単にゃ見つかりそうにねえ。けど――。
俺は今、改めて思った。今日までこの二人と一緒に生きてきて、本当によかったって。
少なくとも、今はそれだけで充分だ。
「――仲間内での語らいは済んだか、人間の小僧」
そんな声が風呂場に響き渡ったのは、そのときだった。出入り口の扉が勢いよく開き、人影がいくつも入ってきた。
「うぬらが出るのを全裸で待っておったが、こうも長湯をされては、もはや待ちきれぬわ」
立ち込める湯煙のせいでよく見えねえが、あれは、まさか。
「ほう? これは……なんとも風流な湯浴み場ですねえ」
「うぉのれ、けしからん地上の住人どもめ! おぬしら、我ら神々を差し置いて、このように見事な風呂を堪能しておるとは何事ぞ! まことにもってけしからん!」
「しかり。わしらも早速、入らせてもらうとするかのう」
「わ~い、ガルちゃん見て見て、きれいなお風呂♪ 早く入ろうよ~♪」
「おうパシャ、今行くぜぇ! ほらほらぁ、ポラ姐も入ろうぜぇ!」
「…………私は体を洗ってからにするわ。パシャと先に入りなさい、ガル」
ま、間違いねえ。賑やか好きな神々の、お出ましだ。
「うわーっはっはっは♪ 風呂ぞ、風呂ぞ! 至福の一時ぞ♪」
「そぅらパシャ、飛び込むぜぇ!」
「うん♪ せ~の、どっぼ~ん!」
ドボン、ドボン! 亜麻の腰布もつけず、生まれたままの姿で乱入してきた神々は、俺たちに見られてることなんざお構いなし。広い湯船を目にするなり、嬉々として飛び込んでくる。
「いいお湯だね、ガルちゃん♪ セフィーヌ様についてきてよかったね!」
「はっはぁ、まったくだぜぇ! 温まったら背中流してやるからなぁ、パシャ!」
湯煙の向こうでほのぼのと、微笑ましいおしゃべりをする水の女神と森の神。そのそばじゃ、雷神が葡萄酒満たした黄金の杯を掲げ、風神が果物盛られた白銀の皿を手にして、 昼間と同様の宴を始める。海藻みてえな青い髪の偉丈夫、海神ザバダにいたっては、左右交互に抜き手を切って、湯船の中を猛烈な勢いで泳ぎ出す有様だ。
「上がりましょ、メリック」
たじたじになってた俺の手を引き、サーラがそっとささやいた。
「ここにいちゃ、あのどんちゃん騒ぎに巻き込まれるわ」
デュラムがうなずき、滴を滴らせて、湯船を出る。
「……あ、ああ。そうだな」
天上の権力者たちと話をしてえって気もしたが、今日はもう、疲れちまった。
明日は早起きすることになるだろうし、ここらで退散しよう。