21.戦場の華2
ガレヴァーン侯爵は譲られた椅子にヒョイと座ると、必死でガレリウドの後ろに隠れようとしている香子の様子を顎鬚を手でなぞりながら面白そうに見つめた。
ガレリウドは大きくため息をつくと共に、香子が隠れようとしていることを咎めることなく好きにさせ、侯爵に向き直った。
「どこで、その情報を聞いたのですか?」
「なに、ここの所そちが大人しく邸に篭っていると言うから、鎌をかけただけのこと。戦の権化が邸に篭るなど、数千年の間にも稀なことじゃろ」
「戦に出さぬと仰ったのは閣下でしょう。故に、邸に居てもおかしくはないはず――」
「おかしいに決まっておるわ。戦に出さぬと言っても、毎回、聞き入れもせず暴れ回っておったじゃろ? 殲滅将軍の所以だというのに、長き生の中でもその性分は変わらぬはずだ。こうして、召集した戦にも応じるのだからのぅ」
他に聞きたいことがあるのかとばかりに、侯爵がニヤニヤと笑みを浮かべている。
ここ数千年は戦況の報告に顔を合わせる程度の付き合いとはいえ、ガレリウドに戦を教えて、魔将としての在り方を、育てたのはこの侯爵に他ならない。
言うなれば、師父のような存在であり、頭が上がらない相手である。
侯爵に楯突く魔将が戦を起こすが、この飄々とした性格の侯爵を相手に戦を起こすのは名目にただの領土争いだけではなく、「腹立たしいから」という小さなことで起こることもある。
どこか謀ったようなことをして魔将の腹の底を試しているからか、それとも口達者に遣り込めるからか。
ガレリウド自身は侯爵に反旗を翻そうと思わないのは、侯爵への恩があるからでもなく、力が強いことを認めているわけでもなく、単純に――面白がられることがわかっているからだ。
「それで、ここへ来たのは愛妾を確認するためですか?」
眉間に寄った皺を指で揉みほぐしながら、ガレリウドが訊ね返した。
最も、本当にそれだけのために来るとは思えなかった。
面白がる傾向があるとはいえ、そのようなためなら戦前に訪れなくとも、直接邸に来るなり、侯爵の住む邸に召集するなりすれば良いのだ。
促せば侯爵は、つれないのぅ――と零しながら、ニヤついた表情を戻した。
その顔は、厳格な魔将そのもので、笑みなど一切ない。
「実はのぅ……。敵側に援軍が現れた。氷結魔将と言われておる娘が指揮をとっておる。名ぐらいは聞いたことはあるのではないか?」
「レディ・ブライテーヌ。三千年前に閣下が攻めたブライテーヌ伯爵縁の者ですか」
「娘のようじゃのぅ。と言っても、七千歳は超えておるから、そちよりも年上じゃが」
「名目は何ですか。今更伯爵領の奪還というわけでもありますまい」
三千年前、ガレヴァーン侯爵閣下にブライテーヌ伯爵が宣戦布告を示して、侯爵閣下が戦勝して領土を得た。
ブライテーヌ伯爵は戦死し、ほとんどは侯爵閣下の旗下に下ったり地方に散ったというが、何にしても恨みを買ったことには変わりない。
そうして縁の者が領地奪還にまた戦を起こすこともよくある話だ。
だが、三千年も間が空いているのは珍しいケースとも言える。
恨みが積もり積もってというのもあるが、レディ・ブライテーヌの名は戦場で耳にしたのは侯爵閣下が関連する戦とは別の所で入ってきたものだ。
ガレヴァーン侯爵と良好な関係を続けている、ラインバルト侯爵の旗下に居ると言う。
領土奪還が名目になってしまえば、背後にラインバルト侯爵が居ると考えれば、それは即ち侯爵同士による大戦争だ。
「名目は不明だ。このことをラインバルトが知っているのかもわからぬ。だが、そちと戦わせることになると、戦になりかねんからのぅ。そちにはレディ・ブライテーヌを殺さずに名目を聞き出してもらいたい」
「は?」
「戦には出さぬと言うたじゃろ。戦わせるのは、そちの配下の魔将だけで、ガレリウド……お主には戦の指揮ではなく、密偵として動いてもらいたい。魔将たちの指揮はレヴィン以外の者に任せてあるから案ずるな」
「待ってください。閣下。我が密偵になるのは百歩譲って良いとして、さすれば香子を守るのは――。戦場で一人にはしておけぬ身を今から返すのは無理なこと」
「そちが守れば良い。そもそも密偵としてお主が一人動いておれば目立つだろうが、女連れの方が怪しまれぬ場合もあるしのぅ」
最後の方は香子に向けて目配せしてみた侯爵閣下だが、絶賛人見知り……もとい恥ずかしがり――いや、顔を見られるのが苦手という香子は、ガレリウドの軍服を掴んで離さないままで、侯爵閣下と目を合わせようとしなかった。
その様子に怒るわけでもなく、クツクツと忍び笑いをすると侯爵閣下が椅子を立ちあがった。
そして隠れたままの香子に問いかける。
「珍しい名よのぅ、香子というのか。戦場までついてきて、そなたはガレリウドのような小僧の背に隠れるだけで良いのか?」
「閣下――」
「お主には聞いておらぬ。黙っておれ」
ぴしゃりとガレリウドを黙らせると、ガレヴァーン侯爵は問いただす。
香子の人となりを、思考を、本質を――全てを見通すように訊ねるのだ。
魔族と共存して、愛妾としての道を選んだ。
そして、またガレリウドが初めて選んだ愛妾。
ガレヴァーン侯爵には興味本位が半分と、それとはまた別のところに訊いておきたいことがあったからだ。