『出会い』第2話
リーネンブルク侯爵領リトルベルク――――
あれから1年が過ぎたが、俺は依然としてイリーナさんの家に居候をしている。そして元の世界に戻る方法を調べるのに必要な言語や知識はイリーナさんに教わった。言語の他にもこの世界の歴史や文化、技術などこの世界にしかないものから、政治、経済など元の世界に帰ってからでも使えるような学問も学んだ。最初は元の世界に帰る方法とは関係ないのではと思ったが、イリーナさんの講義を受けるのは非常に楽しく、断ることができなかった。何でもイリーナさん若い頃、『王立学園』と呼ばれる学校のような所で教職についていたようで、教え方が上手く理解しやすいのだと思った。
また、勉強だけでなく、友達も増えた。イリーナさんが拠点として構えている『リトルベルク』には1万人のヒトが住んでおり、主に人間種が多いがその次に多いのは獣人種の『赤猫族』だ。彼らは、元々南の方に住んでいたが、他部族の侵攻を受けてこの地まで逃れて来たのだ。当時元から住んでいた人間種からは獣人種の定住に反対の意を示し、一部では強制排除に乗り出そうとする者もいたが、イリーナさんが両者の仲介役となり、武力衝突を防ぎ、獣人種の定住を認めた。今ではこのリトルベルクでは人間種と獣人種の間で争いはなく、皆協力して日々の生活を営んでいる。また少数ではあるがハーフエルフ種も住んでいる。
俺は最初、黒髪を持っているということでリトルベルクでも浮いた存在であり、町を歩いていても避けられるなどして、なかなか話しかけることさえできなかった。しかし、イリーナさんやもう1人のメイドのネルちゃんのおかげで、リトルベルクに住む人々とはあいさつを交わしたり他愛無い話をするようになった。
だがこの1年間、いいことばかりあったわけではなく、その1つとしてイリーナさんの体調だった。俺を助けてくれてからしばらくの間は体調はよかったのだが、しばらくすると顔色がどんどん悪くなっていき、いまでは1日のほとんどをベッドで過ごしている状態だ。俺は2人のメイドと話し合って、イリーナさんの仕事の内何割かを自分の方にまわし、楽をしてもらおうとした。最初こそイリーナさんは拒否し続けたが、体調が悪くなってくると俺にいくつかの仕事をまかせるようになった。元の世界に戻る方法を探す時間は減ってしまったが、今までの衣食住の面倒を見てもらった恩を返すため、俺は任された仕事をこなしていった。
――――これは仕事にも慣れ、交友関係も広がったそんなある日のことだった。
俺はイリーナさんの屋敷の南側にある『商人街』に来ていた。俺は紺色の服を着ていたが、街に出るときは必ずその上から茶色のローブを羽織って、黒髪が目立たないよう目深くフードを被るようにしていた。商人街の中にある一軒の店の前で足を止めた俺は、がたいのいい茶髪の店主に話しかけた。
「やあ、店主」
「お、ユウキじゃねぇか。今日はどうした?」
「ちょっと見回りを兼ねた散歩、みたいなものかな」
「ほう、そうかい。そうだ、こいつらを見てくれ」
そう言って、店主は軒に並べられている野菜を俺に見せてくれた。どれも瑞々しく、艶やかな実ばかりでだった。
「今年は豊作だったということは聞いてるよ」
「いや、こいつはただの豊作じゃねぇ。俺は長いこと商売やってるが、こんなに上質な野菜が手に入るなんて今まで一度もなかったぜ」
「それは農夫の人たちが精を出してがんばってくれたからじゃないのか」
「確かにそうかもしれねぇが、奴らのやる気を出させたのは、ユウキ、お前じゃないのか」
「……」
「農夫だけじゃねぇ、俺たち商人だってそうだ。お前さんが政を仕切るようになってから、このリトルベルクは活気に満ちあふれてきた。イリーナ様の政が悪いわけじゃねぇが、あの方は戦争難民や他民族の受け入れとか、このリトルベルクの基礎をお造りになられた。俺たちはな、ユウキ。イリーナ様に感謝するのと同じくらいお前にも感謝している。ありがとな」
俺は店主に軽く頭を下げると、店を後にした。通りには様々な種類の店が開いており、それらの店は色とりどりの旗や看板を掲げている。また、路上では客を呼び込む娘のかわいらしい声や店主と値段交渉する買い物客の声、通りを走り抜ける子供たちの笑い声など喧噪に満ちあふれていた。
リトルベルクは確かに変わった。俺が初めて来た時は人の少ない静かな城下町だったのが、今ではたくさんの人が行き交うにぎやかな町となっていた。リトルベルクの変革はもちろん俺に原因があるだろう。最初の頃は書類整理などの簡単な仕事をしていたが、最近ではリーネンブルクの村や町の代表との会合にイリーナさんの代役として出席するなど、ほぼリーネンブルクの政は俺が仕切っていた。イリーナさんから教わった知識や元いた世界の知識を使い、今まで何とかやってきたが、正直不安だった。俺の政の指針は本当にあっているのか、俺の行いで誰かが傷ついていないかなど、不安で眠れない日もあった。しかし、先ほどのように感謝を述べられたり、活気のある町をたくさんの人たちが行き交う様を見ていると、そういう不安は薄れていった。
(だけど、これで満足してたらだめだ)
そう、ひとつの問題が解決されるとまた新たな問題が生まれてくることをこの世界で学んだ俺は、いつもこうして街を歩いて見て回っていた。机上では気づかないことも、実際に見て回ると気づくこともあるからだ。
商人街の中心部まで歩いて来た俺は、路上に人だかりが出来ているのを見つけた。あれは確か『傭兵ギルド』のある建物の前だったはずだ。人だかりをかき分けてその中を見ると一人の少女と三人の武装した男たち、あれは多分傭兵だろうと思われる者たちが剣を抜いて立っていた。
「返してください! その剣は私の大切な剣なんです!」
「だからよ〜 お前なんかが持ってるよりも俺様が持っている方がふさわしいんだって言ってるだろうが」
「へへっ」
「女は家に帰って編み物でもしてな」
そういうと、男たちの中で一番体格の大きい男は自分の腰に下げている剣を撫でた。剣はかなり凝った装飾がしてあり、とてもその男には似合わなかった。少女の方は身なりはそこらにいる村娘とそう変わらないが、身の丈が自分の2倍もある男たちにひるまずに食って掛かっている様子を見るとよほど大事な剣なのだろう。
(やれやれ、人が増えるとこういう事件も増えるから困る)
俺は4人の所まで行くと少女を庇うようにして立った。
「……なんだ、てめえは?」
「すみませんが、あなたの腰に下げている剣を彼女に返していただけないでしょうか」
「いきなり出てきたと思えば何を言いやがる!」
「そうだぞ! 痛い目に合いたくなきゃ引っ込んでろ!」
……あれ、なんかおかしいぞ。傭兵の争い事に俺が関わろうとすると、彼らは大抵俺が来る前に逃げるか、逃げなかったとしても一言二言言葉を交わすだけで場は収まるのだが、今回は少し違うようだ。傭兵たちの顔はあまり見かけない顔で、ここを『拠点』としない外から来た傭兵なのだろう。『拠点』とは傭兵たち活動中心地のようなもので、このリトルベルクも『傭兵ギルド』をもつことから傭兵たちの拠点となっている。リトルベルクの傭兵はその大部分は赤猫族の戦士であり、その他には人間や他の獣人種の傭兵がいる。リトルベルクの傭兵は俺がどういう立場の人間かは分かっているので絶対に揉め事を起こそうとはしないが、彼らは俺のことをただの通りすがりの男にしか見えなかったのだろう。それに彼らは酒を飲んだ後のようで、とても酒臭かった。そんな奴らにどれだけ言葉を重ねたって意味はない。
(さて、どうしたものか……)
最悪の時のため、あたりに警邏の兵士がいないかと見回した時だった。人垣の中から一人の男が出て来た。無精髭を生やし左目に眼帯を付け濃い緑の髪を短く刈った男、『アレイン・ゲイルバーグ』が現れた。
「お前たち、その者に対して剣を向けるでない」
「今度はジジイかよ…… で、こいつがなんだっていうんだ」
「この男はこのリトルベルクになくてはならない存在だ。傷つけることは……」
アレインは腰に下げていた剣を抜いた。
「このアレイン・ゲイルバーグが許さぬぞ!」
「………アレイン? もしかして『ほら吹き』アレインか!」
そういうと傭兵たちは大笑いし始めた。当のアレインは微塵も動かず剣の切っ先を傭兵たちに向けていたが、彼の背からは怒気を感じた。
「暴れ竜を殺しただの、数千の『呪われし民』と戦っただの数多の嘘を国王に対して付いた男に、こんな所で出会えるとは思わなかったぜ」
「……黙れ」
「確か王に対する偽証罪で領地を取り上げられ、由緒あるゲイルバーグ家も潰されたんだったよな?」
「…黙れ」
「挙げ句の果てに女房と子供に見放され、一文無しで路頭に追い出されたんだったよな?」
「黙れ!!」
アレインは剣を上段に構えると正面の男に襲いかかった。男も自分の剣で応戦し、残りの二人も男の援護に回った。しかし、アレインは片足を引きずっている上に隻眼だ。数合打ち合った後、アレインの剣は飛ばされ、彼自身は地面に倒れてしまった。
「アレイン!」
俺はアレインのもとへ駆け寄った。けがはしていなかったが、もうこれ以上は戦うことはできないだろう。しかし、彼の隻眼に諦めといったものは見えず、深い憎しみが色濃く映っていた。
「へっ、気が済んだだろ。この剣は俺がもらっていくからな」
「あ……待って」
「おい、ジジイには手加減してやったが、女、その柔肌に傷つけられたくなきゃおとなしくあきらめるんだな」
そういうと、傭兵たちはその場を離れようとした。少女は先ほどの戦いを目の当たりにしたせいか、今度は言い返そうとはせず、ただ黙って服の裾をつかんで俯いていた。俺自身もひるんでいて、彼らを止めることはできなかった。
そんな時だった。彼が現れたのは……
燃えるような赤色の長髪を後ろで括った美少年は傭兵たちの前に立ちはだかった。傭兵たちはどこか驚いた様子で少年のことを見ていた。
―――俺は美少年のことはまったく知らないし、何の根拠もなかったが、不思議なことに彼ならばこの状況をうまく解決できると、そう感じていた。