第七十二話 地獄の上書き
「――愚かしい。虫けらが神の決まり事に逆らうか」
『原初の宿主』の纏う無色の光が、一段と眩く膨れ上がり、円形広間の重力を押し潰すような圧力を放つ。
男の指先から放たれた理の奔流が、ルシアンとルーシーの存在そのものを「初期化」しようと迫った。
だが、二人の間には、教団の実験室から始まった果てしない絶望と、その底で磨き上げられた「互いを繋ぎ止める絆」があった。
ルシアンの「傲慢」が発する強烈な自傷のエネルギーと、ルーシーの「怠惰」が紡ぐ絶対の停止。
二つの相反する大罪の因子が、ルーシーの接触を触媒として、完全に一つに融合する。
——ズウンッ……!!
空間の理が軋み、パキパキと音を立ててひび割れた。
「なっ……!?」
初めて、原初の宿主の余裕に満ちた表情がわずかに歪んだ。
男の創ったルール通りに崩壊するはずのルシアンの肉体が、逆に周囲の理を食らい尽くすように、黒赤の禍々しい光を放って再構築されていく。
「お前のルールなど知ったことか……!」
ルシアンの咆哮が、広間の天井を突き破る。
彼は自らの両腕を引き裂き、限界を超えた過剰修復のエネルギーを、一本の巨大な「断絶の槍」へと凝縮させた。
ルーシーの「怠惰」が、原初の宿主の周囲の時間を完全に凍結させる。
動けない神の貌に向かって、ルシアンは血肉の翼を羽ばたかせ、文字通り次元を切り裂く突撃を放った。
——ガシャァァァンッ!!!
ルシアンの放った槍が、原初の宿主の胸部を深く、深く穿つ。
男が創り出した「世界の設計図」が音を立てて崩壊し、無色の光の代わりに、真っ赤な鮮血――この世界を生み出した根源の血が、床へと零れ落ちた。
「ば……かな……僕が創った……おもちゃが……」
原初の宿主の体が、砂のように崩れ、虚空へと溶けていく。
圧倒的な「神」の消滅。
それと同時に、円形広間の中心に浮かぶ「脈動する透明な心臓」が激しい亀裂を走らせ、世界全体の構造が崩壊のカウントダウンを開始した。
「……終わった、か」
ルシアンは全身から血を流し、崩れ落ちるように膝をついた。
過剰修復の代償が限界を超え、彼の肉体はすでに自身の力だけでは形を保てないほどの崩壊状態に陥っていた。
『お兄ちゃん……!』
駆け寄ってきたルーシーが、消えかかえるルシアンの体を必死に抱きしめる。
だが、崩壊を始めた世界そのものが、二人を飲み込もうと足元から溶け始めていた。
「……ルーシー。聞いてくれ」
ルシアンは掠れた声で、少女の頭にそっと手を伸ばした。
「このまま世界が崩れれば、僕たちはまたあのドブ底の幻影に戻るだけだ。……だが、僕のこの『過剰修復』の力なら……まだ、この世界を繋ぎ止められる」
『……やだ……! お兄ちゃんが壊れちゃう……!』
「いいや、壊れないさ。……僕がこの世界の新しい楔(柱)になる。君を、これ以上一人にしないための――最後の居場所として」
ルシアンの瞳に、温かな光が宿る。
彼は自らの胸の奥深くに残された最後の過剰修復の芽を掴み取り、崩壊する世界の中心――『世界の核』へとその手を突き入れた。
——メキメキメキッ……!!
ルシアンの肉体が光の粒子へと変わり、世界そのものの基盤へと同化していく。
狂気に満ちた異世界の理が、ルシアンの「修復の意志」によって強引に縫い合わされ、新しい世界の形へと書き換わっていった。
崩壊から救われ、静けさを取り戻した新たな世界。
その中心の空に、静かに眠るように佇む「世界の核」となったルシアンの気配が、優しく地上を包み込む。
——これは、終わりにして始まりの物語。
ルシアンの残した意志を胸に、ルーシーは新しい世界を護るため、静かに地上へと歩み出すのだった。
【第三部:交錯する因果と大罪の残滓編 完】
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