第八章⑤ 共犯者たち
夜更け。宿舎の裏手は、表の慌ただしさとは切り離されたように静まり返っていた。
月明かりに照らされ、集められたのはマクシムとソフィーを除くマクシミリアン隊の面々だった。壁際に立つ者、木箱に腰を下ろす者。誰もが理由を察しているのか無駄口はない。
その沈黙を破ったのはダヴィットだった。腕を組み、苛立ちを隠そうともせずに言う。
「それで? 俺たちをわざわざ呼びつけて、どういうつもりだ」
空気がぴり、と張り詰める。
グウェナエルは一歩前に出た。冗談めいた表情はなく、声も低い。
「話がある。……正直な話だ」
その一言で何人かが視線を伏せた。逃げ場のない話だと悟ったからだ。
「隊長のことだ」
アニータが視線を落とす。別の誰かが息を詰める。
グウェナエルは続けた。
「今の隊長が……普通じゃないことは俺もわかってる。正直、危うい。近くにいると巻き込まれる」
彼はため息をついた。
「それでもだ。俺は……あいつの護衛を降りるつもりはない」
ざわり、と音が立った。
「は? 正気か。今の隊長についていくって言うのか」
ダヴィットの抑えきれない声が闇の中でぶつかる。
「冗談じゃない。あの状態の隊長は敵より味方を殺しかねない。俺たちは命張る部下であって、殉死要員じゃねぇ」
グウェナエルは視線を逸らさない。
「わかってる」
「わかってるで済む話か!」
ダヴィットの声が荒くなる。
「お前、一度死んだからって、死ぬ覚悟が美談になると思ってるなら——」
「違う」
即座に低く遮られた。グウェナエルの声は静かだったが芯があった。
「俺は死にたいわけじゃない。……ただ、置いていけないだけだ。あいつを、一人にするのは違う」
旗の擦れる音だけが続いた。
「マクシムは今、自分がどこに立ってるかも分からなくなってる。だからこそ、誰かが傍にいなきゃならない」
「それをお前一人で背負うってのか」
「背負う」
迷いはなかった。
「俺はあいつに救われた。生き返ったこの命も、あいつの隊に入った意味も……途中で放り出すくらいなら、最初から戻ってない」
誰かが小さく息を吐いた。
シャルルが苦々しく言う。
「……正直だな。でもな、ぼくたちはどうなる? 君が隊長についていって、壊れたら誰が止める」
グウェナエルは一瞬、目を伏せた。
「だから、頼みたい」
顔を上げる。
「俺がついていく。お前たちは、後ろを支えてくれ。隊が崩れないように。マクシムが、完全に道を踏み外さないように」
夜風が短く吹き抜ける。やがてダヴィットが乱暴に頭をかいた。
「……くそ。納得はできねぇ。……けど」
視線を外しながら続ける。
「逃げるよりはマシか。誰かが腹くくらなきゃ、どうせ地獄だ」
他の隊員たちも次第に頷き始める。
不満も恐怖も消えたわけじゃない。だからこそ、共に進むという選択だけが静かに固まった。
グウェナエルは深く息を吸い、静かに頭を下げた。
「……ありがとう」
その背中は英雄でも指揮官でもない。ただ一人の兵士として、重い決断を抱えて立っていた。
しばしの後、月明かりの下でリラが一歩前に出た。その声は静かで迷いがなかった。
「それでも……」
全員の視線が彼女に集まる。
「マクシミリアンが一人で立ち向かうと言っている以上、私たちは前に出ないわ。剣を抜くのは彼。私たちは遠巻きに見守るだけにしましょう」
ダヴィットがわずかに眉をひそめるが口は挟まない。リラは続けた。
「ただし、計画が無事に済んだら……その瞬間に動く。マクシミリアンを連れて、すぐ造船所へ。船を出して、海へ逃げるの」
彼女の言葉に空気がぴんと張り詰めた。
「……なあ」
シャルルが乾いた笑いを漏らす。
「リラ。まさかとは思うが……国外逃亡、まだ諦めてなかったのか」
「当然よ」
即答だった。
「この国に、あの人が安らげる場所はないもの」
小さなざわめきが起きる。その中でグウェナエルがゆっくりと口を開いた。
「……それなら、俺も賛成だ」
全員が彼を見る。
「城がどうなろうが、途中で騒ぎになろうが関係ない。五鬼衆が出てきても構わん」
一度呼吸を置き、低く続ける。
「俺は……途中でくたばっていい」
誰かが息を呑んだ。
「だからその代わりだ。皆でマクシムを守ってくれ。あいつが生き延びるなら、俺の命は安い」
拳を握りしめる。
「じゃないと……俺が生き返った意味がなくなる」
張り詰めた沈黙の中、リラがはっきりと言った。
「いいえ」
グウェナエルを見る彼女の目は強い。
「置いていく前提で考えるな」
リラは一歩、さらに踏み出す。
「全員で逃げるの。必ず。誰かが犠牲になる逃走なんて、私は認めない」
彼女の言葉は夜の空気を切り裂くように、はっきりと響いた。
「生きるために逃げるのよ。生き残った者が背負うためじゃない」
誰も反論しなかった。それぞれが胸の奥で選択の座標を書き換えていく。
月の下、マクシミリアン隊は静かに目線を交わす。
逃げ道は一つ。だが、そこへ至るまでの地獄を全員で渡る。
その一点だけが、今確かに定まった。波の音だけが遠くかすかに聞こえる。
その沈黙を破ったのはジョルジュだった。
「……それにしても」
ぽつりと漏らすように言う。
「あの三人、遅いですね」
誰も聞き返さない。誰のことか全員がわかっていた。
「サミュエルさんと、ロザリーさんと、ペネロペ……もうすぐ、十八日ですよ」
月を仰ぎ、ジョルジュが声を落とす。
「……まさか、死んでるなんてこと……」
その言葉が空気に滲む前にアニータが即座に口を挟んだ。
「大丈夫」
短い断言だった。
「あの三人なら、絶対に大丈夫。遅れてるだけよ。きっと、何食わぬ顔で駆けつけてくる」
そして、視線を全員に巡らせて続ける。
「それに…もし、三人が戻って来なかったとしても、やることは変わらないわ。造船所から船を確保して、すぐに海へ出ましょう」
誰かが息を呑み、誰かが唇を噛む。だが、誰も否定しなかった。
「……決まりだな」
シャルルが低く呟く。
「ダヴィットが言ってたな。一蓮托生、ってやつだ」
名を呼ばれ、ダヴィットは小さく息を吐いた。
「……ああ」
月明かりの下で静かに頷く。
「マクシムが計画を明かした、あの日からだ。俺たちはもう……引き返せないところにいたんだな」
誰も答えなかった。それでも全員が同じことを思っていた。
この夜を越えれば、もう後戻りはない。だが、だからこそ……一人では行かない。
誰も「正しい」とは言わない。誰も「合理的だ」とも言わない。
ただ、全員の胸に同じ光景がよぎっていた。
人生のどこかで、進むも退くもできず膝を折れかけた夜。
名前すら持たなかった怒りや絶望の底で、差し伸べられた一つの灯。
マクシミリアン・ブーケ。
救済ではない。慰めでもない。正解を示してくれたわけでもない。
それでも、「ここに立て」とただ言った男。
理屈ではなく、言葉でもなく、立ち上がる理由そのものを黙って示した存在。
だからだ。彼らの忠誠の芯は、正義ではなかった。
家族愛でも、守り合う温もりでもない。
人生の節目で差し伸べられた灯への、どうしようもない感謝。それだけだった。
これは美しい絆なんかじゃない。
——ただの、共犯だ。
自分の手で選び、自分の足で踏み込み、戻れない場所まで来てしまった者同士。
それでも構わない。誰かが救われなくてもいい。誰かが報われなくてもいい。
共犯者として絡み合った罪の炎が、再び静かに燃え上がる。
今までよりも、ずっと強く。
今度は自分たち自身も、そしてこの先で向き合う相手も、まとめて焼き尽くす勢いで。
退路はない。迷いもない。
燃えることを選んだ者たちの目が、夜の闇の中で同じ色に揃っていた。




