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公開処刑


朝。図書室前の箱は、昨日と同じ位置にあった。

でも、壁に貼られた紙が一枚増えている。


『投書件数:計5通(個人名記載なし・問題報告なし)』


数字だけ。

なのに、数字には体温があった。——“五人が同じ形で困っている”という体温。


白鷺みくるは貼り紙の端を揃えて、腕章を一度だけ押さえた。

正しい人間の「仕事が終わった」動作。


凪は少し離れた場所から、その数字を見た。


(澪の線。白鷺の手。俺は間にいるだけ)


間にいるだけなのに、盤面が動く。

その事実が、昨日の失敗を余計に痛くする。


---


一時間目が終わった休み時間。


柚葉が図書室前に来た。

低い位置で結んだ黒髪。袖を少し余らせたカーディガン。


箱の前で止まり、貼り紙を読んで、付箋を読む。


〔同じ台詞〕

〔同じ結末〕


柚葉の指が、袖を掴んだ。三秒。五秒。

そして——凪のいる廊下の端を、見た。


目が合う。

昨日の防御膜はまだある。でも、膜の奥に“確認”がある。


柚葉は凪の三歩手前まで来て、声を落とした。


「昨日の人」


「……はい」


柚葉は箱を見て、凪を見て、言った。


「紙、見せようと思った。……でも、見せたら意味がないんだよね」


凪は首を振った。


「俺は見ない。見たら匿名じゃなくなる」


柚葉は小さく息を吐いた。笑いに近い息。


「不器用」


凪は何も言えなかった。


柚葉は鞄から折り畳んだ紙を出した。

投入口の前で一度止まって——入れた。


音はしない。

でも凪の胸の中で、鍵が一つ回った。


柚葉は振り返らずに去った。

その背中の“振り返らなさ”が、ひなたと同じで、凪の喉に小さく刺さった。


---


昼休み。


白鷺が箱を開ける。結衣が記録する。

貼り紙が更新される。


『投書件数:計6通(個人名記載なし・問題報告なし)』


「六通って……多くない?」


蓮の輪の中で、誰かが小さく言った。

蓮はいつもの笑顔で返す。


「さあ。心当たりないけど」


——笑った。

けれど、今日は“先に笑う人”がいなかった。


望月さやかは輪の端にいた。

いつもの位置より一歩外。笑わないまま、箱の貼り紙のほうを見ている。


輪の外側にいた別の女子が、ぽつりと言った。


「白鷺さん、ちゃんとしてるね……“問題報告なし”って貼るの、強い」


その一言で、空気の重心が移った。


蓮じゃない。

箱のほうへ。白鷺のほうへ。


「ね、見に行かない?」

「うん、貼り紙もう一回読もう」


二人、三人が輪から抜けて、箱のほうに歩いていく。

歩きながら話しているのは蓮じゃない。

数字のこと。付箋のこと。——“形”のこと。


蓮が何か言おうとして、笑顔を維持したまま口を開く。


「でもさ、匿名ってさ——」


言い終わる前に、誰かの声が被った。


「匿名だから書けるんでしょ。……名前出したら意味ないし」


蓮の声は、空気に残らなかった。

残らないことが、今日一番の異変だった。


(観客が、席を立った)


主役は、拍手で作られる。

拍手が“別の方向”に向いた瞬間、主役の椅子はぐらつく。


望月が、輪の外に出た。

観客の足が、箱へ向いた。

蓮の支配が、割れ始めた。


---


昼休み。静寂館。


扉を押す。音が落ちる。紙の匂い。

アクリル板の向こうで澪が本を閉じた。


「報告」


凪は順番に並べた。


「柚葉さんが箱に入れました。俺に見せようとしたけど、断った。匿名を守るために」

「投書が六通になりました。貼り紙が更新されて、蓮の輪から人が抜けた」

「蓮が口を挟もうとしたけど、空気に残らなかった。……初めて見ました」


澪の睫毛が一回揺れた。


沈黙が五秒。

澪が言う。


「主役交代が始まった」


凪は頷いた。


「柚葉が入れたのは“あなたの回収”でもある。——失敗は、勝ちに変わった」


凪の胸が締まった。

拾われたのに、置いていかれたくない締まり方。


澪は続ける。


「あなたは何もしなくていい。観客はもう“台本”に気づき始めてる。二回目の手品は、種が見える」


凪は息を吸った。


そのとき、澪の口元が——動いた。


小さく。

ほんの数ミリ。

一秒もない。


笑った。


凪の心臓が止まって、再起動する。

顔が熱い。喉が鳴る。


澪はもう本に目を落としている。何事もなかったみたいに。


「行って」


凪は立ち上がり、扉を閉めた。

廊下に出て三歩歩いて、壁に手をつく。


(……見た)


澪が笑った。

理由は分からない。分からないのに、胸の奥が震える。


あの一秒を、もう一回見たい。

その「もう一回」が、もう首輪だと気づかないまま。


凪は歩き出した。

明日も観客は動く。明日も蓮の椅子は軋む。

そして凪は——帰って、報告する。


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