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第12章 元婚約者は、冒険者としてここにいる

 私はリュシア・エーベルハルト、伯爵家の生まれで、かつて王国アルセリオの王太子と婚約していた女であり、今はその肩書きをすべて脱ぎ捨てて剣と魔法を携えながら各地を渡り歩く冒険者として生計を立てているのだが、元婚約者という立場は私が望もうと望むまいと勝手に付いて回り、王都から遠く離れたこの周縁の町でさえ、門をくぐった瞬間に向けられる視線の質でそれを思い知らされる事になった。


 城壁は低く、石材も荒く、補修の跡が何度も重ねられているその様子から、この町が長年魔物被害と隣り合わせで生き延びてきた事は一目で分かり、そういう土地では冒険者が珍しくも英雄でもなく、単なる必要な労働力として受け入れられているはずなのに、私の外套の下に隠した貴族用の装備や立ち居振る舞いが目に入ったのか、門番の男は名を告げる前から背筋を伸ばし、必要以上に丁寧な口調で通行証を確認しようとした。


「冒険者登録証を見せればいいのよね」


 そう言いながら懐から金属製の札を取り出した瞬間、門番の視線がそれに吸い寄せられ、次いで私の顔に戻り、そこから何かを言いかけて飲み込んだ様子を見せたのが分かったので、その場に余計な空気が溜まる前に一歩前へ出て、登録証を彼の手に押し付けるように差し出した。


 王都ではこういう反応に慣れすぎるほど慣れていたが、今はそれを一つ一つ相手にしている暇はなく、この町に入ったのは宿を探すためでも観光のためでもなく、冒険者ギルドで依頼を確認し、短期間で片付けられる仕事を見つけて次の土地へ移動するためだったからだ。


 通行を許可されて町の中へ足を踏み入れると、土の匂いと家畜の気配が混ざった空気が一気に鼻を突き、石畳の中央を外れた途端に靴底が土に沈む感触が伝わってきたので、無意識に歩幅を広げ、王都の舗装路に合わせていた歩き方をこの土地の地面に合わせていく。


 こういう町では冒険者ギルドがほぼ唯一の情報集積地であり、酒場と一体化している事も多いのだが、案の定、広場に面した建物の一つに剣と盾を模した看板が掲げられており、その前には昼間だというのに数人の冒険者が腰を下ろし、酒をあおりながら何かを言い合っていた。


 その様子を横目で確認しつつ扉を押し開け、木製の床が軋む音を立てるのを聞きながら中へ入ったのだが、視線が一斉にこちらへ向く気配を感じた瞬間、胸の奥に溜まっていたものが一気に外へ出そうになり、思わず舌打ちを噛み殺した。


「……冒険者ギルドで間違いないわよね、酒場に見えるけど」


 カウンターの奥にいた中年の男に向かってそう声を投げると、彼は一瞬驚いたように目を瞬かせた後、こちらを上から下まで素早く見てから、苦笑いを浮かべて頷いた。


「ああ、間違いない、依頼を見るだけなら酒は頼まなくていいが、ここでは順番待ちも情報のうちだ、初めてか」


 その問いに即座に肯定するのも否定するのも癪だったので、肩をすくめながらカウンターに肘をつき、周囲の掲示板に貼られた羊皮紙へ視線を向けたまま、軽く息を吐いてから言葉を続けた。


「王都の形式ばった所より、こういう場所の方が話が早い事は知ってる、だからここに来たの」


 男はその返答に納得したような表情を見せ、掲示板の一角を指差しながら、この町周辺の依頼は主に魔物討伐と護衛、それに周縁部の調査が中心である事を簡潔に説明し始めたのだが、その途中で扉の方から小さな足音が近づいてくるのを耳が捉えた。


 振り返ると、そこには十歳前後だろう少年が立っており、少し大きめの外套を羽織り、両手で何かを握りしめたままこちらを見上げていて、その視線が私に向けられている事にすぐ気付いた。


「……依頼を出したいんです」


 少年の声はこの場に似つかわしくないほど真っ直ぐで、周囲のざわめきが一瞬だけ弱まったのを感じたので、無意識に姿勢を正し、彼の前にしゃがみ込んで視線の高さを合わせた。


「ここは冒険者ギルドよ、依頼内容によっては受けられない事もあるし、危ない仕事も多い、それでもいいの」


 そう問いかけると、少年は一度だけ唇を噛みしめ、次の瞬間には握っていた手を開き、そこに乗せられた数枚の銅貨と銀貨をこちらに差し出したのだが、その量が決して多くない事は一目で分かり、それが彼の全財産に近いものだという事も容易に想像がついた。


「母さんが病気で、町の薬師じゃ治せないって言われて、でも山の奥に生える薬草なら効くかもしれないって聞いたんです、オークが出る場所だって分かってます、それでも、これしかないから」


 一気にそう言い切った少年の表情には迷いよりも焦りが色濃く浮かんでおり、その様子を見た瞬間、背中に感じていた視線や周囲の空気を完全に忘れ、目の前の現実だけに意識を集中させた。


 オークの集落がある場所に生える特殊な薬草、その情報自体は私も耳にした事があり、単独で踏み込めば相応の危険が伴う事も分かっていたが、同時に、この少年が一人でそこへ向かえば命を落とす可能性が高いという結論にも即座に辿り着いた。


「……その依頼、私が受ける」


 そう口にした瞬間、カウンターの男が何か言おうとする気配を感じたが、それより早く少年の顔がぱっと明るくなり、次の言葉を重ねようとしたので、彼の前に手のひらを差し出して制した。


「勘違いしないで、あんたは町で待つ、山へ行くのは私だけよ」


 それは譲れない条件だったが、少年は即座に首を横に振り、外套の裾を握りしめながら一歩前へ出てきた。


「それは出来ません、だって場所を知ってるのは僕だけですし、それに、母さんの事だから」


 その言葉に含まれた切実さが、私の中で何かを強く揺らし、気付けば口元が歪んでいたのだが、ここで感傷に流される訳にはいかず、立ち上がって少年を見下ろしながら、周囲に聞こえるようにはっきりと告げた。


「危険だって分かってるなら、なおさら一緒には行けない、山の奥は遊び場じゃないし、あんたが足手まといになる場面はいくらでも想像出来る、それでも来るって言うなら、この依頼自体を断る」


 場の空気が張り詰め、少年の瞳が一瞬だけ揺れたが、それでも彼は視線を逸らさず、震える手を握りしめたまま言い返してきた。


「それでも行きます、母さんを置いて待つなんて出来ないから」


 その一言で、私の中で決着が付いた。


 王太子の婚約者だった頃、こういう場面で感情を抑え、穏やかな選択を求められ続けてきたが、今は違い、目の前にいるのは助けを求めて立っている一人の人間であり、冒険者として剣を振るう力を持っているのだから、ここで引く選択肢は最初から存在しなかった。


「……分かった、ただし条件がある、私の指示に従う事、勝手に動かない事、それが守れないなら途中でも引き返す、それでもいいなら一緒に来なさい」


 そう告げると、少年は何度も頷き、差し出していた貨幣を私の手に押し付けてきたが、それを受け取らず、彼の手を元の位置へ戻した。


「前金はいらない、終わったらギルドを通して正式に受け取る、それが冒険者のやり方よ」


 その言葉に、カウンターの男が小さく息を吐き、苦笑混じりに首を振ったのが見えたが、もう振り返らず、外套の留め具を締め直しながら、これから向かう山の方角を頭の中で描き始めていた。


 こうして、また一つ、面倒で危険な道を選んだのだが、それを後悔する発想自体が最初から浮かばなかった事だけは、はっきり自覚していた。

よろしければ何点でも構いませんので評価いただけると嬉しいです。

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