092_本能が変な、魔法少女。
本能が真っ当はものがいるのであるかという疑問はありましょうね、いや本能は理性から見ると大体変なのではないかとか、あっているところもありそうではあるけれども、どうなんでしょうね、不惑とかわざわざ言っているわけであるから、おおよそ方向性がずれているんじゃないかなと思うんだけれども、本能と理性、方向性の違いでバンドが解散しましたというかこの場合は、意識とか意思とかそういうものがバラバラに空中分解してしまうということなんじゃないかな、いや別に地上をのろのろと走っていても、または全く動いていない建物のような、楼閣のような感じでも、急に崩れ落ちるような離散するような感じになることもありそうではあるのかな?なんの話なんだろう?つまりは思考が暴走しているということなんじゃないかなとは思うんだけれどもどんなもんだろう?
自我が崩れているというかそもそもそんなものはないという気もしているわけではあるけれども幽霊としての軸は確かにあり楽しいことをやり足りなくてもっと遊びたくてそれが未練になっているということはしっかりと覚えている気がするのであるけれどもそれは本当にあたしだったのかと言われるとそもそも何があたしだったのかというあたりから思い出さなければならないもしくはそれを定義し直さなければならないどこの誰であったのかという歴史をエピソードを構築していかなければならないのであるけれども、霊魂として浮遊した瞬間にそれが書きかわっているのではなかろうかという恐れは常にあるというか、別にそこまで劇的に環境が変化しなくとも普通に常に自己同一性が失われつつあるというか失いつつあるというか失われていくことが普通なのではなかろうか、自分で自分が分らないのではなく分からないことをごましていくその行動というものがそもそも主体なのではなかろうか誤魔化しが本体なのであろうかなと思ったり思わなかったり、思考が感情をトリガーにして暴走していることを客観的に理解しつつしっかりと誤解を深めていく必要があるのではなかろうか必要なのは誰にとっての何なのであるかとか連想していくとさらにわけわかめで利尻昆布なわけである、雲丹が美味しいということは真理、かもしれない、良い雲丹が美味しいのであって、雲丹だから美味しいのではなく、だからそう、幽霊であるからあやふやなのではなく、あやふやな思考の歴史の幽霊がいるということなのであろうかな、いや何を言っているのか、これはしゃべっているのか会話しているのか対話しているのか捲し立ているこの、劇場の舞台で激情に駆られて、発言している空気を震わせている、のであるか?誰かに聞かせたいわけではなく一人芝居を無尽の観客席に向かって行っていることに何の意味があるのかというならば、そこに別に意味はなく意味がないからこそ価値があるのであるとか嘯いていみるのは、これは格好良いということなのであるか?
狂っている脳みそが存在していないのに嗜好が明後日の方向へと突き進んでいくことの不安というよりは理不尽さを叩きつけられていく何かが可哀想であるのか可愛いのであるのか羨望を向けられるのであるか同情をされるのであるのかそもそもそこまで感情を揺さぶられることになるのかそれが必須であるのかどうかとか、まあぐるぐると直感を回して混ぜてこねて潰して爆ぜるその一連の流れが魔法になり魔法少女を産み育てて維持して縛り付けていく沓であり首輪であり柵であるのであろうなとか韜晦しているようで理論構成構造が倒壊しているふうを装っていくわけでありそれそのものを突きつける、叩きつける、ぬるーっと入り込ませるあたりの感覚が、オカルトの醍醐味なのであるかなぁと。
魔法とは、狂気を覗き込ませることがコツなのですよ。
うらめしや