21.無限回廊の怪事件②
「これが……無限回廊……!」
その廊下はハーパー公爵邸の北側にあった。
天井の高さまである金縁飾りの鏡が、向かい合って廊下を映すように並んでいる。鏡の中にある無限回廊の一番奥は、靄がかったように黒ずんで見えた。
床は滑らかな大理石。廊下に連なるドアは焦茶色。今はまだ近くのガラス窓から日が差し込んでいるため、辺りに不気味さはない。
「本当に廊下がどこまでも続いているように見えますね」
「特におかしな点はないようだが」
アニメの絵と同じ光景に感動しているクリアの横で、レイニーは辺りを見回しながら言った。
「全く、クリア嬢がくだらないことを言って笑わせるから、無駄な汗をかいたよ」
フォッグは帽子を脱いでパタパタと仰いでいる。
間髪入れず、クリアの耳の側でブーン……という小さな羽音がした。
(来た)
クリアは息をのむ。
アニメのストーリーではーー
クリアがレイニーたちと無限回廊を見学していると、一匹の蜂がやってくる。その蜂はクリアにまとわりつき、クリアは怯える。見かねたレイニーが対処してくれるのだが、クリアが怖さのあまりに動いて蜂を刺激しそうになったため、レイニーがクリアを鏡に壁ドンして押さえつけるのだ。
(そこでヒロイン・クリアの恥じらった表情と香りにレイニーはドキッとする……という「親密度アップエピソード③」、かつ、無限回廊の秘密に迫るという展開なんだけど)
レイニーが視界に入る。
立っているだけで絵になる、恐ろしいほど整った容姿。
このエピソードに備え、クリアは「恥じらった表情」なるものを頭がおかしくなるほど練習してきた。しかし、目指す表情はあまりに抽象的だし、相手がこのレイニーだと思うと……どうしても自信100%の仕上がりはならなかった。
ので。
クリアはぎゅっと胸に手を当てる。例のコルセットの隙間に仕込んで来たのは、小さな香水瓶だ。
今回、クリアは「香り」に力を入れて来た。この瓶に入っているのは、ただの香水ではない。アニメ通り、蜂が出現することはわかっている。しかし、相手は生き物だ。些細な動きの違いでクリアにまとわりついてくれない可能性だってある。
クリアとレイニーの絡みこそ発生するかもしれないが、自分のコントロール出来ないタイミングで発生されるのは困る。
(蜂は甘い匂いに引き寄せられる性質がある。特に好む香りは柑橘系か、クチナシや金木犀などの花の香り)
先日、学園図書館で「昆虫学」の本を探していたのは、このエピソードの最終確認である。
なお、レイニーは化粧の濃い・香水臭い女性は好まない。香水の選び方・付け方次第では、好感度を下げてしまうかもしれない。
レイニーと蜂に好かれて、あくまでナチュラルに、さりげなく香るフレグランス。
そんな都合の良いものは探してもなかなか売っておらず、結局クリアは自作するハメになった。
途中、試作しすぎて数日間鼻がバカになり……サンブリング男爵からもの凄く言いにくそうに、「クリア、世の中には香害という言葉があってだな」と言われた時は心が折れそうになったが……精油と無水エタノールを独自の割合でブレンドすることで、ついに完成させたのである。
(どうしよう、無駄にドキドキしてきた。ここまで努力したからには単純にレイニーからの評価を知りたくもある)
「きゃ、やだ……!」
こっそり首にワンプッシュすると、狙い通り蜂がこちらにやってきた。フォッグたちがクリアに注目し、レイニーは水色の瞳にクリアを映しながら言った。
「クリア嬢、激しく動いては駄目だ。蜂を刺激してしまう」
「で、でも!」
(ふっ、作戦通り……!)
目をつぶって眉を八の字にしながら、クリアは心の中でほくそ笑む。レイニーがクリアの動きを止めようと手を伸ばした気配がして。
「うわっ!?」
ここで、いきなりフォッグが悲鳴を上げた。
何事かと目を開けば、蜂が進路を変えてフォッグの頭にまとわりつくように飛んでいる。
(えっ嘘、なんで!?)
フォッグは帽子を脱いでいた。
三人ともテニスウェアを着ているから全身白っぽく、かつレイニーは銀髪、クリアはベージュの髪だが……フォッグは黒髪で。
(!! もう一つの蜂の習性、「黒いもの」に寄っていくーー!!)
蜂はクリアが与えた刺激も相まって臨戦体制だ。この種類の蜂はクリアがかつていた村にもいて、普段はとても大人しい。しかし、攻撃されたと蜂が判断すれば、途端に凶暴になると知っていた。刺された場合人によってはアレルギー反応を起こし、死に至る可能性だってある。
「フォッグ、落ち着け」
少し慌てたようなレイニーがフォッグへ手を差し伸べた瞬間。
レイニーよりフォッグに近い場所にいたクリアは、目にも止まらない速さでフォッグの身体を自分の左手と胸で鏡に押し付けた。
それからもう一つ、コルセットに仕込んでいた香水瓶とは異なるスプレーを引き抜き、彼へと振りかけた。




