20.無限回廊の怪事件
「はっはっはっ、クリア嬢もなかなかやるなあ。フォッグ、我々も負けていられんぞ」
「ハーパー公爵様、恐れ入り……ますっ!」
ますっ、のところでクリアはラケットを振りかぶった。
新緑が目に鮮やかな5月、クリアはハーパー公爵邸にあるテニスコートで汗を光らせていた。
ハーパー公爵領は王国内にいくつか点在しており、こちらの領地は王都から十分日帰りで出来る。フォッグは王立学園寮まで馬車を寄越してくれ、クリアとレイニーの三人で乗り付けてきたのである。
ネットを挟んだ向こう側にはフォッグとフォッグの父・エルヴィン・ハーパーがいる。
クリアのテニスの実力は「場を盛り下げない程度」のもの。
テニスは「貴族子女の嗜み」であり、クリアも養女になってからは家庭教師をつけ習っていた。しかし、このハーパー公爵邸でのテニスシーンはアニメのメインエピソードではない。プレーというより例の(入学式翌日の)テニスボールヘディングの練習に力を入れていた。
(まあ、失敗したけどね)
クリアは色々回想し遠い目になる。
(だけど、国体出場経験のあるエルヴィンペアに負けないほど健闘しているのは……彼らの忖度以上に、何というか、やたらわたしを庇うように先回りしているというか)
クリアは顔だけで背後を振り返る。
クリアのペアであるレイニーはお手本のように美しいフォームでプレーをしているが、息は全く上がっておらず余裕しかない。
この国のテニスウェアは男性がワイシャツ+ズボン、女性は膝下ワンピースでいずれも白系がマナーとされている。
(そういえば、制服でない生レイニーを初めて見たようわ)
クリアの視線に気づいたのか、レイニーはボールを見たまま言った。
「心配ない。テニスボールには細心の注意を払っている。またクリア嬢に庇われることになったら面目なくなるからな」
「え、何その話、面白そう。クリア嬢、俺にも教えてよ?」
白い帽子の下で好奇心に目を光らせるフォッグ。慌ててクリアは話を変える。
「ち、違いますよ! そんなことを言いたかったんじゃなくて、っ!」
クリアが返そうとしたボールはラケットのフレームにあたって間抜けな音を出し、すかさずエルヴィンにボレーされてしまう。しかし、レイニーが拾ってくれ、どうにかこちらの得点になった。
「父上、恥をかく前にこのくらいで」
「そうだな。ご令嬢の疲労に漬け込むのは紳士のやることではなかったな。レイニー殿下、クリア嬢、ありがとうございました。楽しい時間になりました」
エルヴィンは手慣れたように握手を差し出し、にこやかに締めくくる。
この国でのテニスは社交にも使われる。現代日本でいう接待ゴルフのような位置付けだ。ハーパー公爵邸に遊びに行くとなった日から、いつの間にかテニスをすることになっていた。
摂政であるフォッグの祖父はここにはいない。仕事の都合もあるが、国の主要人物が一箇所に集まらないという危機対策でもある。
そのまま外のパラソルのついたテーブルでお茶の時間となった。お茶といってもスポーツの後なので、爽やかなエルダーフラワーのソーダがグラスに用意されている。一口サイズの目にも美味しいケーキやパイも並んでいた。
エルヴィンは引き続き上機嫌だった。フォッグと同じ黒髪をオールバックにし、金色の瞳は好奇心でキラキラしている。活力溢れるインテリイケオジという印象だ。
「クリア嬢、うちのフォッグはどうだい? 難しいところもあるが、根はいいやつなんだよ」
「父上、ダメですよ。クリア嬢はもっと上流の男しか相手にしない、向上心のあるレディですから」
「あれ、そうなのかい?」
「なっ……ご冗談がお上手ですわ、フォッグ様! うふふ」
公爵家より上なんて王族しかいない。レイニー狙いと言っているようなものだ。誤魔化すように笑うしかないクリア。
そんなやり取りを意にも介せずレイニーは本題に入った。
「私たちは今日、フォッグの話を聞いて無限回廊を見に来たのです。いわく、幽霊が出るとか」
途端、エルヴィンの顔色が変わった。金色の目がレイニーからフォッグへ厳しく向く。
「なんだフォッグ、お前、レイニー殿下たちにそんな話をしたのか」
「ええ、そうですが。何か不都合でも?」
フォッグは上目使いで答える。エルヴィンは目を逸らした。
「ーーバカバカしい、程度が低いと思われるぞ。無限回廊なんて……あそこは寂れた旧館の方じゃないか。私はもう何年も行っていない。この屋敷にはもっといくらでも見所があるぞ、庭園とか図書室とか。レイニー殿下やクリア嬢へはそういったところを案内するんだな」
フォッグは返事をしなかった。
程なくして、エルヴィンに仕事の時間がやって来て、彼は丁寧に挨拶をしてから建物内へ戻って行った。
その背中を睨むように見ていたフォッグだが、急にクリアへ振り返る。
「クリア嬢、ほらもっと食べなよ。どのパイがいい? 取ってあげよう」
「え、わたしはもうお腹いっパイで……」
「あは、上手いな」
しょうもないダジャレを言いたかったわけではない。クリアは訂正しようとするが、フォッグは不自然なほど明るく笑っている。
引き続き、三人で残りのお茶の時間を過ごしたが、エルヴィンが残した不穏な空気は、なかなか消えてくれなかった。




