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19.どういう風の吹き回し③

 翌日の昼休み、クリアは一人王立学園の図書館にいた。この図書館は歴史が深く蔵書も豊富だ。中央にある通路がガラス天井の吹き抜けになっていて、左右にはびっしりと本棚が並んでいる。 


 平民時代から地元の図書館によく通っていたクリアだが、そことは比べ物にならないくらい本があり驚いたものだ。

「君の世界の名前は」への対策はクリアの最優先事項であるが、ここに来ると(一時的にでも)世界を救うプレッシャーを忘れられ、心が落ち着く。


 アニメのエピソードにはなかったが、何度かレイニーにも遭遇している。

 最初に図書館で会った時、彼と話をしたことを思い出すーー



 あれはラネージュの事件の数日後。


「クリア嬢はあらゆる分野の本を読むんだな」


 レイニーは水色の瞳を関心したようにこちらに向けていた。


「はい、昔から雑学なんかも大好きで。それに色々やってみたいことがあるのですが、自分の知っていることがあまりに少ないことに気づいて。過去への反省から、知識はつけられる時につけられるだけ備えておきたいんです」


 この場合の「過去」とは前世について言っている。クリアには前世の知識があるが、前世のクリアはSF映画好きなだけのあくまで凡人だったようだ。


 例えば、電子レンジが電波で食材を温めることを知っていても、電波をどうやって作るかまでは知らない。

 抗生物質の材料が青カビから発見されたペニシリンということは知っていても、青カビからどうしたら抗生物質を作れるのかは知らない。


 先人たちが築き上げてきた、智恵、ノウハウ、社会の制度ーー

 仮に知っていたとしても、それらがこの国に必要なのか見極め、必要ある場合はどのように展開していったら公共の利益になるのか、閃かない。

 今のクリアには力もない。


 前世の知識のほとんどがそんな感じだ。

 こんなこと宝の持ち腐れで、居ても立っても居られない気持ちになった。

 この感情は、今世のクリア独自の探究心や責任感から来ているのだろう。


 まだ15歳と若いくせに過去なんて……など言われるかと思いきや、レイニーは意外にも考えるような仕草をした。


「そうか」


 やがて口を開いたレイニーの視線は真摯で、その分いつものクールさが和らいでいる気がした。レイニーはどこか力を抜いたように、微かに目を細めながら言った。


「いつか、クリア嬢のやりたいことが実現出来たらいいな」


 そうして、時々レイニーはクリアが必要とした本を一緒に探してくれたり、隣で一緒に読んでくれるようになったのだった。



 ✳︎✳︎✳︎



 回想から現実に戻り、今日も本を取ろうと背伸びした時。


「はい、どうぞ」

「! あ、ありがとうございます」


 視界に入ったのは少しだけ癖のある黒髪。

 フォッグ・ハーパーが高い位置にある本を取ってくれたのだ。


「『昆虫学』? クリア嬢は昆虫に興味があるの?」

「え、ええまあ」


 気配なく現れたフォッグに驚いていると、彼はグッと顔を近づけて来た。フォッグはまるで挑発するかのように続ける。


「ねえ、クリア嬢はレイニー殿下を狙っているの?」


 フォッグの両腕に囲まれ、クリアは本棚に背を押し付けられていた。逆光になっている切長の金色の双眼に、目を見開いたクリアが映されている。

 ゆったりとした図書館に似つかわしくないヒリついた空気を感じた。


「……何故、急にそんなことをおっしゃるんです?」


 心臓が波打っているが、顔色を変えないように努めながら言った。直感で、焦っていることを悟られてはならないと思った。


(こんな展開、アニメでは知らない)


 フォッグはふっと笑う。


「別に? なんとなくそう思っただけ。最近二人仲が良いじゃない? 席も近いし」

「席が近いのは、わたしの意図ではなく入試順位の順ですよ」

「ああ、レイニー殿下に次ぐ学年4位だったね。しかもクリア嬢は444点の学年4位だった。まあ、これがわざとなら凄すぎるよね」

「あっはは……」


 控えめに言って、わざとである。

 アニメでヒロイン・クリアは444点を取っていた。前世を思い出したばかりの頃は、小細工せずとも入学試験さえ受ければ自動的にその点数が取れるのでは? とも期待した。

 とはいえ、不確定要素を抱えることはあまりに怖かったので、努力もした。

 記述問題では得点調整が難しく、答えの正否が試験中に判断できる数学で調整するハメになった。何事も「できないフリ」は出来るが「できるフリ」は難しいもの。

 つまり、本来クリアは全教科満点近く取れるくらいには頑張っていたのである。


 フォッグは妖しく微笑みながら、にじり寄る。


「ねえ、俺とも仲良くしてよ。王太子妃候補になりたいなら、この国の摂政にも気に入られた方が良くない? 僕の祖父上だ」


(……レイニーは「感情を殺す」ことで、表情を出さないようにしている。一方、フォッグは「気持ちとは異なる表情」をすることで、感情を隠すことがある)


 訝しむようなクリアの視線を受け、フォッグは本棚についていた手をようやく放した。



「そんなに努力しても、レイニー殿下は決して君のことを好きにならないよ」

「……え?」


 フォッグの口から放たれた予期すらしないセリフに、クリアの手から本が滑り落ちる。

 床に本がスローモーションのように落ち、ページがぱらぱらと開いて。


「フォッグに噂話されるとは珍しいな。どういう風の吹き回しかな」

「レイニー殿下!」


 フォッグの身体越しに見れば、レイニーが微かに眉根を寄せていた。

 フォッグはまるで何事もなかったようにケロリと振り返る。


「なんだ、レイニー殿下も読書をしに来たの?」


 レイニーは無言で手を引いて、クリアを本棚とフォッグの間から引き出す。それからフォッグを一瞥した。

 それでもフォッグは怯まなかった。上目でレイニーを見ながら、再び聞いた。


「…… ねえ、たまに祖父上の周りから『クリア』という単語を聞くんだけど、あれって何」

「そのことに彼女は全く関係ない。クリア嬢を巻き込むな」


 間髪入れず、珍しく強めの声を出すレイニー。今度はフォッグも目を丸くした。


 キンコン、と予鈴が鳴る。


 レイニーは足元から「昆虫学」の本を拾い、クリアを出口へと促した。そのまま二人の背中を見ていたフォッグだが、付け足すように声を張った。


「ねえ、レイニー殿下、忘れないで。俺はいつだって殿下の味方だから」


 レイニーはチラリとだけフォッグを見る。


「今週末、二人がハーパー公爵邸に来るのを楽しみにしてるからね」


 クリアがそっと首を回すとフォッグは壁に寄りかかり、意味深にレイニーだけを見つめていた。


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