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イブリール元帥を担う国母セルアの攻略図は寸分の狂い無く実現を重ね、じりじりと勢力圏を広げていた。
開戦から一ヶ月が経過した現在、ティアモラ首都ヴァストォール包囲網の形が朧気に察せられるようになった。
最近では、地方の領土に逃げ込んで館に立てこもったり、国外の親戚を頼って亡命するティアモラ貴族の数も増えている。
その報を受けるセルアは、一切の深追いを禁じた。
ティアモラの瓦解は、すでに内部からはじまっている旨を把握していればこそ、だ。
ヴァストォールを遙かに眺めるエルドラ高原に陣を張ったセルアは、夜着代わりにしている簡易軍装姿のまま、夜明けと共にもたらされた最新情報に目を通す。
「国母陛下。いかような?」
侍女シノンが控える幕舎にて同席する、このような時分にも関わらず甲冑をまとうルスズ副元帥が、セルアが手にした小さな紙片を読み終わるのを待って尋ねた。
夜目の利く特別な伝書鳩……イブリールの至宝である……によって届けられたその報を持参した、五十路に上ったばかりの浅黒い肌に焦げ茶の短い髪と瞳を持つ精悍なこの人物は、イブリール軍の再編の際、最も元帥位に近しいと評された人物だ。
出自は伯爵家の遠縁にて、継承権が無いも同然の立場ながら、優れた才を軍で磨き上げ、若くして将軍にまで上り詰めた。
様々な面での評価を受ける男だが、セルアが最も注目したのが、部下たちに慕われている部分である。
同輩たちの間でも、見事な調整役を勤めており、抜きん出て頭角を表わしてこそなかったが、長年の実績は評価に値するものだ。
よって、言い方は悪いが、特出した人材皆無の状況で、最も無難な次期元帥にと期待される部分があったのだが、決定打に欠けるきらいは免れなかった。
おおらかな好人物であり、絶妙なバランス感覚を持っていても、一国の軍を率いるには「何か」が足りなかったのだ。
人望はある。
だが、頂点に立つリーダーでなく、あくまでも彼は、支えるのに適した人材だった。
本人も早くから、それは自覚していたらしい。
だからだろう。セルアの登場を誰よりも歓迎し、今や元帥の片腕として見事に働いている。
「……お父さまの侍女がお手付きとなって懐妊し……エテルティアの命によって、処刑されたそうです」
「何と!」
「そのようなっ!」
ルスズ副元帥も、シノンも驚きのうめきをあげた。
全く以て、信じられない醜聞だ。
セルアは溜め息を吐いて、副元帥に手の中の紙片を差し出す。
彼は慎んでそれを受け取った。
記された報告に目を通し、同じく嘆息を零す。
「……陛下のお父上に対し、不敬とは存じ上げますが、この状況下において、何とも呆れた行いでございますな」
全くその通りなので、セルアも否の告げようがない。




