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高位の巫女でありながら、マヌエラはかけらほどの抵抗も示さず、呆気なく王妃の座を譲り渡し、後にはレスニアが手配した毒によって世を去った。
結局、高位の巫女云々と言っても、それだけの人物でしかなかったのだろう。
その程度の者が、そもそも、真実の王妃であったとは思えない。
なぜ神は、例え一時的であっても、後に偽りの存在と称される結果になろうと、彼女を正式な王妃となさしめたのか?
(……っ!)
ここまで考えたところで、エテルティアは「いつもの仮説」に心を捕らわれそうになって、慌てて気を取り直した。
「神の祝福を受けし存在たるセレスティア」を、ティアモラ王女としてこの世に送り出すため。
…………そのようなこと、あるはずがない。
あっては、ならない!
ティアモラの正当の王女は、エテルティアただ一人なのだから。
「だが、……何もかも全てが……神の、わたくしへの試練なのかもしれぬと……このところ、思うようになったのじゃ……」
自らに言い聞かせながら、エテルティアは言葉を紡ぐ。
手前勝手な解釈かもしれない。
けれど、彼女にとって何より信憑性の高い……高いと思いたい考えなのだ。
「ものの真理を見極められず、ただ流言に振り回されて右往左往する愚者たちは、神殿の放つ、表面的な上辺ばかりの言葉を鵜呑みにして、あの不要なる汚らわしき者ごときを、神の祝福を受けた聖なる存在だなどとさえずるが、わたくしは、それが過ちであり、ゼルフィードの奸計による陰謀であると看破しておる」
王女セレスティア。
そんな者の正当性を、エテルティアは断じて認めない。
よって、その祖父の存在もまた、貶めるのに躊躇を抱く由もなかった。
真実、信仰に生きる者であれば、血を分けた実の娘を、世俗の最高権力者の伴侶に推挙などすまい。
結局のところ、虚栄心あってのふるまいに他ならなかった。
「神殿側も、いずれゼルフィードが大神官長になると見越して、覚えをめでたくせんがために妄言を尊重し、捏造の託宣に同調したのだろう」
そのような勝手な評を弄するのは、自らの人間性を損なう行為だ。
賢しいエテルティアなので、当然理解している。
であっても、この主張は、彼女の根幹を支える大事。
「そう」でなければ、ならなかった。
何があろうとも!
「なぜなら、我が母こそが正当なるバルモア三世妃であるとの神の御意志を、神殿側が認めざるを得なかったからじゃ」
端から傍観する者にとっての矛盾の事実を、エテルティアはそう認識したのだ。
ゼルフィードにおもねる神殿の者たちも、最優先すべき神の采配ばかりは、無視できなかったと結論付けた。
だからこそ、マヌエラは、本来着くべきでなかった分不相応な王妃の座から退き、罪を償うために神の采配による審判の死を受け入れたと、彼女は得心するようにしている。
「わたくしこそが、統一された東西ティアモラに最初に生まれた、真実の王女。罪より生じた偽りの王女の存在など、どうして取り沙汰する謂われがあろう」
エテルティアは、胸に手を当て、ラーダを凝視した。
そして、少しだけ表情を和らげる。
「神は過ちを犯されたのでなく、正当な王女であるこのわたくしが、重き立場に相応しい者だと内外に示すため、類い希な試練をつかわしたのかもしれぬ……とな……」
「……殿下……」
ラーダは、切なそうに目を細めた。
エテルティアは、笑みを深める。
「……大事ない。……つらくないと言えば嘘になろうが、それでもわたくしは、正当なるティアモラ王女じゃ。道理を守ると誓ったからには、今更逃げ出す訳にはいかぬであろう?」
手段を選ばず、いかに卑怯な真似であれ、躊躇しない。
我が身のために。
そして……あるべき形を守るために。
そのために、エテルティアは、なせる全てを果たして来た。
「わたくしは、決して負けぬ」
強がりの言葉であっても、確かに戦いの勝者こそが、神の叡慮にかなう者となる。
それは、紛れもない事実だろう。
エテルティアは、ラーダを見上げた。
いつからか、彼女はこの騎士の中に「何か」を見出し、心の拠り所にしている。
彼が男として不能でありながら、優れた才覚の主だから……との部分が大きいのだろう。
ラーダは、金銭や名誉……栄達についてもあまり関心がないようで、群がる「獲物」たちがエテルティアに対して放つ類の欲望を、かけらほどにも感じさせない。
その事実は、彼女にとって、不思議な安堵をもたらしている。
でありながら、奇妙な矛盾……いや、いっそ苛立ちだろうが、ラーダに求められたいと、望む心さえあるのだ。
自らの肉体を活用すべき武器をみなしたエテルティアなので、求められた相手に利用価値があるとみなした場合、身分の上下なく差し出すのに、躊躇はない。
最初のころは、それなりの嫌悪を抱いていたものの、さして時も経ずに慣れてしまった。
所詮、ほんのわずかな時間、心を閉ざしている間に終わる、肉体を介したただの取り引きに過ぎないと達観するに至ったのだ。
無論、結婚ともなれば、また全く別の問題である。
いずれ、自らの身分に最も相応しい相手を吟味しなければならない。
その候補に、ラーダが入る余地などあるはずもなかった。
けれど、一度ぐらい、この男の熱を身体の奥深くに受け入れてみたいと、かないもしない考えに捕らわれるのは、どうしてなのだろうか?
「そなたは……わたくしの側におるのじゃ。わたくしの勝利を見届けよ。……良いな?」
彼は、無言で敬礼した。




