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国母セルア  作者: 小松しま
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 皇帝の柩は、そのまま夫妻の寝室へ運ばれる。

 しかし、その重さたるや、尋常の域でなかった。

 結局、十人がかりで担ぎ上げ、それも二十歩も持たずに力尽きて、次の者たちへ交替する繰り返しとなったのだ。

 また、不思議にも、運搬を担う者たちは内部に横たわる皇帝に触れられなかった。

 うっかり手を滑らせて内側へ指先が入った者もいたのだが、皇帝の肉体を通り過ぎてしまう。

 確かにそこに横たわっていると言うのに、存在がないかのようだった。

 信じがたいが、紛れもない事実だ。

 そして、皇帝の左胸。

 ここには、セルアが埋め込んだ聖鏡が、最初からあったかのように煌めいている。

 血塗られた衣服や肉体を貫いて、だ。

 これも神の奇跡なのかと、誰もが畏怖を抱いた。

 ともあれ、難儀の果て、柩の移動と安置を終えると、運搬役たちは引き上げる。

 寝室に残されたのは、もう一人の部屋の主である皇妃と、サナレーン侯爵を筆頭とした、わずかな重臣たちのみだった。

「妃殿下……」

 必然的に宰相位を引き継ぐ立場にあるサナレーン侯爵が、一同を代表して声をかける。

 勅命を告げた後、沈黙のまま夫に同行し、今も柩の傍らにひざまずくセルアは、呼びかけにも顔を上げようとはしなかった。

 誰もが痛ましげに眉を寄せる。

「ともあれ……血塗られた御身。湯を、お浴びください」

「誠……。ひどくお疲れのはず……」

「臣らはこれにて退出いたしますゆえ、しばしの御休養を……」

「いいえ」

 重臣たちの言葉を遮って、セルアはようやく面を上げた。

「休んでなどいられる状態ではありません」

 確かにその通りだった。

 今は、一刻を争うのだ。

 しなければならない大事が、山積している。

 セルアは、しっかりと立ち上がった。

「まず、急務なのは、民たちの動揺を、抑えること」

 強い眼差しで、真理を告げる。

 誰もが同意した。

「しかし、動揺するなと言うのは、無理な注文にございますぞ」

「あまりにも多くの衆目に晒された一件にございます」

 彼らの言う通りである。

「……陛下が一命を取り留められたは重畳なれど、触れることすらかなわぬ現状」

「医師の見立てもかないますまい」

「……それに、この冠……」

 誰にとっても、玉体と皇帝冠は案じられるところだ。

 皇帝自身も憂慮すべきものだが、冠は、神の恩寵を宿すと信じられている国の宝なのである。

 帝国創立の際、かの「黎明のかんなぎ」こと「水晶の御使い」の手より使わされた権威の象徴として、イブリールの拠り所になっている品だった。

 それが、触れられなくなったのだから、彼らの不安も無理はない。

 セルアは首を振る。

「この冠は、神がイブリール皇帝へ下賜なされた至宝。必ずや陛下をお守りくださいます」

 きっぱりと言い切った。

 逆は真なり、なのかもしれない。

 レスヴィックは、最上級の正礼装姿だったからこそ、神の恩寵によって一命を取り留めた可能性も無でないのだ。

「おおせの通りとは存じますが、陛下と皇帝冠が揃って、幻に似た存在へと変じたのでございます」

「国の根幹が揺るいだは、事実」

「……誰もが不安を抱かずにはおられますまい」

「……ゆえに、妃殿下のお言葉ではございませぬが、民の動揺をなだめねばならぬですが……」

「いかような……術があるものなのか……」

 ここで、振り出しに戻ってしまう。

 神の恩寵によって建国されたイブリールだからこそ、ある意味における根拠の消失は、存亡の危機に外ならなかった。

 セルアは、胸元で重ね合わせたままの両手に、小さく力を込める。

「……わたくしが懐妊したと……触れを出してください」

「なっ……!」

 思いも寄らない言葉に、誰もが絶句した。

 確かにそれは、起死回生の告知となろう。

 浮き足立つ人心を、新たな求心力に引き寄せる、この上ないシンボルだ。

 しかし……。

「妃殿下!」

 重臣たちの心を代弁するように、サナレーン侯爵が否を唱える。

「なりませぬ! いくら……逼迫した事態とは言え、方便によってその場凌ぎの収拾をはかりなどしては、偽りが綻びた時、遙かに難しい状況を招いてしまいます」

 セルアには、子を設ける能力がないのだ。

 そして、イブリールの民は皆、真実を知らずとも、世継ぎを設けるのが容易でない皇妃を頂くのを受け入れている。

 ……神の類い希な配慮によって、次代を産み落としてくれるかも知れない奇跡を、希いながら……。

 そんな必死の嘆願を愚弄するような策は、決して採用できなかった。

「……未曽有の国難。この窮状を救えるのは、陛下の御子の誕生以外にありません。陛下の御快癒がいつになるかもしれない事態で、誰もが心安らかになるためには、確固たるお世継ぎが必要なのです」

 セルアは、正論を振りかざす。


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