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「その想いを貫かれなされ。妃殿下は、神と法、そして民が認める、陛下のただ一人の伴侶にあらせられますぞ」
ありがたくも縋り付きたい言葉だが、セルアは必死に首を振った。
「陛下には……大いなる繁栄の源となる……多くの子孫たちより崇拝を受ける存在になって頂きたいのです」
後継者を設けずにして、それはかなうまい。
また、民も皆、レスヴィックが素晴らしい青年となって、彼に良く似た子供たちを設け、皇室がより一層栄える日の到来を願ってやまない。
セルアには、どうしたところで、実現させられない。
子を産めない皇妃が皇后となるのを、全ての人が許し、認めてくれているとしても、セルア自身が耐えられない。
となれば、いずれ適任者に道を譲り、ひっそり表舞台から身を引くしかないのだ。
どれだけレスヴィックを愛していても。
いや、レスヴィックを愛しているからこそ。
…………例え、彼がセルアと添い遂げるのを望んでくれても!
「そのためには……」
「どうか、神の御采配をお信じ召されよ」
震えるセルアの決意を、レヴァンス子爵は遮った。
しかし、セルアはなおも首を振る。
「あの方は……歴史に名を残す、偉大な皇帝陛下となられます! その治世に、一点の曇りも残したくないのです!」
セルアの、何よりの希望であり、自らの存在意義だ。
こう叫ぶ間にも、脳裏には精悍に成長したレスヴィックの姿を思い描ける。
賢しく美しい青年皇帝は、人々の敬愛を一身に受け、類い希な善政を敷いて、その名を讃えられるだろう。
歴史に輝く記述を残すのだろう。
その傍らに、皇后として、自らの名が記されないだろうと、セルアは心のどこかで知っていた。
幼少時に娶り、成人を前に早世した最初の妻。
……そうした記録さえ、いつしか消え失せてしまうかもしれない。
「妃殿下は、……初代皇帝陛下の逸話をご存じですかな?」
しばし静観に徹していたスィーナー公爵が口を挟む。
「え?」
思いがけない話題の転換に、セルアの興奮状態が冷めた。
優れた頭脳はすぐさま切り替えを行い、問いへの答えを探し出す。
「……ロスウィール聖帝陛下のことでしょうか? 神の差配によって、この国を興された創祖でいらっしゃいますよね?」
「いかにも……」
スィーナー公爵は、重々しくうなずいた。
「あの御方は、生涯不妻帯を貫かれました」
「……え?」
詳細な記録は残っておらず、先々代皇帝が史書の編纂を命じた際に明らかになった真実だと彼は続ける。
「……けれど、御子息が、確か……二代目の皇帝陛下となられ、……大層優れた伴侶の「かんなぎ」さまが皇后陛下として即位されたと伺っております」
セルアは講義の内容を思い出しつつ、意見した。
その後、二人の間に生まれた内親王が、ロスウィール聖帝の弟の孫にあたる皇太子と結ばれ、系統を受け継いでいるはずだ。
「かんなぎ」の皇后も、その娘も見事な黒髪を有していたため「黒の皇后」と称され、今になっても皇室にはその遺伝を継ぐ者が多く生まれている。
レスヴィックは正にそうであり、傍系ながらサナレーン侯爵も同様だ。
「それも神の御采配。……詳しくはわかっておりませぬが、聖帝陛下の伴侶は同性の騎士であられた由」
「なっ……」
セルアは絶句した。
そのような話しは初耳だ。
いかに同性婚が許されているとは言え、世継ぎをこいねがわれる一国の主ともあろう者が、それを望むなど、尋常でない。
「実際、多くの臣下たちより、お世継ぎをと懇願されていたそうですが、それでも陛下は、神へ捧げた誓いと自らの想いを順守なされたと伝わります」
「まさか、そのような……」
とても信じられなかった。
「その通りにございます」
横たわるレヴァンス子爵が言葉を添える。
「当家は、傍らにあって、それらの一連の伝承が語り継がれておりましてな。……陛下の懊悩は凄まじいばかりだった由……。なれど、何よりも大切なものを、決して見失わず、手放さず、時を過ごされたそうでございます」
「……何よりも……大切な、ものを……」
言うのは簡単だが、容易に果たせるものではない。
セルアの背筋に、震えが走った。
それは、神に対する何よりもの誠心ではないのだろうか?
「……だからこそ、神は、次代陛下となられる中継ぎの皇帝陛下とその皇后陛下を、おつかわしになられたのでしょう……」
スィーナー公爵は淡々と告げたが、そのような記述は、歴史書のどこにも記されてはいない。
恐らく、秘中の秘なのだろう。
事実、彼は史書には一切が割愛されたと告げた。
「……っ……」
セルアは絶句する。
「神の御采配を信じ……、その畏敬の念の元、妃殿下の想いを、どうぞお貫きなされ」
レヴァンス子爵は、優しい瞳で告げた。
「妃殿下は、神の祝福を受けし御方。必ずやその祝福は御身を満たし、この国に恩恵をもたらしましょう」
その言葉が、彼の遺言となったのだった。
故人の遺志に従って、葬儀はごく身内のみでひっそりと執り行われた。
子爵は早くに伴侶を亡くし、後継者のいない身だったため、その爵位をサナレーン侯爵の弟へ譲り渡してはどうか……と、皇室側から提案したものの、当の本人が辞意を表した。
無位無冠にある彼は、身軽なままで過ごしたいと訴えたのだ。
よって、レヴァンス子爵位は空位のまま、サナレーン侯爵家の預かりとなる。
哀しみを堪え、セルアは父代わりの後見の死に憔悴するレスヴィックを支え、更なる日々を過ごす。
健気に皇帝を支える、美しき皇妃。
心優しい、類い希なる賢女。
たおやかな乙女でありながら、優れた剣の使い手。
セルアの評判は、高まるばかりだ。
そしてそれを、レスヴィックは、自分が評価される以上に喜んだ。
更には、そんなセルアに相応しい伴侶になるためにと、一層勉学に励み、心身の鍛練を重ねる。
まだ幼さすら残る皇帝夫妻は、多くの人々に見守られながら、少しずつ、けれど確実に成長し続けたのだった。




