19
サナレーン侯爵は、舌打ちをせんばかりの風情で、呑気極まりない目上の親族を睨み付けると、輿入れの主従に、いかにも賢しそうな幼い少年を示した。
「……殿下。我が主君たるイブリール皇帝……レスヴィック陛下であらせられます」
「!」
セレスティアは反射的にドレスの裾を持ち上げて、深く腰を落とす。
侍女たちも慌てて倣った。
「……セレスティアにございます」
八才の少年・レスヴィックは、きらきらと瞳を輝かせて立ち上がる。
「……僕の、伴侶、なのでしょう?」
とことこと歩み寄り、覗き込むようにセレスティアに尋ねた。
「は……はい……」
とにもかくにも、上目遣いにそう応じれば、、少年は嬉しそうに顔中で笑う。
「すっごくきれいなお姫さまだ。マーア姫のおっしゃった通りだね。爺?」
興奮状態の少年は、背後の紳士に同意を求めた。
マーア姫とは、亡くなった斎王の名である。
「誠に。陛下のお妃さまに、これ以上なく相応しい御方でいらっしゃいましょう」
サナレーン侯爵の親族にて、皇帝より爺と呼ばれる人物は、満足そうに同意した。
「うん!」
「さあ、陛下。お教えしたでしょう? 御挨拶をなされませ。何事も、第一印象が肝心ですからな」
もったいぶった言葉に応じるように、レスヴィックは、ぴょん! と飛び跳ねて、慌てて背筋を伸ばす。
「えっと、……セル、……セルア、……姫っ」
「……陛下。セレスティアさまで……」
「よろしいのです」
幼い君主の言い間違えを正そうとしたサナレーン侯爵を、セレスティアは微笑で制した。
「どうぞ陛下。セルア、とお呼びくださいませ」
胸元に手を当て、セレスティアは腰を屈めて、未来の夫にそう申し出る。
「……良いの?」
「……はい。良き御名を頂戴いたしました」
不安を隠せない風情の少年に、更に笑みを深めた。
帝国の主ともあろう立場にありながら、何とも素直で好ましい気性が察せられ、たまらなく、彼を愛しく思う。
セレスティアは、自分にも理解できない、不思議な感情の高まりを感じた。
神の差配による婚姻だから、なのだろうか?
初対面の少年を、どうしてこれほどまでに慕わしく思うものか……。
「これよりわたくしは、セルアと、名乗らせて頂きます。故国の全てを捨て……、新しい人生を歩むために……」
唐突の思い付きは、たちまちセレスティアの中で強い決意へと育った。
結局、愛せなかった父から与えられた名になど、何の未練もない。
「セルア……」
「はい。陛下」
途轍もない慈しみの心のまま、呼び掛けに応じる。
ティアモラ内親王セレスティアは、この時を限りに、イブリール皇妃セルアとなったのだった。




