からくる12
「左近さん、少し風にあたってらっしゃいな」
「疲れが見える」と気遣われて、遠慮なく大広間から一度退出することにした。銀家で一番豪勢な広間の襖をゆっくり開いて、静かに閉める。中では、他の八家当主の代理人や、銀家に縁深い人々が通夜ぶるまいをしている最中である。
きっちりと閉めた襖の前で一度動きを止める。そして大きく息を吸ってゆっくりと吐きだし、くるりと踵を返して縁側に出た。今日だけは髪をしっかりまとめて結い上げ、普段とは打って変わって、真っ黒な喪服をきちっと着込んでいる為、堅苦しいと言ったらない。ため息を一つ吐きながらチラリと庭に目をやると、見覚えのある人影を見つけた。
「清高さん?」
呼びかけてみると、その影はゆっくりとこちらを振り返った。その影は確かに清高で、普段と変わらない黒いスーツに、新調した眼鏡をかけていた。
「……さ、」
清高は咄嗟に出た一度言葉を止め、苦笑いをして「左近さん」と言い直した。その反応に苦笑いを返し、縁側の側に置いてある草履に足をのばして、自分も庭に出て清高の側に行く。近づいて確かめた清高には、もう戦闘の傷跡は無く、その目は以前と変わらない人間の目だった。安心して少し笑ってみせると、清高は間違えを笑われたと勘違いしたのか、目を伏せて申し訳なさそうにした。
「やはり、すぐには慣れませんね…」
「あぁ、違うんです、どうか気になさらないで。私も、まだ実感がありませんから…」
スッと視線を夕闇に包まれる庭へと移す。途端に庭の木々から一斉に烏が飛び立った。彼らはこんな時間に、どこへ飛び立つというのだろう。
「私の中では、左近はずぅっと兄様でした。物心ついたころには、もう父様も母様も居ませんでしたから。清高さんだってそうでしょう?」
左近とは、代々銀家の当主が継ぐ名前。つい先日までは、「咲良」の実の兄であったあの人の名前。今は、銀家を継ぐことが正式に決まった自分の名前。もう「咲良」という少女は、この世のどこにもいない。
「でも、少しずつ慣れるしかないんです。これは現実で、進むことしかできませんから」
そう言葉に出して初めて、自分はまだ兄の死から立ち直れていないのだと気づいた。しまった、この人の前で言うべきではないと清高に視線を戻したが、遅かった。
「本当は、仇をとるべきだったんでしょうね」
しっかりと左近を見つめつつ呟く清高の顔は、真っ青で覇気が無い。
「ですが、四凶は本来大地に封印されていなくてはいけない妖。彼らが長期間に渡って欠ければ、大陸が崩れてしまう。それだけは避けねばならなかった。
貴女は僕を詰るでしょうか?…それでも構いません。僕のしたこと、しなかったことは、全て許されるものではないのですから…」
「責めてください」と清高は言う。
「……途中で鎌鼬が消えたのは、清高さんと李片さんがしてくれたのですか?」
あえて清高の乞いには答えず、清高に質問をする。スッと視線が交わされ、清高の瞳が少し揺らいで、小さく頭を縦に振った。
「…でしたら、私は清高さんに二度も命を救って頂いたことになります。私は、」
「あの男は、窮奇を操るために、窮奇に直接印を結んでいましたね?」
貴方を責めたりしない、そう続けようとして、急に言葉を切られ、ただゆっくり頷いて清高の言葉に耳を傾ける。
「それに比べて僕には妖を操る力なんてありません。ましてや守護八家の方々のように、妖と対等に渡り合う能力もありません。僕は、自分の身体に直接印を結んでいるんです」
「直、接…?」
「幼いころに、大陸で」
言葉を失った。清高が幼い頃ということは、戦時中か戦後すぐか、どちらにしろ混沌とした、まるで平和とは言い難い時代だったはずだ。しかも、大陸。そこはこの国が血を流し流させ、ひたすらに争っていた地。
「あの時代あの場所で、こちらの国の人間である僕が生き残るためには、僕を守ってくれる力が必要だったんです。だから僕はこの身体に印を結んだ。絶対に僕に不利益が働く形で、飛廉との契約を手に入れたんです。この獣のようになる目が、その不利益。つまり代償なんです。ゆっくりと、侵されていく。人では、無くなっていく」
清高は、まるで誰か他人の話をするかのように、落ち着いて話し続ける。二人の影は段々と伸びていき、今にも闇に飲み込まれそうになっている。
「先代の左近さんは、こんな僕が一時の間、ここに居る許しをくれたんです。もう人間とは程遠い身体になりつつある僕に、居場所をくれた。そして一人前に人を愛することを、許してくれた」
清高の顔に影が落ち、表情が暗くなっていく。
「清高さ、」
「僕は十分人間を生き抜きました。だからこそこの命で贖うはずだったのに、それすらできなくて、敵を逃がす形になって。僕はお礼を言われる筋合いがありません。僕は、」
「清高さん!」
清高を制止するようにスーツの袖をぐいっと引っぱる。だが清高はやんわりとその腕を退け、泣きそうに笑った。
「話し過ぎてしまいましたね…。僕は、こんな弱い自分を「咲良」さんに知られたくなかったのに」
「きよた、」
もう一度清高の袖を引こうとして、その手は空を切った。サッと身を引いた清高が、苦しそうに笑う。
「貴女が今日から新しく銀家を引っ張っていく存在です。区切りはつきました。もう僕がここに来る必要は、ありません」
ハッとして清高に向けて手を伸ばすよりも早く、清高はその場から消えていた。
庭の木々には、いつの間にか数羽の烏が舞い戻っていた。