第2章:「漠着」―漆黒の執行者―
第1章をご覧いただき、ありがとうございました!
第2章から物語は本格始動。悪夢の裏に潜む「さらなる歪み」が牙を剥きます。
今回のターゲットは、社会への憎悪を募らせたサラリーマン。
具現化した悪夢【ケルベロス】を相手に、風月と火楽のスタイリッシュな「真の連携」が炸裂します。
そして、徐々に露わになっていく組織『ドリームキャッチャー』の不気味な違和感にもご注目ください。
覚醒の残滓
現実世界の病院、処置室。
風月が目を開けると、そこには無機質な蛍光灯の光と、消毒液の鼻を突く臭いがあった。
額から手を離すと、ベッドの上の前橋由香里は、憑き物が落ちたように穏やかな、しかし死人のように深い眠りに落ちていた。
「……終わったわね」
隣で同じく意識を戻した里見火楽が、窮屈そうに肩を回す。
ドリームダイブ後の肉体には、精神世界での負荷が「疑似質量」として蓄積する。鉛のように重い四肢。脳を針で刺されるような鈍痛。それが、悪夢を喰らう「バク」としての代償だった。
「ああ。……だが、これで終わりじゃない。彼女の『傷』は、ナイトメアを斬っただけで消えるほど浅くない」
風月は冷ややかに言い捨て、部屋を出ようとした。
廊下には、早くも「ドリームキャッチャー」の回収部隊が控えている。彼らはヒーローを称える拍手を送るわけでもなく、ただ淡々と、事後処理のデータを収集するだけの機械的な集団だ。
「武見。本部長がお呼びだ。今回のダイブデータの同期と、次の『検体』についてのブリーフィングを行う」
インカムから流れる無機質なオペレーターの声。
風月は、八咫烏の紋章が刻まれた自分の手の甲をじっと見つめた。
この組織において、自分たちは「英雄」ではなく、ただの「高性能な清掃具」に過ぎない。
鋼鉄の沈黙
ドリームキャッチャー本部。
地下深く、隕石の粒子を完全に遮断したクリーンルーム。
そこでは、巨大なモニターに東京23区の「悪夢指数」がリアルタイムで投影されている。
「お疲れ様、二人とも。第一患者の駆逐成功、見事だったよ」
本部長の椅子に座る男は、顔に深い影を落としたまま、手元のタブレットをスライドさせた。
画面に映し出されたのは、返り血を浴びた漆黒のスーツ――風月の「バク」の戦闘ログだ。
「だが武見、ハイパーブレード『イカズチ』の使用回数が増えている。……あれは精神力を急激に摩耗させる諸刃の剣だ。トドメ以外での解放は、君自身の脳を焼き切ることになるぞ」
「……分かっています。効率を優先した結果です」
風月の言葉には、一切の感情が籠もっていない。
火楽がその横顔を、どこか危ういものを見るような目で見つめた。
彼女は知っている。風月が、まるで死場所を探しているかのように、限界を超えたダイブを繰り返していることを。
「次の患者は……棚橋彰。42歳のサラリーマンだ。彼の悪夢は、すでに周囲の粒子濃度を臨界点まで引き上げている。……準備ができ次第、ダイブしろ」
犬たちの挽歌
第二患者、棚橋彰。
彼の病室に入った瞬間、風月は強烈な「拒絶」の気配を感じた。
部屋の隅々まで、黒い粘着質な粒子がこびりついている。
「……クソ、なんだこの臭い」
火楽が鼻を覆う。それは、濡れた獣の毛と、腐敗した肉が混ざり合ったような異臭だった。
棚橋は拘束具を引き千切らんばかりに暴れ、喉の奥から「ウゥ……ガルル……」と、犬の唸り声に酷似した音を漏らしている。
「小さい頃に犬に噛まれた……か。その程度のトラウマが、粒子と混ざり合うとここまで肥大化する」
風月は、棚橋の額に手を置く。
ダイブのカウントダウンが始まる。
「火楽、準備しろ。……次のは、数が多い」
「わかってるわよ。私の『血薔薇』で、全部まとめて消し炭にしてあげる」
二人の意識が、再び闇へと沈んでいく。
「漠着」の掛け声と共に、漆黒と鮮血の装甲が火花を散らして実体化した。
灰色の迷宮
ダイブした先は、終わりのない裏路地だった。
錆びついたトタン屋根、割れた電球、そして至る所に散らばる犬の骨。
遠くで、無数の遠吠えが聞こえる。
前方から現れたのは、棚橋彰の姿をした影。
彼は血走った目で逃げ惑い、その後ろから、三つの首を持つ巨大な影が迫る。
ナイトメア――【ケルベロス】。
一つ一つの首が、棚橋の「臆病」「傲慢」「卑屈」を象徴するように、異なる表情で牙を剥いている。
「……来るぞ」
風月は背中の刀に手をかけた。
路地の奥から、ケルベロスだけでなく、無数の「野良犬」の形をした小型ナイトメアが、黒い津波となって押し寄せてくる。
「多すぎるわね……! 風月、道を開けなさい!」
火楽が前に出る。
鮮血色のスーツの隙間から、蒸気が噴き出す。
彼女が振るったブレードウィップ「血薔薇」が、螺旋を描いて空間を裂いた。
「燃えろ……!!」
熱線。
鞭の軌跡に沿って、紅蓮の炎が爆発する。
最前列の犬型ナイトメアたちが、悲鳴を上げる暇もなく炭化し、砕け散る。
だが、ケルベロスの三つの首は、その炎を嘲笑うように冷たい冷気を吐き出した。
「なっ……炎を相殺した!?」
「火楽、下がれ。……あれはただの恐怖じゃない。棚橋自身の『他人への憎悪』が盾になっている」
風月は、一瞬で距離を詰めた。
重力を無視し、壁を垂直に駆け上がる。
八咫烏の紋章が青白く輝き、彼の機動力を極限まで引き上げる。
空中からの抜刀。
狙うは、中央の最も巨大な首。
ガキン、と硬質な音が響く。
ケルベロスの牙が、風月の刀を真っ向から受け止めた。
「死ネ……死ネ……人間ドモ……!!」
首の一つが、棚橋の声で叫ぶ。
その口から溢れ出したのは、どす黒い胃液のような強酸の泥だった。
「チッ……!」
風月は刀を盾にし、後方へ大きく跳躍する。
着地した地面が、酸によってドロドロに溶けていく。
この夢の中では、患者の「犬嫌い」だけでなく、「社会への恨み」が敵を強化している。
一筋縄ではいかない。
風月の瞳の奥に、静かな青い火が灯った。
「……火楽。奴の三つの首を同時に落とす。合わせろ」
「簡単に言ってくれるわね……! でも、あんたに命令されるのは癪だけど――やるしかないわね!」
漆黒の鴉と、鮮血の薔薇。
二人のダイバーが、悪夢の深淵で真の連携を開始する。
悪意の三連鎖
ケルベロスが咆哮する。その三つの咆哮は重なり合い、精神世界の空間そのものを歪ませる衝撃波となって風月たちを襲った。
「くっ……脳に直接響くわね……!」
火楽が耳を抑え、膝をつく。バクの装甲越しですら、患者の「絶叫」はダイバーの精神を浸食してくる。
だが、風月は動じない。彼は八咫烏の紋章から溢れ出す青い燐光を全身に纏い、衝撃波の波間を縫うように加速した。
「火楽、左右の首を抑えろ。真ん中は俺がやる」
「……注文が多いのよ、あんたは!」
火楽が叫びながら立ち上がる。彼女の背中の装甲から、バラの棘を思わせる無数の触弾が射出された。
【紅蓮棘】。
熱を帯びた棘がケルベロスの左右の首を突き刺し、一時的にその動きを封じる。
「今よ、風月!」
その隙を、風月は見逃さない。
彼は地面を這うような低空飛行で肉薄し、一気に跳躍。ケルベロスの巨躯を見下ろす位置まで舞い上がった。
「ガアアァァァ! 邪魔ダ、邪魔ダアッ!!」
中央の首が風月を喰らおうと、顎を大きく開く。その喉の奥には、棚橋がこれまで飲み込んできた「罵詈雑言」が実体化した、黒い針の山が見えた。
「……お前の言葉は、もう誰にも届かない」
風月が空中で静止したかのように見えるほどの超反応。
彼は背中の鞘から、通常戦闘用の日本刀を抜き放つと同時に、左手で鞘を投げつけた。
意表を突かれたケルベロスの口内に鞘が突き刺さり、一瞬の隙が生まれる。
その刹那。
「『雷』――出力、120%」
風月の持つ刀が、青白く、そして禍々しい光を放ちながら膨張した。
通常の刀身を覆い隠すように形成される、巨大な雷の刃。ハイパーブレードの解放だ。
「断罪」
風月は、垂直に落下しながら一閃した。
光の尾を引く雷の刃が、ケルベロスの脳天を真っ二つに叩き割る。
ズウゥゥゥン!!
夢の世界の路地裏が、雷光によって真っ白に染まった。
直後、ケルベロスの三つの首が同時に弾け飛び、黒い汚泥と化した悪意が周囲に飛散する。火楽の展開した炎の壁が、それを蒸発させていく。
地面に着地した風月の足元では、力なく横たわる棚橋の精神体が、犬のように小さく震えていた。
「……これで、犬に怯える必要はなくなった。だが、これからは自分の罪に怯えて生きることになるな」
風月は冷たく言い放ち、刀を収めた。
英雄の帰還と、不協和音
現実世界に戻った風月を待っていたのは、賞賛ではなく、過酷な「洗浄」だった。
ドリームキャッチャー本部のクリーンルーム。
ダイブ中に付着した微細粒子を剥ぎ取るための、高圧の除染レーザーが風月の皮膚を焼く。
「……っ」
無意識に漏れる呻き。
隣のケージでは、火楽もまた、苦痛に顔を歪めながら除染を受けていた。
「ねえ……武見」
火楽が掠れた声で話しかけてくる。
「……なんだ」
「さっきのナイトメア。……あれ、ただのトラウマじゃないわよね。もっとこう……誰かが意図的に『育てた』ような、嫌な手応えがしたわ」
風月は答えなかった。
だが、彼も同じ違和感を抱いていた。
第一患者、第二患者。彼らの悪夢はあまりにも鮮明で、あまりにも「殺意」に満ちている。
まるで、誰かが夢という名の苗床に、ナイトメアの種を蒔いているかのような。
「……俺たちの仕事は、駆逐することだけだ。余計なことは考えるな」
「冷たいわね、相変わらず。……そんなんだから、人見知りなんて言われるのよ」
火楽が皮肉を飛ばすが、風月の視線は、部屋の隅にある監視カメラに向けられていた。
ドリームキャッチャー。
政府は「ナイトメア症候群に対抗できる唯一の希望」と呼称するが、その実態はあまりにも不透明だ。
専用スーツ「バク」の製造技術、ダイバーの選別基準、そして――回収されたナイトメアの残滓がどこへ運ばれているのか。
風月の脳裏に、ダイブ中の八咫烏が囁いたような気がした。
――『夢は、現実の鏡だ。だが、鏡が割れた時、映し出されるのはどちらだ?』――
第三のターゲット:強欲の権化
休息も束の間、次の「検体」が運び込まれた。
郷田笑弊。
一代で巨万の富を築いた、不動産王。
性格は傲慢。他者を踏み台にすることに躊躇せず、弱者を「持たざるゴミ」と切り捨てる男。
そんな彼が今、豪華な特別病室で、赤ん坊のように丸まって震えていた。
「ひ、光を……! 電気を消すな! 来るぞ、あいつが……鎌を持った『死』が来るんだ!!」
郷田の悲鳴が、金をかけた装飾の虚しさを際立たせる。
「幽霊、ね。典型的な『罪悪感』の裏返しじゃない」
火楽が呆れたように郷田を見下ろす。
「……いや、違う。こいつが恐れているのは、死そのものじゃない」
風月は、郷田の周囲に渦巻く粒子の色を観察した。
それは、これまでの患者とは比較にならないほど、深く、濁った「虚無」の色をしていた。
「こいつの夢に入る。……火楽、これまでの比じゃないぞ。気を引き締めろ」
「わかってるわよ。……さあ、始めましょうか」
二人の手が、郷田の額に伸びる。
「『漠着』!!」
光が弾け、風月たちは三度、狂気の世界へと身を投じた。
第2章、最後まで読んでいただきありがとうございます!
風月のハイパーブレード『イカズチ』120%出力、そして火楽との共鳴。徐々に相棒としての形が見えてきた二人ですが、休息の間もなく次の検体「不動産王・郷田」が立ちはだかります。
これまでのトラウマとは一線を画す、深く濁った『虚無』。
郷田の夢の中で二人が目にするものとは――?




