【第23話】託された約束
『とって食ったりはしない。しばらく二人にしてくれないか。琥珀の命は保証しよう』
女王からの通信は、それだけだった。ミナトは苛立ちを押し殺しながらも、ソラと共に展望デッキに留まっていた。
「行かせろよ、俺が……!」
身を乗り出すミナト。ソラが腕で制する。
「落ち着け。女王は決して嘘はつかない。……今はここで待つんだ」
やむなく座り込んだミナトの横で、ソラは窓の外を見つめた。
眼下には揺らめく太陽が泳ぎ、煌めく水面を造っている。
――何かが違う。
次の瞬間、ソラは世界の変化に気付き、表情が青ざめた。
太陽が沈んでいない。
「ミナト! 昼は30分しか続かないはずだ。それなのに、さっきから夜が来ないんだよ!
〝目〟もそうだ、もう一時間以上も終わらない。こんなことは、今まで一度もなかった……」
ミナトの胸の奥に、ざわめきが走る。
嫌な予感――それを言い当てるようにソラが呟く。
「もし、地球の自転が減速を始めているのならば……さらに進めば……世界は、急激に崩れていく」
*
レギーナと琥珀。言葉を失ったまま、重たい沈黙が放送ブースを満たしていた。
その時――、
ゴゴゴゴゴゴ………………!
突然、大地を裂くような轟音が鋼鉄の壁を震わせる。
床が低くうなり、琥珀の身体がふわりと宙に浮いた。
その拍子に、ガジュ丸がバックから顔をだす。
『……省電力モード、解除』
「どうなってるの! 何、この大きな音! ガジュ、説明して!」
『お嬢様、落ち着いてください。こんな時は、まず温かいダージリンティーを――』
場違いなほど淡々とした話し方。そのガジュ丸の後方、遠方の空が赤々と燃えているのが見えた。
富士だ。
逆さ富士が噴火している。
噴煙は奈落へ落ちることなく空中で停滞していた。溶岩の滝は斜めに垂れ流れ、まるで世界そのものが傾いてしまったかのようだ。
重力が、おかしい。足元が揺らぎ、身体が斜めに引っ張られていく……
世界が急速に、
「コハクーーー!」
破滅へと向かい始めた。
刹那、ガラスの割れる衝撃音が走る。
琥珀の目の前に、ホバーバイクを駆るソラとミナトが飛び込んできた。
「――この手に、掴まるんだ!」
ミナトの腕が伸び、琥珀をしっかりと抱き上げた。
三人を逆さの太陽が照らしている。流れるようにミナトが銃を構えた。
「待って! ミナト!」
『お嬢様ーーーー!』
デッキには、置いてけぼりを食らったガジュ丸が風に煽られ、バタバタと上手く進めないでいた。
「ガジュ!!」
バイクが旋回し、必死に手を伸ばす琥珀。
あと数cm、届きそうな瞬間――
その必死な球体を、すっと伸びたレギーナの手が掴んだ。
「ガジェット……!」
そう言って、時が止まったように目を見開くレギーナ。
彼女はガジュ丸を赤子のように抱き上げた。
「……そうか。……そういう事か、博士」
ホバーバイクの上から、鬼の形相で女王を狙うミナト。琥珀の手がその銃口を離さない。
一瞥したレギーナが割れた窓辺に近づき、静かに語り始めた。
「私の役目は、もう終わってしまった。〝選別の時〟が……こんなに早く来るとはな。
これが神の決定なら、受け入れるしかないのだろう。神は……私ではなく、コハクを選んだのだ」
その声には、悲しみよりも達観が宿っていた。
彼女はわずかに目を伏せる。
「私の偏狭に圧され、家族を演じていた者たち。もし全ての者が嘘をつき、全ての者が真っ赤な〝犯罪者〟だったのならば……、
その中心で純白を装っていた私こそが、最も醜い〝偽り〟だったのだろう」
そう言って、彼女はガジュ丸をそっと琥珀に託した。
「私はもう、この世界に必要のない人間だ。本当は……いつかこんな日が来ることを、心のどこかでわかっていたのかもしれない。
それでも、ずっと目を逸らしてきた。秩序と正義を掲げれば、救いがあると信じたかったから……」
淡々と告げる声には、冷酷さではなく深い疲労と達成感すら滲んでいた。
跪き、彼女の視線は遠く、誰かを追うように揺らめく。
「……博士、約束を守れそうにない。……すまない」
その時、再び大きくデッキが揺れる。
大地が唸りを上げ、傾くタワー。先ほどの衝撃は余震に過ぎなかったのか。
ホバーバイクは飛び立つ。
銃口を下げれないまま震える、切歯扼腕させてしまったミナトを、琥珀が抱き締める。
遠ざかっていく展望室。
窓辺に立つレギーナの姿が揺れる残像のように小さくなっていく。
「あなたも生きて!」
気付いたとき、琥珀の口は叫んでいた。
「あの日、この場所で……あなたは言ってくれた! 家族だって! 言ってくれたじゃない! 一緒に新世界を歩もうって!」
〝ありがとう……〟
トップデッキに残されたレギーナの口が、そう動いたように見えた。
轟音と振動。タワーの基礎に仕掛けられていた爆弾のひとつが爆ぜ、鉄骨が悲鳴を上げる。
続けてもうひとつ弾けた。
東京タワー全体が大きく軋み、光の街を背にゆっくりと傾きはじめた。
レギーナは震える床を踏みしめ、ひとり放送デスクに腰を下ろす。
「新世界……そうだな。嘘つきになってしまうところだったよコハク。地球は、運命の新たな段階へ進もうとしている……。
人類は、この試練を乗り越えねばならない。そのために……まだ私に出来ることがある――」
彼女はフェーダーに指をかけ、息を吸い込む。
そして、叫んだ。
最後の一斉放送――
「――さあ、ラストコールだ!!」




