【第21話】嵐のち晴れ
(A班が安全な場所まで離脱したら、B班の僕たちがエレベーターの電源をシャットダウンする。
緊急用の電源は無い。女王はトップデッキで袋のネズミさ。女王が上ってくるには、ドアをこじ開けて非常ハシゴと外階段を使うしかないが、外は暴風だ。
万が一〝目〟が来て晴れちゃっても、真ん中の展望デッキから外階段600段だ。どんな化け物アスリートでも、こっちまで昇ってくるのに最低20分はかかるはずだよ)
ソラの声がミナトの頭の中でくっきりと再生された。
「もし、爆破で墜とせなかった場合……その20分が、俺とアイツの〝命の猶予〟だな」
――ピピピピ。
鋭い電子音が鳴り、早くも女王がタワーのふもとに着いたことを報せる。
生き残りの革命派は227名、その中でも先鋭の8名がC班として塔の基礎四箇所に仕掛けられた爆弾を監理し、100名近くが集結し周辺に散開、万が一に備えいつでも動けるように待機していた。
準備は整っている。もはや退路はない。
「琥珀、こっちだ!」
琥珀はガジュ丸を乱暴にバッグへねじ込み、急いでミナトの待つ地下直通エレベーターへと駆け込んだ。
その頃、レギーナはエレベーター前で足を止めていた。館内スピーカーから再び琥珀の歌が流れ始める。
僅かなテープ痕を指でなぞる。
彼女は静かに唇を引き結び、騎士二人をエレベーター前に残すと、もう二人を伴って無言でエレベーターに乗り込んだ。
タワーの内部で、二基のエレベーターが同時に動きだす。
ひとつは女王を奈落へ。
ひとつは希望を乗せ、地上へ。
ミナトと琥珀は息を殺し、籠の中で身を潜めた。淡く光る階数表示ランプが、黒点をひとつずつ飲み込み進んでいく。
――と、その時だった。
〝ウゥゥゥーーーーーーーーーーッ〟
警報が空を裂く。
『ミナト! まずい、〝目〟が急接近してるよ! かなりの異常速度だ!』
焦ったソラの声が通信機ごしに叩きつけられる。事態は起こってしまった。このまま暴風が途切れてしまえば、女王が外へ出て鉄骨を駆け上がってくる。
次第に風は弱まり、シースルーエレベーターから見えるガラス張りの景色が晴れ渡っていった。
カラン、……カラン。
鋼の軋む音が次第に間延びしていく。
しかし、二人の鼓動はそれと反比例するかのように加速していた。
見上げれば、逆さの東京。
朝焼けでガラスが明るみになる。
その中で、風蝕した白い濁りや亀裂の光が、少しずつ街を飾っていった。
「やはり〝目〟が来たか」
一方でレギーナは異様な行動を見せていた。
エレベーター内の壁に耳をあて、目を閉じる。
作動音に耳を澄ませる。
エレベーター内に流れる琥珀の歌が、集中した彼女の中でぼんやりとフェードアウトしていく。
空がざわめいた。
〝目〟が、旋回する。
暴風はまるで誰かに息を吹き掛けられたように飛び散り、世界は静まり返った。――その時だった。
「……茶番は、ここまでだ」
そう告げた時、彼女の指が緊急停止の赤を深く押し込んだ。
キィィィンーー!
金属の悲鳴がタワー全体に不協和音を走らせる。
突然の急制動。
ミナトと琥珀の身体はふわりと浮き上がり、天井に吸い寄せられそうな感覚に襲われた。
次の瞬間、非常灯が点り、赤い水面が壁を這う。
密封された空間に鉄の臭いが濃く漂った。
停止したエレベーターは僅かに軋み、吊られた鳥かごのように不安げに揺れている。
壁に何度も打ち付けられたガジュ丸が、電子音を発し、ようやく口を開いた。
『お嬢様、緊急事態のようです。救護係へ連絡を……現在オフライン――』
――ガンッ……ガンッ……!
エレベーターの天井から、重いものを叩きつけるような衝撃音が響いた。
ガンッ……ガンッ……!
天井の継ぎ目が何度も凹み、火花が散る。
「いや……っ!」
「大丈夫だ! 掴まってろ!」
ガンッ…………!
ついにその裂け目から白い光が滲み込んできた。
そこから、
見開いた人の目がこちらを見下ろしている。
ミナトは反射的に琥珀を庇い、壁際へ押し下げる。だがその時、側面から重い衝撃が一撃。激しく身体は押し返された。
壁は軋み、剥がれかけた扉には、こじ開けようとする逆光の騎士が待ち構えていた。
刹那、潜り込んできたレギーナの鋼の手がミナトの肩を無造作に鷲掴む。
「……重大犯罪人め」
その冷たい宣告が言い終わるより早く、ミナトの身体は吊るされた布切れのように乱暴に振り回され、展望ガラスへ叩きつけられた。
轟音。
強化ガラスは蜘蛛の巣状に砕けた。彼の身体はガラス片とともに外気へと投げ出される。
「ミナトーーーーーッ!」
琥珀の喉から魂の叫びが迸る。
空を足掻くミナト。
時が止まるような永遠の中で思考が渦を巻く。
もう誰も喪いたくない。
もう誰も…………
――――世界が変わる前、わたしはただ惰性で生きていた。
ミナトはそんなわたしに生きる意味を教えてくれた。
世界の欠片なんだって思わせてくれた。
誰かのために歌えることを教えてくれた。
優しくしてくれた。
何度も救ってくれた。
まだこれからだって……
この先に未来があるって……
生きていこうって言ったじゃない……
なのに、なのに!
虚空へと落下していく。
その身を引き裂く風の中で、ミナトの脳が永遠にも感じる程の思い出を映し始めた。
――――兄さん、カイト兄さん……。
俺は幼い頃からいつも兄さんの背中を見てきた。
いじめっこを叩きのめす勇姿、身を省みない優しさ、輪の中心になるリーダーシップ、何もかもが俺には届かなかった。
だからこそ兄さんを真似していた。尊敬していたからだ。
だけど、一度だけ大喧嘩したことがあったな……。
俺が崖の仔猫を助けに行こうとした時、兄さんは俺の腕を掴んで離さなかった。
「お前がそいつを守りたいように、俺もお前の命を守りたいんだ」って。
あの時、悔しくて最後には兄さんを殴ってしまった。兄さんは俺を殴ったことなど無かったのに。
一度も。
兄さん……。
*
バババッ――!
蒼穹の中に風を裂く羽音が弾けた。
銀色の機体が弾丸のように急降下する。機体は鋭い軌跡を翻し、衝撃を殺すように彼を抱え込んだ。
アクセルの全開音と共に機体は反動で大きく跳ね上がり、エンジンの咆哮が勝利の雄叫びを上げる。
朦朧とする意識の中、ミナトの耳に飛び込んできたのは、あの頼れる声。
「……たく、なにやってんだよ」
ミナトを救ったのは、ホバーバイクに乗ったソラだった。
血だらけの唇で、ミナトは微かに笑みを浮かべ、絞り出すような声で呟く。
「言ってたろ……、男は乗せないって……。ありがとな」
ミナトの全身の力は、その言葉とともに静かに抜け落ちていった。
見上げる。天井の大地と、刃先を向け迫りくる赤き塔。
小さく遠ざかるその高みの先に、トップデッキへと降りていく琥珀とレギーナの姿があった。




