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メトロジェイルの歌姫  作者: 羽月楓


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【第16話】幼い仕返し

「……ヤマは? ……どうしたの?」


 玄関口に立つシエリの声は、絞り出したかの様にか細く掠れていた。それは問い掛けというより、祈りに近い響きだった。


 琥珀はミナトの表情から悟ってしまったのだろう。その場に、糸が切れたように膝を折り崩れ落ちた。

 

 ミナトが黙ったまま抱えていたのは、ヤマサンのゴツゴツとしたペンデュラム。

 

 彼はただ首をわずかに横に振るだけだった。

 だがその一動作が、どんな言葉よりも残酷な答えを突きつけていた。

 

 重い沈黙が続いた。

 

 やがてそれを破ったのは、メトロジェイル全域を対象とした一斉放送、あの憎き女王の声だった。


〝♪~〟

 

『メトロジェイル全市民に告ぐ。〝罪人のお知らせ〟だ。


 また本日も尊い4名の命を処分せざるを得なかった。世界の意に反する行為が行われていたからだ。


 メトロジェイルの罪人の名はヤマサン。彼は資源を浪費し、無駄な労を費やしていた愚か者だった。

 他、私に叛いて外の世界で生き延びていた名もなき3名だ。

 

 諸君らに残された時間は限られている。今こそ力を尽くせ。生きるための努力を怠るな。これが最後の忠告と思え』


 放送が終わる。

 

 シエリは鼻で嗤うような仕草をするが、視線は揺れ惑い、定まらない。

 ミナトの拳が震えている。


「処分? 嘘よ。さっきまで居たじゃない! 一緒に笑ってたじゃない! もう帰ってこないって言うの? ありえない、そんなのありえないわよ!」

 

 シエリは立ち上がり、コートを乱暴に掴む。そして引き留める間もなく、そのままルームを飛び出していった。

「……俺のせいだ、ヤマサン、俺が近くにいれば――」

 

 琥珀の胸の奥で真実が膨れ上がってくる。分かっている、行ったところで何も変わらない。ましてや彼が立って迎えてくれる訳でもない。


 シエリもそうだった。それでも、何もせずにはいられなかった。

 シエリはバイクを走らせ続けた。


〝私の(きぼう)……〟

 

 地下トンネルを抜け、旧・押上駅へ。

 シエリは乗っていたバイクを無造作に乗り捨て、出入り口へ駆け降りて行く。轟音がシャッターを激しく殴っていた。

 

 彼女が操作盤を乱打すると、重い鉄板がゆっくりと持ち上がっていった。ジェットファンの叫び。髪が引きちぎれそうな勢いの業風。視界は砂と破片で白くかすんでいく。

 

 シエリの目に涙が込み上げてくる。

 

 それでも、前へ。あと数歩で――。

 

 突風に煽られ、足がもつれる。全身が闇に拐われかけたが、背後から伸びた手がしっかりとシエリの手首を掴んだ。

 

 ミナトだった。彼女は強く引き戻され、地に膝をつく。そして項垂(うなだ)れるように座り込んだ。

 

「……ヤマ……」

 

 唇から漏れたのは、嗚咽にもならない声。

 暴風の轟きの中で、シエリはひとり泣き崩れた。

 

 ミナトの影から出てきた琥珀は、唯々(ただただ)一点を見つめたまま動けずにいた。

 シエリの鋭い視線が、琥珀を真っ直ぐに射抜く。

 

「あんたのせいよ! あんたのどうでもいい荷物を探しに行ったんでしょ!」

 

 シエリが吐き捨てる。その一言が、琥珀の胸の中に音を立てて大きな穴を開けた。琥珀は黙ったまま顔を上げれずにいた。

 

 ――――そうだった、ここは死と隣り合わせの〝終末世界〟。


 笑い声や温かな食卓、あまりに穏やかな世界は、ほんの薄いベールに過ぎなかった。


 キラキラとした隔たり。ステンドグラス越しの世界。一度割れてしまうと元には戻らない。美しくも、脆い〝世界〟。

 

 ……あの夢と同じ。……昔のわたしと同じ。

 何かが変わった気がしていた。今の世界の方がいいなんて考えてた。

 

 でも、何も変わってない。

 変えることが出来ない。

 

 結局、わたしはわたし。世界は世界なんだ。

 

 *

  

 無言、静寂が痛い。

 そしてシエリが呟く。

  

「……あんたの部屋にあったあの白い花は、私が一番好きな〝デイジー〟。ヤマはいつも私のためだけにあの花を育ててくれていた。それなのに……」

 

「あんたのせいよ、あんたのせいよ……」と、何度も繰り返すシエリの吐き捨てるようなその声は、ただの怒りだけではなかった。


 崩れ落ちて来そうな怒りを、なんとか理性で支えていたが、ついに彼女は、「ねえ、何とか言いなさいよ!」と立ち上がり、琥珀の肩を掴んだ。


 慌てたガジュ丸が近寄り、音声(こえ)を発する。

『シエリお嬢様、落ち着いてください――』

「ふざけないでよ!」

 

 シエリは力を込めてガジュ丸を掴みとり、突然その手が()()()()()()()()()()()()()()()


 そして琥珀が止める間もなくそれを床に叩きつける。

 彼女はさらに、何度も何度もヒールで踏み砕いた。硬質な破壊音が轟音の中ではっきりと刻まれる。

 

 ミナトがシエリの身体を抑える。

 シャッターが閉まり、嵐の騒音がこもる。

 

 琥珀はそっと破片を寄せ集めた。

 しかし、虚しくもガジュ丸の記憶は粉々に砕け散り、二度と戻らぬものとなっていた。

 

「ガジュ……」

 

 その行為は衝動的なものに見えたが、シエリの胸中には別の感情が潜んでいた。

 

 希望なんて持つな。どうせ奪われる。

 こうすれば、私と同じ絶望を知る。

 こうすれば、もう羨ましくない。

 同じ痛みで、ようやく釣り合う。

 

 薄暗い地下鉄出入り口に、ジェットファンの低い唸りが響き渡る。

 

 隅のほうで、転がったガジュ丸が独り静かに再起動した。

 

 しかし、彼が発した言葉は、無機質。

 ――初期、執事モードの声だった。

 

『おはようございます、お嬢様。(わたくし)めは執事のガジェットと申します。何なりとお申し付けくださいませ』

 

 抑揚のない、機械仕掛けの声。

 

 ――――それは、

 あの日、三歳のわたしに向けて発せられた最初の挨拶と、一言一句違わなかった。

 

 研究に明け暮れ、家にいても滅多に目を合わせようとしなかった父が、その日だけは違っていた。

 

 大きな手に包まれた、赤いリボンの箱。

 差し出された瞬間、ぎこちなくも微かに緩んだ父の横顔。


 言葉は少なく、ただ「おめでとう」と一言だけだったが、その声は不器用で、温かくて……。

 

 その日だけ、あの時だけ、世界で一番遠い存在の〝お父様〟の温もりを感じることができた。

 

 わたしが箱の蓋をそっと開けた瞬間、光沢を帯びた球体がふわりと浮かび上がった。

 まるで生まれたばかりの命のように、ぎこちなく目をキョロキョロと動かした。

 

 *

 

「まんまる……」

 琥珀の視線は床へと落ちているが、声はどこか冷静で平然としている。


 ヤマサンもガジュ丸も同時に失ったという現実から逃れようと、脳が思考や感情を遮断しているのだろう。

 

 シエリが座り込む。ミナトは彼女に近づき、ヤマサンのペンデュラムをそっと差し出した。

 

「シエリ姉さん、これともうひとつ、ヤマサンから預かってるものがあるんだ。来てくれないか?」

 

 シエリと琥珀をサイドカーへ乗せ、ミナトはエンジンをかけた。

 シエリは崩れるように顔を伏せている。


 アークへ向かう道すがら、風が髪を靡かせる。琥珀は頬に冷たい流れを感じた。それが涙だと気付く頃には、静かに眠りの中へと沈んでいた。

 

 

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