【第15話】罪人一名
全身を黒鉄と深紅の甲冑に包んだ巨躯。
劫火の騎士だった。
道路を挟んだ向こう側。まるで朽ちた洋城の離宮に掴まり立つかのように、逆さの街に貼り付き、こちらをじっと見据えている。
風が瓦礫を巻き上げても、その身体は揺れなかった。
右腕が、こちらへ向いている。
手のあるはずの場所に、大きな銃口があった。
大型リボルバー。
「ヒューマノイドかいな」
ヤマサンは、倒れた男へ目を戻した。
さっき、自分に手を差し出してくれた男だ。
あの騎士が撃った。
分かっても、すぐには飲み込めなかった。
甲冑の腕の中で、円筒状の部品が回る。
隣にいた黒い戦士が、柱から身を離した。
「俺が気を引く。連れていけ」
返事を待たずに、建物の外へ飛び出した。
業風に吹き飛ばされる、とヤマサンは思った。
けれど男は身体を傾け、風の中を斜めに走った。黒い装備の裾が開き、すぐに畳まれる。ワイヤーが張り、姿が対岸へ跳んだ。
赤い腕が、その影を追う。
「大丈夫だ。俺たちは風を推進力に変える特殊な装備を着ている。素早さじゃ負けない」
残った戦士が、ヤマサンの腕を肩へ回した。
「立てるか」
「立つわ」
右脚を引き寄せる。
痛みで膝が折れかけたが、男は構わず支え上げた。
「脚、引きずっていい。急げ」
ヤマサンは頷いた。
背後で銃声がした。
振り返ろうとすると、肩を強く押された。
搬入口を抜け、建物の裏へ出る。
風が正面からぶつかり、息が止まった。咄嗟に顔を伏せ、柱につかまる。
男が、頭上を指した。
建物の間を渡る太い配電線。その先に、駅の出入口が見えた。
「そこへ掛けろ!」
ヤマサンはペンデュラムを持ち上げた。
鉤爪が震えて狙いが定まらない。肘を柱へ押し当て、配電線に掛ける。
引いた。
外れない。
男も自分の器具を掛け、ヤマサンの顔を覗き込んだ。
「途中で放すなよ」
「誰が放すかい」
男が先に、足場を蹴った。
ヤマサンも続いた。
足の裏から、建物の感触が消える。
風が身体を持ち上げた。
次には横へ叩きつける。
ベルトが腹に食い込み、握った器具が手から抜けそうになった。
目を開けていられない。
細めた瞼の間で、黒い背中だけを追った。
男が腕を伸ばした。
高架橋の柱をつかみ、身体を引き寄せる。
ヤマサンは巻き取りを緩めた。
間に合わず、肩から柱へぶつかった。男が襟をつかみ、狭い足場へ引き上げてくれた。
「っ……おおきに」
返事は風に消えた。
押上駅の出入口まで、もう数メートルだった。
そこへ入れば、地下へ戻れる。
ヤマサンは柱へ両腕を回した。
靴底が浮きかけるたび、腹を押しつける。
遠くで、人の声がした。
対岸の建物で、黒い戦士が壁にもたれていた。
その前へ、赤い甲冑が近づく。
腕をつかんで、引き上げるのかと思った。
甲冑の脚が上がった。
黒い身体が、奈落の底へと消えた。
ヤマサンは目を見開いた。
あの男が、騎士の気を引いてくれたから、自分はここまで来れた。
「見るな!」
耳元で怒鳴られた。
「あの紅い騎士は、お前が考えているような正義の味方じゃない! 女王の市民だって言っても、止まらないぞ」
ヤマサンは男の顔を見た。
装備の隙間から覗く目が、こちらを見返した。
「……分かった。はよ、あんたも」
柱の端が弾けた。
男がヤマサンを引き倒す。
右脚を庇う間もなく、高架橋の段差の陰へ転がり込んだ。
銃弾が、すぐ外を叩いていた。
「ここにいろ」
男はヤマサンの肩を押さえた。
「駅はすぐそこだ。俺があいつを引き離す」
「待ちいな。さっきの――」
「顔、出すなよ。旦那」
手が離れた。
黒い姿が、柱の向こうへ走っていく。
ヤマサンは呼び止めようとした。
名前を知らなかった。
銃声が遠ざかる。
壁へ身体を寄せたまま、ヤマサンは待った。
十数える。
もう十、数える。
行ってええか。
どこにおる。
風の向こうから、平坦な声が届いた。
《増援――要請》
人の声ではなかった。
区切られた言葉が、同じ強さで繰り返される。
《反逆者三名、処理――完了》
ヤマサンは顔を上げた。
三名。
店の中で、手を差し出した男。
対岸へ飛んだ男。
いま、自分の肩から手を離した男。
《罪人一名、発見後――未処理》
声は、それ以上のことを言わなかった。
ヤマサンは段差の縁を握った。
「……誰が、罪人や」
風に消えるほどの声だった。
駅へ戻るだけだ。
花に水をやって、野菜を届けて、ピアノを弾く。
帰ってからすることが、まだある。
柱の陰から、出入口を覗いた。
赤い甲冑が出てきた。
一体ではなかった。続けて二体、三体。数える間にも、次が現れた。
十を超えたところで、数えるのをやめた。
あそこへ帰るつもりだった。
地下へ入れば、助かると思っていた。
「なんでやねん……」
ヤマサンは胸元を探った。
通信機を引き出す。指が滑り、ボタンをうまく押せなかった。
さっきまで痛かった脚が、ひどく冷たい。
巻いた布は、黒く濡れていた。
通信先を合わせる。
雑音の間へ、声を押し込んだ。
「ミナト」
返事が来るまでが、長かった。
『ヤマサン!』
聞き慣れた声だった。
ヤマサンは、ようやく息を吐いた。
『繋がった……よかった。いまどこだ!』
「押上の、入口んとこ。高架の柱の陰や」
『もうすぐ着く。そこにいてくれ。風を避けて、動くなよ』
いつもは生意気なくらいなのに、今日は息が切れている。
急いで来てくれているのだ。
「……せやな、ワイ、もうあかんかもしれん」
『何言ってんだ。救助も頼んだんだ。武装部隊に――』
「ちゃうねん」
ヤマサンは駅の方を見た。
赤い甲冑が、こちらへ散開している。
「命、狙われとるんや」
通信の向こうでミナトが何か言っている。よく分からない。
「黒い連中が、助けてくれてな。せやけど、騎士が……何でこないな事になっとるん」
指から力が抜けた。
通信機が胸へ落ち、留め紐にぶら下がる。
『ヤマサン? 誰に狙われてる。聞こえるか』
拾おうとして、腕が上がらなかった。
こんなところまで来て。
見つけたのに。
ヤマサンは、膝の上のペンデュラムを引き寄せた。
その時、背後で声がした。
「お前だな」
近かった。
風の中で、その声だけが、はっきり聞こえた。
「無駄な労力を使って、花畑など作っていた奴は」
ヤマサンは振り向こうとした。
肩に、金属の鉤爪が食い込んだ。
簡単に身体が持ち上がる。足先が足場を探す。
「ぐっ……!」
目の端を、白い軍服がよぎった。
銀白の髪。その向こうに、こちらを見ている目があった。
女王。
痛みで、息が吸えなかった。
ペンデュラムが膝から落ち、段差の内側で重い音を立てた。
ヤマサンは手を伸ばした。
届かない。
「花は……」
喉が詰まった。
咲いた時のことを、言おうとした。
見た人が、笑うのだと。
女王は待たなかった。
鉤爪が動いた。
視界が回り、駅の出入口が横へ滑った。
『ヤマサン! 何が起きてる!』
胸元から、ミナトの声がした。
「アアアアア!」
足場が遠ざかった。
風にさらわれた。
高架橋も、柱も、赤い甲冑も、小さくなっていく。
両手を伸ばした。
ワイヤーは出なかった。
ペンデュラムは、あそこだ。
指輪も。
「シエリに――」
帰らんとあかんのに。
口を開けても、息が入ってこない。
身体が回り、空と街の区別がつかなくなった。
ヤマサンは、胸元の通信機へ顎を寄せた。
「……よろしくやで」
自分の声は、聞こえなかった。
*
雑音だけが残った。
「ヤマサン」
ミナトは呼びかけた。
さっきまで声があった。
「聞こえてるだろ。返事してくれ」
トンネルの先を、ライトが照らしている。
押上へ向かう道だ。
あと少しだと、言った。
「ヤマサン」
返事はなかった。
通信機が拾った、あの声。
花畑など作っていた奴は。
聞き間違えるはずがなかった。
あの日、シェルターの入口で、少女を任せていった声と同じだった。
女王が、そこにいた。
ミナトの右手が、スロットルを戻した。
エンジンの音が低くなる。
ハンドルを握っているのに、前輪がふらついた。
足を出すのが遅れた。
バイクが倒れ込む。
鈍い音がして、肩が地面に当たった。
横倒しのライトが、壁の低いところを照らしている。
ミナトは通信機を握ったままだった。
冷たい水が襟元へ入り、首筋を伝った。
「……ヤマサン」
まだ、繋がっていた。
雑音は流れ続けていた。
ミナトはそれを耳へ押し当てた。
何か言ってくれれば、立てる気がした。




