【第15話】罪人一名
――劫火の騎士。
全身を黒鉄と深紅の甲冑に包んだ巨躯。
まるで朽ちた洋城の離宮に掴まり立つかのように逆さの街に貼り付き、こちらをじっと見据えている。
その腕からは硝煙が風に散り、先ほどの銃声の主であることを告げていた。
騎士は一歩も動かず、再び狙いを定めている。暗闇に浮かぶその豪腕は倫理に悖る人体改造、もはや腕とは呼べぬ異形の機構が取り付けられている。
大型リボルバー。
いまシリンダーが唸り、再び回転し始めた。
刹那、革命派の一人が「俺が気を引く!」と短く叫び、前傾姿勢で建物の外へ飛び出した。
ヒュルルルル――
装備が風を裂く音を立てる。
彼らの装備は風を裂くように設計された流線形、さらに空気の抵抗を逃し、暴風を推進力へと変える特殊素材で出来ていた。
風の中を彼らよりも速く動ける者はいない。戦士は隼のような身のこなしで対岸の騎士の懐へ飛び込んだ。
交戦が始まる。
閃光が散り、夜気が仄めく。
その隙に、もう一人の戦士がヤマサンを引きずるように建物の裏手へ連れ出した。
「しっかりついてこい! 振り落とされたら終わりだ!」
しゃがれた声の主は高圧配電線に飛びついていた。〝こいよ〟とヤマサンに顎で示す。
ペンデュラムを確りと咬ませ、ヤマサンは彼の背を追った。
配電線をターザンロープのように滑り伝う。暴風が唸り、身体が右へ左へと煽られてうねる。鉤爪がほんのわずかでも外れれば、この身は奈落行きだ。拳から伝わる振動が、死の気配を告げていた。
二人はようやく押上駅近くの高架橋をよじ登り、出入り口まで数メートルという地点まで辿り着いた。
嵐が吹き付ける。
ヤマサンは必死に柱にしがみつくが、それでも大男を浮かせるほどの烈風だ。
遠くで先ほどの戦士の咆哮が聴こえ、止んだ。
目を凝らすと、凭れる戦士に近寄り甲冑の脚がそれを蹴り落とすさまが遠くに見えた。
蹴り上げられた漆黒の戦士は暴風に煽られ、そのまま奈落の底へと吸い込まれていき、やがて視界から消えてしまった。
黒い戦士がヤマサンの肩に手を掛け、耳元で声を張った。
「あの紅い騎士は、お前が考えているような正義の味方じゃない! お前は女王派だろうがそれを言ったところで助かる補償はないぞ!」
「せやな! 冷徹なやり方目の当たりにしとんねん、よう解ったわ、はよ逃げんで!」
――ダダダダダダダダ……ッ!
硝煙の尾を引きながら、紅い騎士がこちらを狙っている。
ヤマサンは吹き飛ばされそうになる身体を全力で支え、右脚を庇いながら高架橋の段差の陰に身を滑り込ませた。
「ここなら多少は風が防げる。あいつは俺が何とかする、隠れてな旦那」
言葉の余韻を残したまま、漆黒の戦士は反転した高架橋裏を走り去って行った。
その時、押上駅の方から暴風に紛れて耳障りな合成音が聞こえてきた。
《増援――要請》
《反逆者三名、処理――完了》
《罪人一名、発見後――未処理》
「増援すな! て、処理てなんやねん? あいつらメトロ市民を守るんちゃうんかい、劫火の騎士さんよお」
その時、ヤマサンは目を疑った。押上駅出入り口に紅い騎士がぞろぞろと溢れ出てきたのだ。それらの数は十を優に超えていた。
「速すぎやろ! なんでやねん!」
奥歯を噛み締めながら声を殺して怒鳴るヤマサン。
「なんや、何でこないな事になっとんねん……」
ヤマサンは胸元の通信機を握りしめ、震える指でチャンネルを合わせる。
ミナトに繋がった。
「ミナト……わぃはもう、だめや」
『ヤマサン! 良かった、ヤマサン! もうすぐ着くんだ! 風を避けれる場所で待機しててくれ!』
「ちゃうねん、何か……命狙われてん……」
ヤマサンの通信機が胸元に落ちた。
血が足りない。……力が入らない。
悔しさが込み上げる。
その時だった。
背後から伸びる首。
威厳ある声がヤマサンの耳元に囁く。
「お前だな。無駄な労力を使って花畑など作っていた奴は」
低く無感情な声の主は、金属の鉤爪を彼の肩に突き刺し、巨体をねじり上げた。
ヤマサンの骨が悲鳴を上げる。
「……ンガッッ……痛えよ……!」
彼の視界はぐるりと回転し、足が宙を切った。
『ヤマサン! ヤマサン! どうしたんだ! 何が起こってんだ!』
「ミナト! シエリに……」
『ヤマサン! ヤマサン――!』
通信機からの叫びは途絶えない。
しかし、虚しくも主はもうそこには居なかった。
暴風が大男を拐う。
ヤマサンの視界から高架橋、電柱、押上駅が遠ざかっていく。
堕ちる、
堕ちる、
息ができない。
次の瞬間、耳をつんざく暴風がすべてを飲み込み、彼の世界は真っ暗になった。
*
「……よろしくやで」
ザー……
通信が途絶する。ミナトは何度もヤマサンに呼び掛けた……が、返事はない。
何度も、何度も、繰り返す。次第にミナトの右手は、握ったハンドルから力が抜けていった。
ゆっくりと惰性で進むバイク。その塊はやがて大きくよろめき、ミナトを乗せたまま倒れこんだ。
通信機が拾っていた、背後の声。あれは間違いなく女王だった。
凍結しかけた水草が首元に触れる。何も感じない。
低い排気音だけがトンネルの闇へと、
深く、
深く、
吸い込まれていった。




