闇の塊 3
★
竹美は一人、身を引くして草陰を進んでいった。息を殺し、全霊で神経を尖らせる。
先程の銃声は森の奥、高台の方から聞えてきた。だとしたら、敵はまだ高台の近くに潜んでいる筈だ。でもこれ以上、不用意には進めない。敵が高台の此処かに潜んでいるのだとしたら、斜角の問題でかなり不利だ。多少警戒して進んだとしても先に発見されて撃たれてしまう。しかも、逆光が敵に味方していて容易に位置を特定できそうにない。
だからこそ竹美は焦っていた。
りんごちゃんが金髪の娘を救出したとして、彼女が助けを呼ぶにはバトルフィールドを出て安全地帯まで辿り着く必要がある。だが、高台からは安全地帯へのルートが丸見えになっている。このまま何もしないでいたら、りんごちゃんが撃たれてしまう可能性が高い。赤毛の片割れが高台に潜伏したのは、金髪チームの二人を仕留める他に、竹美達の逃げ道を塞ぐ狙いもあったのだろう。前もって綿密に計算しつくされた戦術だと察せられる。
と、竹美は思案して近くの石ころへと手を伸ばす。
一見華奢な腕が振り抜かれ、四〇メートル程離れた木へと石ころを放った。石弾は竹美が思っていたよりもずっと速く正確に飛び、木を直撃して枝をへし折った。砕け散る木片を目にして、竹美自身、少々驚きを浮かべてしまう。
そういえば、今の自分には【短刀、短剣、投擲武器使用術】があった。と竹美は記憶を紐解いて腑に落ちる。確か、スキルのランクはFだった筈──。でも、ランクFでさえこの精度と威力なら、ランクAやSだと、どうなるのだろう?
なんて、ボヤっと下らないことを考えていると、高台で発砲光が発生し、先程石が当たった木へと弾丸が撃ち込まれる。
あそこか!
竹美はやっと、敵の位置を把握した。すぐに植え込みに身を潜めながら、息を殺して匍匐前進を開始する。敵は三〇メートル先の斜面の植え込みに身を潜めているらしい。現在、石が当たった木を注視している筈だから、距離を詰めるなら今しかない。
一五メートル程も這い進んだ段階で、竹美は再び動きを止めた。眼前に、細いワイヤーが張られていた。ワイヤーは近くの植え込みの影へと続いており、どう見ても爆弾と思しき物体へと繋がっている。もし走って距離を詰めていたら、ワイヤーに気付かず爆死していただろう。
ワイヤーを切るべきだろうか? 否、やめておこう。爆弾の構造次第では、ワイヤーを切っただけで爆発する可能性もあるから。
結論して、竹美はそっと腰を上げてワイヤーを跨ぐ。でもこれで、気安く助けを呼ぶ訳にもいかなくなった。無警戒に山本陸尉がやってきたら罠に引っかかりかねない。しかも困ったことに、罠についてりんごちゃんに知らせる術がない。おもいきり叫べば聴こえるだろうけど、叫べば敵にこちらの位置を特定されて撃たれてしまう。声を上げるのは最後の手段だ。だとしたら──りんごちゃんが負傷者を救出して助けを呼びにいくよりも前に、全てを片付けるしかない!
思考を巡らしながら匍匐を続け、竹美はやっと敵の姿を捉えた。植え込みの陰で、赤毛の少女が突撃銃を構え、退路への動線を監視している。彼女までの距離は約一〇メートル。まだ少し遠い。だが、これ以上近づけば流石に気付かれる。一方的に撃たれてしまうだろう。ならば──。
竹美はじわりと身を起こし、周囲へと目をやった。もう、全身泥だらけだった。幸い、辺りには手頃な石ころがあった。竹美は石を三つ拾い、静かに投擲の構えを作る。
焦るな。集中しろ。大丈夫、今の私なら……出来る!
呼吸を解き放ち、石を投擲する!
石は矢の様な速さで一直線に飛び、赤毛の少女の突撃銃を直撃した。見事に銃身が砕け散り、金属片が飛散する! 赤毛の少女は突然の攻撃に驚きを浮かべ、仰け反って尻もちを衝く。それ交錯するように、竹美は駆け出して赤毛の少女へと飛び掛かる。
今だ! とばかりに拳を振り上げた瞬間、それは起きた。
パッと二回、火花が散った。
赤毛の少女が腰の拳銃を抜くと同時、弾丸を放ったらしい。まずは衝撃のみが感じられる。弾丸の一発は竹美の肩を掠め、もう一発は脇腹に命中。竹美は即座につんのめり、急な斜面を転がり落ちて地面に顔面を打ち付けた。
まさか、予備銃まで持ち込んでいたの?
意識がふっ飛びそうな痛みの中、竹美の脳裏を不毛な思考が過る。直後、赤毛の少女が踊り出し、竹美に蹴りを叩き込む。衝撃で、竹美は転げてぬかるみに身を浸す。間髪を入れず赤毛の少女が駆け寄って、竹美の銃創を踏みつけた。
やっと本格的な痛みが追い付いた。
強烈なボディブロウを受けたような鈍重な苦しみが、焼けるような感覚を伴って竹美の全身を満たす。竹美は顔を歪め、悲痛な声を上げる。赤毛の少女は「煩い!」と竹美の顔面を蹴りつけて、額に銃口を突きつけた。
「あんた。普通の娘やないね。さっきのアレは何? 一発でライフルが壊れたんやけど。甘ったるい顔した女子高生の癖に撃たれて気絶せえへんとか、どないなってんの?」
竹美は呼吸が詰まり、答えることすら出来ないでいる。朦朧とする竹美の視線の先、赤毛の少女の瞳孔が、まるで爬虫類のように縦長に集束してゆく。
「あ、あなた、その、眼は……なに?」
竹美の問いかけに、赤毛の少女はハッとした表情を浮かべ、手で眼を覆い隠す。
「あは。見たんやね。なんやと思う? 人間さん」
「その眼、まるで蛇みた──」
言いかけた竹美の顔面に、硬い爪先が突き刺さる。竹美は蹴られて転がって、苦悶の声を上げる。
「なあに? もしかしてキモいとでも言いたいの? あんたやて似たような眼え、してるやない。自覚ないの?」
赤毛の少女の問いかけに、竹美は答えられなかった。唯、苦痛と恐怖で胸がいっぱいになり、顔を歪めていた。
「ま、ええか。死んじゃえ」
赤毛の少女は続けて言い、拳銃の引き金に指をかける。引き金が引き絞られてゆく動作は、竹美にはとても緩やかに映った──。
竹美の脳裏を満たしていたのは、高速の、走馬灯のような記憶の羅列だった。優しい両親と穏やかに過ごしたこと、絵画コンクールで金賞を受賞したこと、知能が高すぎるせいか、クラスメイト達とあまり馴染めなかったこと、孤独だったこと、幸人と出会ったこと、毎日、胸を高鳴らせながら彼と過ごしたこと、突然の、同時多発人体消失事件で幸人と離れ離れになったこと、二年間も必死に幸人を探し回ったこと、修学旅行先で竜に襲われたこと、幸人の生存を知ったこと、彼に会う為に危険を省みず、必死で街を走ったこと、明智光に出会ったこと、それでも幸人とは再開できなかったこと、でも諦めなかったこと、必死に勉強して、自衛隊が課す課題や訓練に身を投じたこと、味気ない戦闘訓練を淡々とこなし、それでも、少しずつ腕前を上げていったこと……。
ここで、こんな所で。幸人!──。
内心、竹美が叫んだ瞬間、浮んでは消える走馬灯の映像が、とある記憶で静止した。
『君、大谷竹美ちゃんっていうんだよね? 聴いてるよお。そこの爺さんからは色々と難しい話をされて頭沸騰してるかもしれないけど、なんてことはない。君は、スーパーレアな金眼モンスターを食しちゃった訳。だから近々、なんかドラゴン的な力に目覚めちゃうかもしれないけど、ノープロブレム。今も身体がナーロッパの周波数に順応しきれていないだけだから、色々な能力が出たり消えたりしてるだけなんだよね!』
午前中に出会った、ゼアミーちゃんの言葉だった。
ドラゴン、的な力……ドラゴン的な力!
再び、竹美の瞳に信念の輝きが宿る。刹那、喉の奥が光を放ち──紅蓮の業火が解き放たれる!
「く。なんやの!」
吐き捨てながら、赤毛の少女が仰け反って地面を転がった。狂おしく迸る竜火炎は空を貫いて、雲にぽっかりと大穴を空けた。直後、赤毛の少女が「熱い!」と、拳銃を投げ捨てる。拳銃の銃口は引き金の近くまでが消滅しており、残された部分もドロドロに溶けて赤熱していた。
激しく咳込みながら、竹美が身を起こす。脇腹に受けた銃創が酷く痛み、全身が怠い。視界も霞んでいるが……竹美はグッと拳を握り、赤毛の少女へと踏み出した。
「あんた……本当になんやの? でも、銃が効いてるみたいやから、殺せんこともなさそうやね」
脂汗を滲ませながら、赤毛の少女が大ぶりなアーミーナイフを抜いて迎え撃つ。殺傷目的で製造された刃は抑止力足り得ない。金眼が光の尾を引いた。竹美が瞬時に踏み込んで、少女達の影が交錯する。
金属が砕ける音が鳴り響く。
アーミーナイフが砕け散りながら、木漏れ日の光を反射する。鈍い打撃音も乗っていた。赤毛の少女は殴り飛ばされて五メートルも宙を舞い、ドッと大木に打ち付けられて地面に落下した。もう、ピクリとも動かない。
たった一撃で、勝敗が決した。
竹美は安堵交じりの息を吐き、よろりと膝を折る。
赤毛の少女は気絶こそしていないものの、軽く痙攣しており、明らかに戦闘不能といった様子だった。静寂が辺りを満たす中、やがて、竹美の背後からカサリと音がする。りんごちゃんが金髪の少女を背負って立ち尽くしていた。
「りんご、ちゃ──」
「喋らないで。すぐに応急処置をしますから!」
りんごちゃんは金髪の少女を地面に横たえて、すぐに竹美に駆け寄って手当を開始する。竹美は銃創をハンカチで圧迫されて、再び苦悶の声を上げた。
「もう。こんなに無茶をして。死んだらどうするんですか!」
「ごめん、泣かないで。私、勝ったよ。ううん。私達が勝ったんだ」
「はい。もう喋らないで。すぐに山本さんを呼んで来ますから」
涙目で言うりんごちゃんの背後で、赤毛の少女がおもむろに手を伸ばし、空を指差した。
「勝った? なにを言うてんの? 最初から、あんた達が勝つことはない。あれで終わり。もう何もかも終わりなんよ」
嘲笑うような赤毛の少女の瞳には、何故か、恐怖や絶望に似た色が浮かんでいる。りんごちゃんが赤毛の少女が指さした先に視線をやると、上空を満たしている青の一角が、三角形の形に半透明に歪んでいた。〝何か〟が浮かんでいるらしい。
「まさか……ブラックマンタを出撃させていたのですか。じゃあ、DEWも?」
「そうや。あんた等、この戦いが世界にとってどれだけ重大な意味を持つか理解してないんやね。ふふ。私達が失敗したから全部終わり。ここは無くなる。この勝負も……全部なかったことにされるん、や」
「そんな。では最初から私達ごと、この周辺を焼き払うつもりだったのですか。なんてことを……」
驚愕を露にするりんごちゃんの言葉を、竹美はいまひとつ理解出来なかった。
「なに? なにが起こっているの? りんごちゃん、DEWってなに?」
「荷電粒子砲──。高指向性エネルギー兵器です」
「えっと、荷電……なに?」
「SFアニメに登場するビーム兵器みたいなものです。アメリカの軍産複合体が極秘開発した新兵器で、目標を瞬時に焼き尽くす程の威力があります。それと、地球製のUFOが開発されている、という噂を聞いたことがありませんか? 噂は事実です。アメリカが極秘開発して、既に何種類かの地球製UFOが量産されています。量産された機種の内、比較的新しいものの機体名を、ブラックマンタといいます」
「ビーム兵器にUFO? いくらなんでもそれは……ちょっと」
「今更何を驚くのです? 竹美さんは、もっと信じ難い経験をしてきたのでしょう。それよりも……」
りんごちゃんは赤毛の少女に駆け寄って、肩を掴んで顔を覗き込む。
「DEWの特性はご存じですよね? このままでは貴女も攻撃に巻き込まれてしまいますよ。即時、攻撃の中止を要請してください」
「はっ。無理や。うちらはいくらでも替えが効く駒に過ぎんのよ。この会話も全部全部聞かれとる。もう、どうにもならへんよ。ほら、来た」
赤毛の少女が薄笑いを浮かべ、意識を失ってぐったりと項垂れる。その上空で、空に浮かんだ半透明な物体の中心が、紅い光を放ち始める。
「不味いです。何か、何か方法は……」
りんごちゃんが戦慄の表情を浮かべる一方、竹美はゆるりと身を起こし、上空へと顔を向けて口を開ける。直後、喉の奥に光が収束し…………消える。竹美は激しく咳込みながら蹲り、涙目で喉を押さえた。
「竹美さん、何を?」
「ごめん、竜火炎を試してみたんだけど……無理。まだ、連発は……できないみたい」
「と、とにかく逃げますよ」
と、りんごちゃんが竹美の腕を掴み、必死に引きずりはじめる。だが、遅い。非力なりんごちゃんの力では、到底、竹美を連れて逃げ切れそうにない。二人の背後で、DEWのエネルギー充填が完了し、紅い光が強さを増している。
「来ます。伏せて!」
叫ぶりんごちゃんを、とん、と竹美は突き飛ばす。焦って顔をあげるりんごちゃんの視界の中、竹美は疲れ交じりの微笑を浮かべ、大ぶりの石を拾い上げる。
「私は諦めないよ」
呟いて、竹美は上空へと石を放つ!
石は鏑矢のように鋭い音を発しながら伸びてゆき、光学迷彩を施したUFOを直撃する。が、バチリと石が砕け散り、電磁バリアーらしきものが一瞬だけ浮かび上がった。バリアーはUFOを包んでおり、UFOは完全に無傷だった。
「そ、んな」
りんごちゃんが絶望を声を漏らす、そこに矢のように竹美が駆け寄って、更に遠くへと、りんごちゃんを突き飛ばす。
閃光が迸る。
UFOから緑色の光線が放たれて、地面を一閃になぞる。着弾点からはたちまち爆炎が上がり、竹美のすぐ背後で派手な火柱が上がる。竹美も爆風に巻かれて吹き飛ばされる。もう、誰にも状況が解らなかった。




