色彩の時間 1
★ ★ ★
時間は、夜の八時を過ぎていた。
蚕の回廊の地下通路では、大勢の冒険者や超能力者が隊列を組み、明智光を追っていた。
「くそっ。だいぶ進んだがまだ追いつかない。明智光の奴、一体いくつ関門を破ったんだ?」
一人の青年が愚痴る。隊列の先頭には、やけに小柄な少年の姿があった。少年は濃い緑色の長髪をしており、少女と見紛うような優し気な顔立ちをしている。
「なあ、島津。本当に、明智に勝てるのか?」
青年が、緑色の髪の少年に声をかける。島津と呼ばれた少年は、振り向いて薄く微笑を浮かべる。だが、その瞳には狂気交じりの鋭さが漂っていた。
少年の名は、島津義広──。シャングリラ能力者である。
「なんね。心配ね。俺が負けると思うなら、引き返してもよかよ?」
島津は、至極穏やかに答える。それなのに、問いかけた青年は恐れを浮かべ、唾を呑み込んで黙り込んでしまった。
「待って。前から誰か来る。皆、警戒して」
一人の少女が声を上げる。直ちに、能力者たちは前方を見据えて、警戒態勢へと移行した。
間もなく、通路の奥に人影が見えて来る。
「明智、か?」
青年が呟く。
「ううん。そんな感じじゃなかね。あの歩き方は男ばい。それに、怪我しとるね」
島津は言い、前方の人影を待ち受ける。
やがて、人影の容貌が露になる。それは真田幸人だった。幸人は額から血を滲ませながら、脚を引きずって歩いて来る。幸人も島津一行に気が付いて、歩みを止める。
警戒を滲ませながら、島津一行は幸人へと歩み寄る。
「あんた、真田幸人たいね。明智光はどうしたと?」
島津が問う。
「光には勝てなかった。なんとか連れ戻したかったんだけど、話にならなくて。今は、織田君が戦ってるよ」
「ふうん。確かに、織田信秋ならさっき俺達ば追い越して行ったね」
「ああ。かなり激しい戦いになってるから、近付かない方が利口だと思うよ」
「そういう訳にもいかんとたいね。明智と戦ってみたいけん。あ、俺は島津義広」
と、島津はゆるりと手を伸ばし、握手を求める。幸人は薄く警戒を浮かべながらも、島津と握手を交わした。
「どうしても行くなら止めないけど、気を付けた方が良いよ。じゃあ、僕はこれで」
幸人は言い残し、島津一行とすれ違う。その背中を見送る島津の口元に、薄く笑みが浮かぶ。
「待ちなっせ」
島津の声を受け、幸人が足を止める。その首筋に、じわりと汗が浮き上がる。幸人はたちまち島津一向に取り囲まれて、行く手を阻まれる。
「真田は明智とはチームメイトで、仲も良かった筈たいね。話し合いにもならんなんて、変ばい。それに、真田が試合で使った能力──。あの、人間を何処かから出し入れする能力があれば、明智を安全に連れ出せる筈たいね」
島津が言った直後、場の空気が張り詰める。幸人が棒を握る手に、力が籠る。緋碧の魚も、幸人の眼前でピタリと動きを止める。
そう、全て島津の推測通りだったのだ。
「怪しい動きをしないで!」
島津の連れの少女が叫ぶ。その瞬間に、無数のナイフが出現して幸人を取り囲む。ナイフは空中に静止したまま、切っ先を幸人に向けている。
「君たちは、僕を怒らせたいのかな?」
幸人の穏やかな声に、怒りが滲む。すると、幸人を取り囲む能力者たちにも冷汗が浮かぶ。
幸人は過去、蚕の回廊を突破しようとした事がある。その時、幸人はたった一人で何十人もの能力者を相手に大立ち回りを演じたらしい。チーム対抗戦での戦いも、カウセラーシティの住人の殆どが目にしている。この島に、幸人の脅威について知らない者はいない。明智光に曰く、幸人が硬化能力を持つ者を一瞬で倒したとか、一度の攻撃で五人の能力者を病院送りにしたとか、ランクB剣術スキル持ちをボコボコにしたとか、ビームを打ち出す超能力を完全に防ぎ切ったとか。そんな噂には枚挙に暇がない。そしてどの噂も事実だった。幸人自身はその事を覚えていないのだが、噂を利用しない手はない。
幸人の鋭い眼光が、能力者たちに突き刺さる。皆、怖気づいて半歩下がる。恐れていないのは、島津だけだった。
「怒らせるも何も、もう、勝負はついとるよ?」
ふいに、島津が呟く。
幸人は一瞬、言葉の意味を察しかねたが、島津の視線を追って足元に目をやると、幸人の足が凍り付いていた。例えではない。幸人の足元の周囲が凍り、氷が這い上るようにして、幸人の下半身全体を包み込んでいたのだ。
凍結能力──!
幸人は、島津の能力に感付いた。
いつの間に凍らされた? 発動条件はなんだ? 思考を巡らせる幸人の脳裏に、先程、島津と握手した場面が蘇る。
あれか。恐らく、発動条件は触れる事。やられた……。
でも、幸人は余裕の態度を崩さない。
「これは攻撃とみなすけど、構わないね?」
完全にハッタリだった。恐れる者は恐れたままでいてくれた方が都合が良い。とはいえ、内心は、少々焦っていた。
不味い。思ったよりもだいぶ氷の強度が高い。全く動けない。緋碧の魚は使えるけど、それだけで、この人数を倒しきる事ができるだろうか?
痛い程の沈黙の中、島津がホルスターから拳銃を引き抜いた。
「触れることが発動条件。多分、そう考えとるよね? ハズレばい。俺が生み出した氷が触れた物も凍る。それが、俺の能力だけんね」
と、島津の銃口が幸人を捉える。リボルバーに詰まった弾丸は、弾頭が氷に覆われていた。
乾いた音が鳴り響く。島津は一切躊躇せず、引き金を引いたのだ。
だが──。
ドン! と、音が鳴り響き、幸人を取り囲んでいた能力者たちが一斉に吹っ飛んだ。空中に浮かんでいたナイフも吹き飛ばされて、氷の弾丸も、何故か島津の肩に突き刺さっていた。
「何が!?」
困惑する島津をよそに、幸人だけが状況を理解していた。
再び、ドン! と衝撃音が鳴り響き、幸人を縛り付けていた氷が砕け散る。同時に幸人も吹き飛ばされて地面を転がる。その傍らに、シュ。と、人影が現れる。
小麦色に日焼けした太腿に、金色に染めた髪。松永久枝である。久枝は現れると同時、すぐに幸人の肩に触れる。その瞬間に、幸人と久枝の姿が消えた。
二人は、少し離れた木陰に姿を現した。
木陰には、羽柴秀実の姿があった。秀実は衝撃波のポーズを作り、島津一行を狙いすましている。
「すみませんっす。あまり丁寧に氷を砕いてる余裕がなくて。幸人様を吹っ飛ばしちゃったっす」
そう。秀実が【時間停止】能力を使い、幸人を救ったのである。
「秀実。どうして?」
「どうしても何もないっすよ。光さんのピンチなのに、自分が動かない訳がないじゃないっすか!」
「ああ、そうだね。ありがとう、秀実」
「だ、か、ら! お礼を言うのは筋違いっす! 自分は、自分が光さんを助けたくてクエストを受けたんすから」
言い合う幸人と秀実の肩に、松永久枝が触れる。するとその瞬間、三人の姿が消えた。
「ま、待て!」
吹き飛ばされた能力者たちが追い縋るように手を伸ばし、間抜けな声を上げる。だが、もう、手遅れだった。
★ ★ ★
幸人と秀実と久枝は、女子寮の談話室へと瞬間移動した。
「おかえりなさい。思ったよりも早かったですね。あ、ポーション使います?」
と、見知らぬ、物凄い美少女が幸人にポーションを差し出した。美少女は小柄でスレンダーで、ツインテールが良く似合っていた。肌も色白でスベスベだ。黒い大きな瞳には、小悪魔みたいに悪戯めいた光が宿っている。
美少女の隣には霧隠才華の姿もあった。
「えっと。君は……誰?」
幸人は少々困惑して問いかける。その様子に、ツインテールの美少女が、クスリと笑う。
「えへ。私、せんりですよ? 池田せんり。忘れちゃったんですか?」
「え!? 池田さん? でもなんというか、体型が……その」
「うふふ。マーメイドタブレットの効果って、凄いですね。でも、こっちが本来の私の姿に近いと思いますよ。なんて」
と、せんりは上機嫌で幸人の反応を伺う。幸人は、せんりのあまりの変わりように衝撃を受け、完全に言葉を失っていた。池田せんりはチーム対抗戦の優勝賞品として、【マーメイドタブレット】なる魔法の丸薬を手にいれていた。どうやら、せんりの変化は丸薬の効果によって起こったらしい。
「話は済んだ? えっと、真田、君。これで匿ってくれた借りは返したから、ね」
松永久枝が、薄く頬を赤くしながら言う。
「あ、ああ。まさか、松永さんに助けられるなんてね。ありがとう」
「そ、そういうの良いから。次からは、ちゃんと報酬を払って貰うからね」
「報酬? あ、ポイントとか、そういうアレか。解った。次からは、依頼する時はちゃんと個別クエストを出すよ」
「うん。解れば良いのよ。じゃあ、その、私はこれで……」
言い残し、久枝は瞬間移動で姿を消した。
沈黙が満たす中、秀実が、幸人に真剣な眼差しを向ける。幸人は頷いて、近くの大きな鏡に、腕の紋章を映した。
鏡が淡く輝いて、中から、明智光が姿を現した。光は仲間たちと目が合うと、すぐに眼を逸らして俯いてしまう。光が言葉を失っていると、秀実がおもむろに歩み寄り、バチリと、光の頬を張る。
「秀実?」
困惑する幸人を他所に、秀実は尚も、光の胸をポカポカ叩く。
「どうしてっすか。どうして何も言ってくれなかったっすか。自分たちがどんなに心配だったか、想像しなかったっすか? 自分は、幸人様は、せんりちゃんは、霧隠さんは、光さんの仲間じゃなかったっすか? 光さんは馬鹿っす。愚か者っすよ! 自分は、自分は、自分は……!」
幸人はそっと秀実の肩に触れ、下がらせる。次に、光の頭をポンポン撫でる。
「とにかく無事で良かった。もう、一人で無茶しちゃ駄目だよ。いいね?」
「うん。ごめんなさい」
光がしおらしく呟くと、秀実は、光に抱きついて泣き出した。光も崩れ落ち、声を上げて泣く。せんりと才華の目にも、涙が滲んでいた。
幸人は一人、談話室の隅に目をやった。天井の隅には監視カメラがあった。幸人はカメラに顔を向け、少し怒った表情を浮かべる。
「どうせ監視してるんだろ? 見ての通り、光の捕獲は済ませたよ。でも、ここは帝都学園の寮だ。たとえクエスト管理局であれ、寮には権限が及ばない。勿論、クエスト管理局に光を引き渡すこともない。文句はないね?」
幸人がカメラに向かって言うと、間もなく、幸人たちの携帯端末が鳴った。
『明智光ノ捕獲ヲ確認。羽柴秀実ノハタラキニヨリ、緊急クエストハ完了シマシタ。クエスト報酬ハ、明朝、支払ワレマス』
談話室のスピーカーから機械的な声が告げる。クエスト完了だ。これで、カウンセラーシティの能力者たちが光を狙う理由もなくなった。
「なんとか、一件落着、だね」
と、幸人は安堵の息を吐く。光と秀実は、まだ、わんわん泣きじゃくっていた。




