地獄
私には一人の友人がいた。
"いた"と云う過去形のとおり、その友人とはもう友人関係ではない。それは縁を絶たれたなどということではなく、物理的にもう逢えない、平たく言ってしまえば彼は既に、先程死んでしまったのだ。
交通事故だった。顔だけは穏やかだったのは救いなのか悲劇なのか。……しかし、一分に一度抽選のある、ありふれた悲劇的なハズレくじに当選してしまうとはなんとも運が無かったのだろう。
私が見舞いに駆けつけた頃には既に脳死状態、物理的にも死を待つ以外ほか無く、医学的には死んでいると言っても良い状態に彼は陥っていた。
嫌になるほど白く眩しい部屋の中、耳の中に水でも詰め込まれたかのように思える遠い音と、鼻につく消毒液の匂いが幻想の中の死の匂いと合わさって非日常、ひいては非現実を訴えていた。
白い長方形の前に一人、私はポツポツと言葉を紡ぐ。
「君は多分地獄へ行くのだろう。何しろ君の両親は未だ健在だ、地獄の法は君のような善人であったとしても例外を作らないのだろう」
私は嘆き憤るしかなかった。彼のような善人は救われるべきである……と。私自身は宗教なんかは微塵も信じてはいないが、普遍的な社会規範の一つの中でも彼が悪人扱いされることが許せなかったのである。
その時だった、私の中に一つの閃きが産まれた。
それは天啓とも言えるものであって、私は思わずその小躍りでもしてしまいたくなったが微かに残っていた理性の残滓でそれを抑え込んだ。
そうしてひとしきり自分に感心した後で、とびきり弾んだ声で彼に最期の別れを告げることにした。
「嗚呼、でも安心してくれたまえ、君が私の知らない何らかの悪徳を犯していない限り、これから君が地獄へ行くことは無いだろうね。それでは、一兆年と少し後にまた逢うとしよう」




